■『ヨガの宇宙観』2.身体の多次元構造とサマディー | クリシュナ宇宙学校

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身体の構造と機能

ここではヨガにおける身体の概要について解説する。

人間の3種の身体構造
 ◆原因体(コーザル体)……心素・我執・微細生気。
 ◆微細体(アストラル体)
  ・理知鞘……理知
  ・意思鞘……意思・5微細知覚器官・5微細運動器官。
 ◆肉体
  ・生気鞘
    ・5主生気(ヴィヤーナ気・ウダーナ気・プラーナ気・サマーナ気・アパーナ気)・5補助生気
    ・3主気道(スシュムナー気道・ピンガラ気道・イダー気道)・補助気道(経絡)
    ・チャクラ
    ・クンダリニー
  ・9系統……骨格系統・筋肉系統・消化吸収系統・循環系統・呼吸器系統・泌尿器系統・神経系統・腺系統・生殖器系統

注釈

チャクラ
ここでは、「ヨガの宇宙観」との関係における「チャクラ」について解説する。
インド密教ヨガのタントラ経典やチベット密教カギュ派のタントラ経典などでは、身体には主要な7つのチャクラ(または6つのチャクラと1つの門)と、身体のあちこちにあるその他の小さなチャクラとがあるとされている。主要な7つのうち、会陰と頭頂を除く5つのチャクラは、脊髄に沿った5つのチャクラと、身体前面に沿った5つのチャクラとはそれぞれが対になって繋がっているとされている。
「密教」とは、「顕教」と対照をなす教えであり、「秘密の教え」を意味し、必ずしも仏教を意味しない。

主要な7つのチャクラと瞑想時に使用する化身との関係
1.ムーラーダーラ・チャクラ………下位幽体のチャクラ(会陰)
2.スワディシュターナ・チャクラ…上位幽体のチャクラ(臍下約3cm)
3.マニプーラ・チャクラ……………応身(変化身)のチャクラ(臍上約3cm)
4.アナーハタ・チャクラ……………法身(ほっしん)のチャクラ(胸)
5.ヴィシュッダ・チャクラ…………報身のチャクラ(喉)
6.アージュナー・チャクラ…………本性身のチャクラ(額)
7.サハスラーラ・チャクラ…………金剛身のチャクラ(頭頂)
その他のチャクラ
・スールヤ・チャクラ(太陽のチャクラ)……火元素と消化に関与(肝臓の右側)。ここに精神集中すれば消化作用が霊視できる。
・チャンドラ・チャクラ(月のチャクラ)……膵液の分泌に関与(膵臓近く)。ここに精神集中すれば消化液分泌作用が霊視できる。
その他のチャクラ……手の平、足の裏、関節、などに存在している。
それぞれの化身は、多次元宇宙の次の世界を担当しているとされている。
1.下位幽体……地獄界・動物界の微細次元とされている。(瞑想では使用しない)
2.上位幽体……人間界と低級霊界の微細次元。(幽霊が使う身体。いわゆる「幽体離脱」時の身体。瞑想では通常は使用しない)
3.応身(変化身)……粗雑次元(現象界。仏教の6欲界)と、その微細次元(下位アストラル次元)。
4.報身……現象界の微細次元以外の微細次元(上位アストラル次元)。
5.法身(ほっしん)……現象界の原因次元(下位コーザル次元)と、上位微細次元の原因次元(中位コーザル次元)。
6.本性身……それら以外の原因次元(上位コーザル次元)。
7.金剛身……真我。(サハスラーラ・チャクラは解脱への門とされるが、ここが開いても即「解脱」するわけではない)

多次元宇宙を瞑想体験しながら悟り・解脱に至るための「瞑想」は、各化身の身体に備わった感覚器官を使用して観察(霊視)したり、化身に意識を移し替えて瞑想客体を観察する技法でもある。
各化身が使えるようになるためには、各チャクラの浄化と活性化とが必要不可欠とされている。

なお、チベット密教カギュ派でも、ゲルク派等でも、5仏と関連づけてチャクラを5つとして説明する場合がある。
学研の『チベット密教の本』にも、3種類のチャクラ図が掲載されている(『チベット密教の本』55Pと77Pと80P参照)。5つとしている時の理由は、

・スワディシュターナ・チャクラを外すのは、「上位幽体」は瞑想で用いない不自由な低位の身体であるからである。
・サハスラーラ・チャクラを外す説は、ここは解脱への門であるとしている。
・アージュナー・チャクラを外す説は、アージュナー・チャクラはスシュムナー気道から分化した気道に存在しているので解脱と直接関係しないとしている。

サマディーの種類とプロセス

ここではヨガにおけるサマディー(三昧)の概要について解説する。

サマディー「サマディー」とは、瞑想の深まりとともに瞑想客体を認識しようとする「心素」と「理知」とが精妙な状態となり、その客体の精妙で本質的な面を捉え、分析し、その客体の「直接的な知識」をもたらしてくれる心理状態のことをいう。サマディーの境地では、5感を超える「直覚」に捉えられた知識が得られるため、疑いや誤謬が生じる余地がなく、想像力を働かせる余地もない、直接的知識が得られる。
(聖典の記述や聖者たちの教説を学んでも客体のごく一般的な知識しか得られないのとは異なる)

