コロナ禍ですっかり参加を見合わせ中の読書会の、いつかの課題本がサガンの「悲しみよこんにちは」であった。


 例によって、本に対しては一際変質性をはたらかせる私という者は、参加出来ないながらも独自性を持たせようと、この作品の装幀の吟味を始めたところ、ようやく見つけたのが水色基調の新潮文庫版カバーであった。


 しかしながら懸命の捜索の末、新潮文庫版に更に古いカバーがあることが、とある古本屋さんの数年前の紹介ツイートにて判明した。

 もう数年経っているから駄目だろうと、その古本屋さんに問い合わせてみると、丁寧にもやはり売れてしまっているとの返答をいただいたので、仕方なく(仕方なくはおかしいが…)前述の装幀のもので通読した。


 私のような者がこの名作を語ると、甚だ作品の良さを損なってしまうことになるので、敢えてほとんど雑感を綴らないが、若さゆえの多感な少女の感情とそこはかとないアンニュイな感じ、だから若いって悲しくなるんだという主役の少女セシルの思いがひしひしと伝わってくるものであった。


 それからしばらく時が経ち、ある日のオークションを覗くと、あの時懸命に探したものが出品されているのである。私が持っているのと同じ水色カバー版とともに。


 水色カバーはダブるものの、目あての装幀はこれを逃すともうなかなか出てこないだろうという思いの元、無事落札まで運び、今も私の本棚に収まっている。

 この鳥とも怪獣とも言えないイラストが、特別感を誘ってとてもよかったのである。



 この向い合せは、少女と大人の女性の狭間で素直になれないのセシルと、女たらしの父レイモンを司っているのか。

それとも、セシル自身の綺麗な心と棘のある心の両面を表すものか。