七夕の日の決意 | NPO法人Ubdobe(ウブドベ)

七夕の日の決意

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七夕。

僕にとって一年で最も特別な日。

そんな特別な日だから、1年ぶりにブログに登場します。



八年前の今日、僕は母親を胃がんで亡くした。

僕がいま、このUbdobeを動かし続ける原動力となる出来事だった。


僕はその頃、毎晩毎晩、酒とクラブとDJバーに浸っていた。
大学生だったが、学校には行かず毎日朝帰りを繰り返していた。

そんなある日の夕方、またも街に繰り出そうとする僕に母親はこう言った。



「行かないで。。。」



見事なまでに鈍感で自己中心的な僕は、「は?何が?行ってきまーす!」と言って出掛けた。


それが当時住んでいた家で母親と交わした最後の言葉だった。


次の日に家に帰ると手紙が置いてあった。

「体調が悪くて入院することにしました。お見舞いには来ないでね。」と書いてあった。

すぐさま病院へ飛んで行き、病室へ入ると母親が薄い寝巻きにくるまれて眠っていた。
なんだかとっても痩せこけて見えた。

「いつからこんなに痩せてたんだろう?なんで俺は気付かなかったんだろう?」

一生続くであろう「後悔」が始まった瞬間だった。




僕たち家族は一ヶ月後に病院の近くに引っ越した。

毎日お見舞いに行っては面白おかしく話をしていたのだが、入院をして4ヶ月くらい経った時だろうか。。。


母親は、「もうこの病院を出ることはないだろう」というような話をするようになった。


どこまでも鈍感で無知な僕は、この期に及んでまで、本気で「何言ってるの?退院できるよ!」と言っていた。


そんな僕の言葉がどれだけ母親を深く傷つけていたのだろうかと今では思う。


しかし、僕は本気で母親が退院の方向性に進んでいるものだと120%信じていた。。。


「がん」という病名すら、大して気にかけていなかった。


どれだけ辛く険しい道を母親が突き進んでいるのか、想像すらしていなかった。


呑気に、「退院したら、天一のラーメンうまいから食いに行こうぜ」「ミスチルのライブいつ行くか?」などと言っていた。


今思うと、その頃の母親は水の一杯をもどさずに飲むのがやっとだっただろう。



今だから思う。「無知」は恐ろしい。「無関心」は恐ろしい。



そして、いきなりやってきた。


呑気な僕の考えを吹き飛ばす台風のような劇的な変化が母親の身には起こっていた。しかも悪い方の変化が起こっていたのだ。



ある日、いつものようにお見舞いに行くと、母親はベッドサイドにちょこんと腰をかけていた。


「お、どうした?」と言って僕が隣に腰をかけると、生まれて初めて母親が僕の肩に頭をもたれかけた。


しばらくして、ため息と共にこう言った。。。



「あんたに甘えてちゃダメよね」



僕は照れを隠すために、「なーに言ってるんだよ」と言った。決して冷たくあしらったわけではないが、「甘えていいんだよ」の一言が言えなかった。。。



それが母親と二人きりで交わした最後の会話となった。



結局、最後の最後まで母親は一人で闘い抜いたのだ。誰に甘えることもなく、たった一人で闘い抜いたのだ。




母親の死後わかったことだが、母親は自分が悪性の「がん」であることを2年以上も前から知っていたそうだ。



そんなことも知らずに、僕は最後まで呑気で鈍感で自己中心的な馬鹿者だった。



そんな自分を、八年経った今ようやく振り返ることができている。


そしてよりいっそう後悔がにじみ出てくる。




しかし悔やんでいるだけでは何も変わらないのだ。


悔しいならなんかしてみせろ。


行動に起こしてみろ。


表現してみろ。


反響させてみろ。


やってやろうじゃねーか。



みてろよ母ちゃん。



あなたの生(せい)とあなたの死が、私の生(せい)となっています。









平成22年7月7日

Ubdobe代表

岡勇樹



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