ラージャ・ヨーガのサマディー
ラージャ・ヨーガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。)
“ヨーガとは心素の働きを止滅することである”(『ヨーガ・スートラ』1-2)
“その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる”(『ヨーガ・スートラ』1-3)
そのラージャ・ヨガ瞑想における「サマディー」の種類とプロセスは次のようになるとされている。

1.解脱に至るためのサマディー……真我独尊に至るための三昧のプロセス。
 1.有種子(Sabija)三昧……心素内に想念を湧き上がらせる客体が存在する三昧。
  1.暗性優位の三昧……「空虚三昧」
  2.動性優位の三昧……明性が動性を助けるので、暗性に妨げられずに精妙な事物の知識を得ることができる。
   1.「有分別三昧」
   2.「有尋三昧」
   3.「有伺三昧」
  3.明性優位の三昧……明性に照らし出された客体のみが光り輝き直接智が得られる。
   1.「無伺三昧」
    1.「歓喜三昧」
    2.「我想三昧」
 2.無種子(Nirbija)三昧……心素内に想念を湧き上がらせる客体が存在しない三昧。
  1.「法雲三昧(無想三昧)」
2.宇宙創造の知識を得るためのサマディー……解脱に達した後に、宇宙空間内において知ることができる。

クンダリニー・ヨーガや密教瞑想のサマディー
1.サマディー以前の段階……瞑想体験したものが何であるのかを、まだ直接智によって知ることができない。推論と導師から教わることよって瞑想体験したものの知識を増やしながら多次元宇宙構造についての理解を深めていくプロセス。この知識によって自己の瞑想レベルを自己判断することができるようになる。
 1.応身(変化身)による瞑想体験
 2.法身による瞑想体験
 3.報身による瞑想体験
 4.本性身による瞑想体験
2.サマディー段階……超意識状態に入ると、何でも思いつくままに、実際にその事やものや状態を直接的に視たり知ったりすることができる(たとえば、「ワーム宇宙とは?」と思えば即ワーム宇宙に入って直接体験できる)ようになり、いろいろな経験を意識的に自由に造り出せるようになる。
3.真我独尊の状態……3グナ(根本自性)から完全に解放された自由な実在となる。3グナが遠くに光の粒子の集まりとして見える。
4.神我意識の状態……意識の無限の拡大があり、すべてのものが己の意識の中にある。たとえばインドに行きたいと思えばインドを思い描かなくてもその瞬間にインドにおり、1本の草の中にも宇宙のあらゆる原子の中にも自分を意識することができる。
5.宇宙意識の状態……それらをも超越し、己が宇宙のすべてのものの中にいると同時に、すべての創造活動を超越した喜びを感じる。

神意識に至るためのサマディー
神意識に至るためのサマディーとは、神我意識および本源意識に至るための三昧のことである。
 1.「サビカルパ・サマディー」
 2.「ニルビカルパ・サマディー」

注釈

◆「空虚三昧」……何の直覚も霊視も経験も得られないし、三昧境から覚めても空虚な思い以外の記憶がない。導師(グル)につかずに修行や瞑想する者は、ふつう先ず、この暗性優位の三昧境に入る。未熟な瞑想者は「無種子三昧」や「無想三昧」などとよく勘違いするが、その前の段階の瞑想能力や瞑想体験の有無で容易に判別できる。

◆「有分別三昧」……暗性が動性と明性に抑制されるようになると、粗雑な客体に集中することで、自我意識を持ったままで客体の色・形・名称が識別されるようになる。

◆「有尋三昧」……自我意識を持ったままで、粗雑次元の客体の姿・形、名称、その働きや相互関係についての知識が、推論によって識別される。

◆「有伺三昧」……頭頂部の微細次元を霊視すると、視ているものに対して次々と様々な疑問(大きさ、色、何から造られているか、その働きや目的はなにか、など)が湧くが、理知が意思の助けを借りてすぐに明快な答えが得られる。

◆「無伺三昧」……それまでの動性が弱まると、瞑想対象の客体が明性に照らし出されて光り輝き、“これは○○である”という直接的な知識が得られるようになる。

◆「歓喜三昧」……無伺三昧が深まり、心素が瞑想客体と1つになり、心素内にはただ1つの独特な歓喜状態の意識が流れ続ける状態。

◆「我想三昧」……この境地では、瞑想者はただ、“○○である”という思いだけを持ち続け、根本自性と真我とを識別できるようになり、心素内に直覚智が輝いて解脱を実現させてくれる識別智が得られる。

◆「法雲三昧(無想三昧)」……心素内部に瞑想客体がなくなり、完全な離欲の境地が実現され、真我は自己本来の姿に安住し、小宇宙(多次元身体)のすべての知識をすでに有している状態になる。

