基本設計(9)極性(分極)と脱分極 | クラスタ民主主義システム研究室

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先日から心理の極性について考えていました。左右、勝負、正誤、美醜、優劣、高低、善悪…


ヒトの意識は極性を持って論考するようにできています。


これは論考だけではなく感情にも類似した様子を観察することができます。


好き嫌い、嬉しい悲しい、楽しい苦しい、渇望と満足なども対極にあります。


しかし、動機や衝動や欲はちょっと違っています。


選びたい、遊びたい、探したい…(そのうち動機や衝動などについても書きたいと思っています)


でも、こうした事にもそれぞれに否定があるので、対極になるよう極性があると言えるでしょう。


この極性という考え方が心理学であるのかな?と思い検索してみたところ集団極性化 という用語がありました。


以下、転載

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集団討議の結果、討議前の個人の意見よりも先鋭化したかたちで集団決定がなされることをさす。このうち、討議前よりもリスク愛好的な決定がなされる場合はリスキー・シフト、リスク回避的な決定がなされる場合はコーシャス・シフトという。一般的には、リスク愛好的な人々が討議した場合はいっそうリスク愛好的に、リスク回避的な人々が討議した場合はいっそうリスク回避的になる。


なお、こうした現象は、集団決定だけでなく社会的態度一般についても確認されている。この場合、個人の元々の態度が集団討議によっていっそう強化されることになる。例としては、自国の政府指導者に対して好意的な人々が討議するといっそう好意的になる例や、アメリカに対して非好意的な人々が討議するといっそう非好意的になる例など。

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ヒトの集団では右に倣え左に倣えとドンドン極端へと向かいます。いまのフランスがまさにそうですし、これから同様に極端へと向かう国々が増えていくことでしょう。どこの国とは言いませんが…


人々の集団だけではなく国々の集団にも集団極性化が作用するのだと思います。





このような極性または分極は自然界と同様に人々の心理でも発生すると考えて良いでしょう。


しかし、右か左か、善か悪かという二極でピストン運動のように行ったり来たりしていても動きがギクシャクしています。極端へと向かう性質を回避できない…



ピストン


それで、二極に分極する極性に加えて分極を消し去る「脱分極」を作用させるべきでしょう。これは、ちょうど止揚や中庸や空の心の位置に相当すると思います。


双葉から芽を出して新芽を出す…



本葉


双葉が先ずあり、その次に本葉が芽を出すわけで、論考も二極の次、さらに次…と成長を試し続けていく。


そうするとピストン運動のエンジンからロータリーエンジンとなりスムーズな動きになります。


心のエンジンは三極目があるロータリーエンジンが良い…



三つ巴


だから、三つ巴なのだと思います。





このような心理動態は脳の仕組みに起因していて分極(極性)と脱分極はフラクタルなシステムの根源と言えるでしょう。こうした極性の中で、極端(分極)へと向かい論考が固定していくのか、脱分極して自由へと向かい論考が可動となるのか、対話や議論において集団極性化を防ぐ一助となるでしょう。そして、個人においては大河に流されることなく独自に論考(THINK)していくために必要な「型(フレームワーク)」と言えるでしょう。


こうした極性(分極)と脱分極の理論を心のエンジンに誰しもが利用できるよう図式化するなどして記述や討論に利用すれば、人工知能のアドバイス機能に呑み込まれて人類がマシンに飼育されることを防ぎ、人類が論考(THINK)で人工知能マシンをコントロールすることに役立つに違いありません。


いまどこに極性化(分極)しているのか…


そこからどうやって脱分極したらいいのか…


己を見つめ直し、己に問い直していたいものです。


ウサギ