「キミに涙は似合わないよ。このハンカチを使いなさい」
通勤電車内で涙を流していた私に、ハンカチを差し出したのは阿部寛そっくりの紳士だった。
どぎまぎしてハンカチを受けとると、男は苦み走った笑みをひとつ、電車を降りていった。
ほんの一瞬のできごと。お礼を言う間もなかった。
ハンカチを頬に押し当てると、さわやかな香りがした。
彫りの深い顔立ち、よく響く低音ボイス。なんて素敵なのかしら、阿部寛。
それにしても私、電車の中で涙なんか流しちゃったのかしら。
私は、昨晩の『志村どうぶつ園』の感動シーンを思い出していたら、つい・・・。
でも、涙が出てなかったら、出会いはなかったわけだから、結果オーライかな。
とにかく、お礼をちゃんと言ってハンカチをお返ししなければ。
てなわけで、私はハンカチをお洗濯してアイロン掛けて、通勤バッグに忍ばせた。
阿部寛との再会を期して。
ハンカチと一緒にお礼のチョコレートも入れてある。
チョコの包装紙には、私の会社の名刺が挟んであるわ。
そして私は再会の日を待った。来る日も、来る日も。
だがなかなか会えない。
郊外を走る通勤電車内はさほど混んでいるわけでもないのに。
ああ、どうしちゃったんだろう、阿部寛。

もう半分あきらめかけていた、ある朝。ついに阿部寛を発見!
彼は車内を見回している。私がバッグに手を入れて近づいていくと・・・。
彼は、あらぬ方向へとツカツカ進み、ひとりのOLにハンカチを手渡した。
「キミに涙は似合わないよ。このハンカチを使いなさい」
そして、彼は別の車両へ。
ど・・・どゆこと?
ハンカチを渡された娘は頬を染めてハンカチを握りしめている。私のとそっくりのハンカチを。
私はハンカチ出してじっくり見た。
ハンカチには刺繍文字・・・よく見たらブランド名なんかじゃなくて企業名だ。
つまりこれは、ただの広告?・・・ティッシュ配りみたいなもの?
そーゆーことか・・・。
すっかり脱力して、座席に腰を下ろした。
バッグからチョコを取り出してボリボリ食ってやった。
あ~あ、期待してソンしちゃった。ま、別のターゲットを探すとするか。
うん、あ、けっこうイケるじゃないの、うちの会社のサンプルチョコ。