ネットを見ていて、変な記事を見つけた。
朝起きたときに猫を撫でながらある呪文を唱えると、その日必ず幸福なことが起きるのだそうだ。
まさか。一笑に伏したつもりだった。
だが翌朝、目が覚めると目の前にうちの飼い猫が丸くなっていた。
ものはためしだ。
ボクは猫を抱きかかえてパソコンに向かい、サイトを呼び出し猫を撫でながら呪文を唱えた。
朝食のとき、妻がボクの顔をのぞきこんだ。
「どうしたの?朝から嬉しそうな顔して」
「いや、なんでもない。なんか今日はいいことありそうかなって」
「バッカみたい。でも、いつもの辛気臭い顔よりずっといいよ」
職場に向かう電車の中でもワクワクしていた。
いつ幸福が舞い込んできてもいいように心の準備をしておかなくては。

その日の晩。
「で、どうだった?いいことあったの?今日」
妻から聞かれて、朝の呪文のことを思い出した。
会社に着いて仕事に没頭してしまい、すっかり忘れてしまっていたのだ。
で、今日一日をふりかえってみて・・・
特別、幸福なことって何もなかった。いつもとおんなじ、平凡な平日にすぎなかった。
いい年して呪文なんて。
「どうしたの?なに笑ってるの?」
ボクは妻に猫の呪文のことを話した。話の途中から妻がけたけた笑った。
「なにがそんなに可笑しい?」
「フフフ、ゴメンナサイ。平凡な一日って、けっこう幸せなのかもよ」
そういう考え方もないではないなあ。
「あのね、今朝あなたがご機嫌だったから、あたしは今日一日とっても幸せな気分だったわ」
そう言ってボクの肩に頭をのせた。
ボク自身でなくボクと接した人が幸せになる・・・なるほど、そういう呪文だったんだ。
妻の肩に手をおいて、結果的にボクも幸せ気分に満たされて・・・
「それでね、買い物に行ったとき、つい奮発してネコ缶買っちゃった。いつもより高級なヤツ」
足元で丸くなっていた猫が、幸せそうに目を細めて口の周りを舐めた。
田舎道を軽トラで走ってK町に着いた。買い出しはいつもK町で済ませている。
が、様子が変だ。
道路を行き来しているはずの車が走行車線で止まっている。
車の間をぬいながら止まった車の中を覗くと、どの車にも人が乗ったまま動かない。
何やってんだ、こいつら。
いつもの店の駐車場に車を止め、店内へ。
店の前に数人が歩いている。
いや、歩く姿勢のままで停止している!まるで一時停止ボタンを押したみたいに。
店内も同じ。
店内はしんと静まり返り、カートを押す客もレジ打ちの娘も、みんな動作の途中で静止している。
時間が停止した世界に、ボクひとり取り残されてしまったんだ!
ど、どうしよう・・・。
店内を見渡しているうちに、今なら好き放題持って行けるなあ、なんて魔がさしてしまった。
どうする?バレるなんてことあるだろうか?
数分間の葛藤ののち、ボクが商品棚の品に手をかけた瞬間。
店員の腕が、ほんのかすかにピクリ。
・・・
動いたよな?今。
店員をじっと観察した。すると、店員の後ろの客がまばたきをひとつ。
ボクは鳥肌が立った。
こいつらみんな、時間停止したフリをしている!
特殊効果で処理できなかった頃のSF映画で時間停止した場面と同じ。演技の時間停止だ。
しかし、なんのために?
・・・まさしく今、映画の撮影の現場に入り込んでしまったのか?
いやいや、それならとっくにカット!の声がかかっているはず。
・・・これはもしかして町あげての、『だるまさんがこ~ろんだ』企画なのでは?
いや、それならボクはとっくにオニにつかまっている。
・・・そのうち、みんなが一斉にハッピバースデイのハミングをはじめて、ボクの誕生日を祝福・・・。
いや、今日はボクの誕生日じゃないし!
商品に手をかけた姿勢のまま、ボクは考え続けた。
すると、ふと別のアイディアがよぎった。
『ボクもまた、この姿勢のまま、みんなと同じように止まってしまうのはどうだろう?』
そしてボクはホントに、そのまま動くことをやめた。
しばらくすると、血相を変えた女が店に飛び込んできた。ボク以上にマヌケな感じで。
一瞬、彼女に声をかけようかとも思った。
だが、他の誰も彼女に声をかけずに止まっているのには理由がありそうだ。
時間が止まってない連中のほうが増えて優勢になった頃に合流するのが得策だろう。
そう思って声をかけるのはやめた。
そしてそのとき、みんなが停止してしまった理由がなんとなくわかってきた。
『成人式なんて誰が行くものか。
生まれて20年間経ったという、その単なる時間の長さになんの意味がある?
