織田信長は、諸将に命じ
伊賀全域に殲滅指令を下した・・・。
城や里に限らず、村という村、
山という山、寺という寺が攻撃にさらされ
坊主も忍びも女も・・・殺されていった。
世に言う、『天正伊賀の乱』である・・・。
信長が、なぜここまで
残忍な処置を行ったのかは定かではない。
だが、この乱で伊賀は大きな痛手を負った。
頭であった百地三太夫も
この混乱で命を落としたのか
行方不明になり・・・、
伊賀の忍び衆は、壊滅的な打撃を受け、
信長の残忍さは
さらに強調されることとなったのである・・・。
>大殿は、どうされてしまったのか・・・。
>このように残忍なことを・・・。(羽柴秀吉)
諸国に、織田家に従わぬ者がどうなるか
見せしめるためとはいえ・・・、
左様なことをすれば、民心が離れていきます。
>悪い影響が出なければ良いが・・・。(羽柴秀吉)
▼覇道の章 №49 侍大将昇進