「プレデター」に続いて長編小説として選書したのは、夏目漱石の「坑夫」である。


 前に読んだ決死のSFアクションから全く異なり、今度は文学性をそこはかとなく感じる一作を選んだのは半ば成り行きで衝動的なものである。


 この「坑夫」、ストーリー性においても文体においても、流石日本を代表する文豪だけあり無茶苦茶面白いのだが、数日かけやっと半分しか読めていないのは、明らかに自分の読書ペースが落ちているからである。


 多分しっかり読める人は、もう読み終えているぐらいではないかと思うほどリズムが軽快な読み物である。

作者のもので喩えると「坊っちゃん」ぐらい軽快だと思う。


 そして「坊っちゃん」以上に毒のある節回しは(ほとんどが主人公の手記中の観念であるが)、今の時代では少し度を超えた表現もあるため、「、、」でマスクされている箇所もあったりする。


 夏目漱石を読んだ人の雑感に「少々鼻に付く文章」というのを聞いたことがあるが、たしかに不快に思う人は不快かもしれない。

しかしながらそれを遥かに凌ぐストーリー構成と観念的表現に、そこはご愛嬌でとなることも少なくないと思う。


 さて、私が読んでいるのは旺文社文庫版の初版本であるが、少々下部に水濡れ跡があって部分的によれているのを除いたら、分かりにくい表現に注釈があるので、割と読者に親切なものと言える。


 「坑夫」は、自暴自棄に家を飛び出した当時19の青年が、ポン引きに捕まり足尾銅山の坑夫として働いた体験談を後年振り返って回想しているというのが全体像であるが、ここで前半部(あくまで私の中で)を少し振り返りたい。


 前述のとおり、主役の青年「自分」がポン引きに唆され足尾銅山に連れて行かれるのであるが、ここまでで文庫の頁で半分弱に及ぶぐらい分量が長い。


 では何故そんなに分量が嵩んでいるかというと、主人公が些細な事象も漏らさず、その時の心境を振り返るという本題からの意識的な脱線を試みているからである。


 勿論この細かさが面白い部分であるのだが、足尾銅山の町に入ってからがまた更に面白くなる。


 ポン引きが「自分」以外の「旅の仲間」を拾ってゆくのである。

まず、街道の食堂から「赤毛布」を、そして道端では小僧をと。




 それから暫く一行は目的の鉱山に向かって黙々と歩き続けるのであるが、この展開とこのイラストを見ると、私はあることが不意に浮かんでくる。


 何だか「ドラゴンクエスト」のパーティ、しかも「Ⅲ」の最初にルイーダの酒場から仲間を探し当て、四人縦隊でアリアハンの村を旅立つような感覚に強く符合するのである。

そして、あの「Ⅲ」の少し哀愁を纏った物悲しいフィールドのBGMが、この情景によく似合う。


 ちなみに「Ⅲ」の職業でいうと、「自分」=勇者、「赤毛布」=戦士、「ポン引き」=僧侶、「小僧」=遊び人といったとこだろうか…。


 その後鉱山に到着してからは、残念ながらこのパーティは解散になるのだが、斯くいう自分も話の中では、鉱山に向かう束の間の仲間たちの姿が終生忘れられないようである。


 さて、言いたかったことはこの作品の素晴らしさより、自分の受けた感触であったのだが、鉱山の職場に配属された「自分」がどのようになってゆくかが後半の面白さとなりそうである。