　「眠れる美女」の纏わりつくような享楽の光景から抜け出すため、次に必ず読むヨと計画していたのが、今さらながらの文学的劣等感、トルストイの「イワンのばか」である。

　この短編集は、以前古本屋さんに新しく入っていた裏表紙にバーコード無しのものを、目ざとく入手したものである。

　「イワンのばか」といえば、幼い頃どこかの本棚にあった背表紙のタイトルを見て、その齢ながら「なんで題名に“ばか”が入っているんだろう？」とずっと疑問に思っていたものである。

　それから実に三十数年、やっとその疑問を解き明かす時が来た。

　ちなみに「イワンのばか」には、さもしい悪魔たちが度々イワンたち兄弟の邪魔をするのであるが、悪魔の出てくる小説はひと捻り教訓めいたものがあって面白い。

　たとえば芥川龍之介の「煙草と悪魔」という寓話においては、人間の土壇場の智恵によって悪魔を退けるのであるが、「イワンのばか」においては、イワンをはじめとする人々の堅実な慎ましさによって悪魔が退いている。

　無論、金や権力の欲に目が眩んだ人たちはいっさんにドン底まで墜ちている。

　なぜイワンとイワンに就く人々が悪魔の手を持ってもドン底に堕ちなかったかは至極簡単であり、元々生活が慎ましやかで、上がる欲も下がるところも無かったからである。

　現実に置き換えてみよう。

人間は一度頂点に立てば、お金や一切のことについて感覚が鈍り、あらゆることにぞんざいになりがちである。

　そうなると今まで見えていた物事が結果、ほとんど見えなくなる上、いつの間にか自分の周囲は何もなくなり、転がるようにして堕ちていく。

　つまり、イワンは話中散々「ばか」と表現されているものの、地位やお金に流されず自分らしく生きるその姿は少々間が抜けてはいるが、堅実で利口な理想的な人間そのものの姿ではないかと思うのである。

　およそ一世紀以前の人の小説ながら、驕らず高ぶらずという人間の本質的な部分は、今の私たちにも十分参考にすべきではないかと思うのである。

利口な「ばかのイワン」から得る普遍的な教訓