◆宇宙創造の知識を得るためのサマディー……ラージャ・ヨーガでは、以上が人間を解脱に導くサマディーのプロセスであり、解脱に達したあと、宇宙創造についての科学(神我の科学)の智慧を得る道に入るとされている。この瞑想法の詳細については、スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著『神我の科学』に記述されているとされる(※『神我の科学』に関しては、ヒンディー語の書籍であるため、日本語訳をお持ちの方のご協力を求めています)。
なお、クンダリニー・ヨーガや他のヨガないしサキャムニの瞑想法や密教系瞑想法では、多次元宇宙を瞑想体験しながら智慧を得ることによって、悟り・解脱に到達する道も存在している。

◆神意識に至るためのサマディー……真我独尊(解脱、仏陀)に到達したのち、そこから「神我意識」、さらには「本源意識」に到達するための瞑想。神に出逢ったことと、神のすべてを知ったこととでは、異なるからである。

◆「サビカルパ・サマディー」……瞑想者の意識は神の中に融合し、その肉体は硬直して呼吸も心臓もほとんど停止した状態になるが、瞑想者は仮死状態の肉体を完全に意識している。

◆「ニルビカルパ・サマディー」……瞑想者がさらに高い境地に達すると、普通の顕在意識を保ったままで神との霊交を持続して、絶えざる至福を味わうことができる。最高の境地に達した大師(マスター、解脱成就者、如来)だけが経験できる状態。

参考

1. 人間の体と感覚器官と物質について、パラマハンサ・ヨガナンダの著述があるが、その内容を要約すると次のようになる。

16種類の物質要素でできている「肉体」は、19種類の要素で構成されている電気的エネルギーでできた「幽体」と、35種類の観念で構成された「観念体」の影にすぎない。
「観念体」は、その中の19種類の観念が「幽体」の19種類の要素をつくり、残りの16種類の観念が「肉体」の16種類の物質要素をつくっている。したがって、わたしたちの体の本質は35種類の観念から出来た観念体であるとしている。
そして、それら35種類の観念の背後にある意識である『魂』こそが人間の真の実体であり、その『魂』は神の宇宙意識の火花なのである、と述べている。
「脳」から流れ出る地・水・火・風(空気)・空(エーテル)の5つのエネルギーで象徴される5種類の創造の波動が凝縮され、物質化されて、この物質界というスクリーンの上に肉体を映し出している。
人が物を感知する5つの「感覚器官」は、物質を構成する5種類の電気的エネルギーに対応しており、「聴覚」は空エネルギーに、「触覚」は風エネルギーに、「視覚」は火エネルギーに、「味覚」は水エネルギーに、「嗅覚」は地エネルギーに、それぞれ対応しているが、これらによって感知される出来事は、実は一種の映画のようなものであり、真の自分である『魂』を自覚する「超意識(コーザル体次元の意識)」を開発すれば、肉体が内なる自分の影にすぎないことがわかり、自分の体でどんなこと(たとえば水の上を歩くこと)でもできるようになる、と述べている。
(このヨガナンダの説明は、宇宙創造のプロセスによって形成された「多次元宇宙」と「人間の身体」について、その構成要素の面から説明している。ここでの「観念体」とは原因体ないしコーザル体のことであり、ここでの「幽体」とは微細体ないしアストラル体のことである)

2. サキャムニ(釈迦牟尼)の見解の解釈が分かれる理由

「सर्व धर्म अनात्मन् sarva-dharma-anaatman(諸々のダルマはアートマンではない)」の解釈の違いから生じている。
「諸々の法則や観念は、真我ではない。(よって、諸々の法則や観念は実体(実相)ではない)」と理解する立場。
サキャムニが説いた主要な瞑想法の中に「四念処(四念処瞑想法)」がある。この「四念処(四念住)」とは、「身・受・心・法(身体および物質、感覚器官による感受、心、法則や価値観や概念や思い込みといった観念)という人間を構成しているこの4つは実体(実在、実相)としてのアートマン(真我)ではない。よって執着するに値しないものである、ということを多面的に観察し論理的に解析して断じていき、その結果、この4つの「実体でないものへの囚われ」から解放されて(解脱)、実体である「唯我(真我)独尊」を達成するための瞑想法であるが、サキャムニは諸法をこのように「この地上の諸々の観念」として用いている、とする見解である。
(この見解は、「ヨガ」の見解と合致している)

「この宇宙のすべてには実体がない。よって、すべては無常なる「空(くう。空 (仏教))」の因果律によって生起するものである」と理解する立場。
大乗仏教の成立以後、多くの者に広まって信奉されている見解であり、日本の仏教界にはこの見解が広く普及している。
(「宇宙のすべて」が、「真我以外の宇宙構成要素」を指す見解であるならヨガの見解と矛盾しないが、「真我を含めたすべて」を指す見解であるならヨガの見解と異なる)

「この宇宙にはアートマン(真我)というものはない」と理解する立場。
仏教はアートマン(真我)を否定しているところに他の教えや宗教とは異なる特徴がある、とする見解である。
日本の仏教学者や仏教界には、この見解を支持している者も多い。

「この宇宙には自我を認識する「我」というものはない」と理解する立場。
といった見解がある。