長い睫毛をつけたケバい振袖ギャル。酒を飲んで羽目をはずす羽織りのヤンキー。あんな奴らと一緒にされたくない。
本当に値打ちのあるオトナになってこその成人だ。タテマエだけの儀式なんて御免蒙る・・・』
キーボードを叩いていると、部屋の外から母親の声がした。
「今日は大切な日なんだから出てきておくれ」
「うっせーババア!」
部屋から出ないのも選択なのだ。ここから出るときは自分で決める。
「頼むよ。お客さんなのよ」
客?俺に?俺のほうに会う用などない・・・
次の瞬間、俺の部屋のドアが蹴破られた。
止めようとする母親をふりきって入ってきたのは、軍服姿の大男だった。
「出て行け!ここは俺の部屋だ!」
大男がギロリと睨んだ。
「ここがどこだって?」腹の据わった低い声。
「俺の部屋だ!」
俺の胸ぐらをつかんで軽々と持ち上げる。
「違う。ここは地球だ。そして地球は隣星と交戦中なのだ。成人になった貴様に徴兵命令が下ったのだ」
大男が手を放すと、俺はどかりとその場に崩れ落ちた。
俺の部屋を見渡し、棚に掛けてあったワンショルダーを俺に投げてよこした。
「これに荷物を詰めろ。10分以内だ。いいな」
「ムチャだ。これっぽっちじゃ・・・」
「遊びに行くんじゃない。グズグズするな」
俺が口を開こうとすると、男は拳銃を取り出し、俺に銃口を向けた。
「おまえに選択の余地はない」
俺は慌ててパックに下着類を詰め込む。
こいつに何を言ってもムダだ。こいつは上官の命令でここに来ているにすぎない。
とにかくここは従っておくしか・・・。
10分後、俺は軍用トラックの荷台に載せられ、大勢の若者たちとともに訓練キャンプへ向かった。
・・・
「むりやり前線に送られてから二十年になるかなあ。今じゃよかったと思っているよ。あの日を境に、俺も星人になれたわけだから。自分が何かに属している、この感じが最高なんだよな」
「実を言うと、俺もその昔強制的に徴兵されたのさ。歴史は繰り返すってわけだな」
戦場で言葉を交わす二人。そのどちらが、あるいはどちらかが、あの時の誰かなのだろうか。
まあいい。誰も彼も似たりよったり。
確かなことは星人であることだけ。
平日の午後、さすがに風呂屋に客は少なかった。
サウナ室に入る。先客はなかったが、ボクの後ろからもうひとり入ってきた。
テレビの前にボクが座る。少し離れた位置で男が胡座をかいた。
ボクは12分計を見上げた。
この時計の長針が一周して同じ数字になる12分後がちょうどいい頃合いなのだ。
テレビでは、ロボットが補助教員として学校に配備されたニュースをやっている。
ロボットの社会進出が著しい。
最初は介護や工事の現場などの重労働を手伝うことから始まった。
だが今や教育現場のみならず、そこかしこでロボットを見かけるようになっている。
胡座をかいていた男が腕組みをして話しかけてきた。
「各教室、担任の先生とロボット教師がチームで児童生徒の指導に当たるそうですよ」
「それに安心感をもってしまうから不思議ですね」とボク。
「ロボットのほうが信用できるってのが皮肉ですよねえ。次は警察ロボらしいですよ」
「その次は政治家ロボですかね」
軽口を叩くボクの顔を、男がしげしげと見た。
「おや?汗をかいてませんね?」
「汗をかきにくいんですよ。特に冬場は。さすがにサウナにロボットはないでしょう?」
男が笑った。
「そうですねぇ。ア・・・でも刺青の客にお引き取り願う役とか。あれはロボットにお願いしたいな」
「さすがにまだそれは」
いつのまにかボクも男も汗をポタリポタリ。
「ほら、出てきたでしょう?」
「いやいや、サウナの中で人間に混じって違和感がないように汗をかく機能がついてたり」
可笑しくなって二人とも吹き出した。面白いことをいう男だ。いい暇つぶしになった。
えっと・・・そろそろかな・・・
男が頭の上で両腕を組んだ。そして胡座を組んだ姿勢のまま全裸で逆立ちに。ヨガの行者か!?
「ハイお客さん、12分で~す」
な~んだ、砂時計かあ。
客足が遠のいたのを潮時に、店に入るとレジで彼女に声をかけた。
「あの、注文いいですか?」
「はい、どちらでございましょうか」
ボクはひとつのドーナツを指さした。
「コレ、ひとつ。コレの穴のとこだけ」
彼女、しばし停止。
「うけたわまりました」
おもむろに彼女は白い小袋を取り出し、ドーナツをトングでつまみあげ手際よく収めた。
「いや、ドーナツじゃなくて・・・」
「5円になります」
なりゆきのままに財布の中から金ピカの五円硬貨を出した。
硬貨を受け取った彼女は、レジの中へチャリン。
そして、いったん綴じた袋の中からドーナツを出してショーウィンドウに戻す。
次に、レジからさっきの五円硬貨を取り出してボクに渡した。
ボクの手には、空っぽの紙袋と五円玉。
「ドーナツの穴の代金として、五円硬貨の穴を頂戴しました。お買い上げありがとうございます」
・・・
一休さんかよっ。
彼女らしいといえば彼女らしい。負けるもんか。
「あの、もうひとつほしいのがあるんだけど」
「どちらでございましょうか?」
「君がいなくなった穴」
彼女の営業スマイルが翳った。
「そちらの商品は只今切らせております」
「君が出てって君の大切さがようやくわかった。君じゃなきゃ埋められないんだ、心の穴」
「申し訳ございません。そちらの商品はお時間をいただきませんと」
「いくらだって待つ。だから戻ってほしい。お願いだ」
彼女、しばし停止。
「うけたまわりました」
「え?」
「ご注文、うけたまわりました。今夜6時、ご自宅のお届けでよろしかったでしょうか」
彼女に屈託のない笑顔が戻っている。
いや、目もとが少し潤んでいる。
「あの、代金は?」
「こちらの商品、これほどになりますが」
彼女が右手の薬指を掲げた。
なるほど・・・リング、か。こればっかりは穴だけじゃ勘弁してもらえまい。
「大丈夫、今度はまじめに働くから」
店を去りぎわ、ボクの背に彼女が声をかけた。
「お客様、よろしかったですね、ゴエンがありまして」
ふりむくと彼女がウインクした。
・・・一休さんかよっ。