この世で最も神聖なものは何ですか。それは真の愛です。真の愛は神様から出発します。神様が存在されるなら、それ以外の道はありません。神様が心から願われるのは真の愛の道であり、真の愛の道を通らなくては、神様の前に出ていけないことを知らなければなりなせん。


神様は愛を通して見て、聞いて、食べて、触れてみたいのです。人間も神様から愛の口づけを受けたなら、内部が爆発するような喜びを感じるはずです。神様の願いはここにあるのであって、ダイヤモンドや宝石を所有して嬉しいとおっしゃるのではありなせん。


人間の全身をみれば、人体は五感をもっています。人間は誰でも、五感の認識によって真の愛を感じ、確認するようになっています。目が真と愛に向っていれば、その目は真の愛に染まって酔うようになっています。


酔った瞳の色は、どれほど美しく光るでしょうか。真の愛に惹かれている人の、ほほえむその唇は、どれほど恍惚としたものか考えてみてください。人間の五感が真の愛に酔って動く姿、神様に向かって動く五感の調和がどれほど美しいだろうかと想像してみてください。


そのような美しさを通したよろこびは、神様お一人では体験することができないのです。そのような美しさは、相手がいてこそ体験するようになるので、それが神様が人間を創造された目的でもあるのです。

なぜ男性と女性が地球上に生まれたのでしょうか。互いに愛し合うために生まれたのです。神様は知恵の大王であられるために、男性と女性の愛の器官をそれぞれ取り替えてくださったのです。男性のものだといっても、その主人は男性ではありません。女性の場合も同じです。主人を差し置いて自分の思いのままに行動した人は、愛に背いたことに対する審判を受けなければならないのです。法の中でも一番恐ろしい法の罰を受けることを知ったならば、自分の妻を差し置いて、どうして他の女性を考えることができますか。反対に妻たちは、夫をほうっておいて、どうして他の男性を考えることができますか。

本来、男性が生まれた本当の意味はどこにあるでしょうか。それは、女性のために生まれたということを否定できないのです。その反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性の為に生まれたという事実を自らが確信できないところに問題が生じるということを、私たちは知らなければならないのです。


これを天地創造の大主宰であられる神様が、創造の原則として決められたので、その原則に従っていかなければ、善で、真で、幸福で、平和な世界、あるいは愛と理想の世界へ入ることができないのです。