「苦しいことは大事にしよう」という教えを身につけたい | ちぐとハグのブログ

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ブログのタイトルを考えているとき、うちのウサギのはぐと目が合いました‥



横田南嶺さんの管長日記から。


これ、YouTubeで何度も視聴していて、そのたびに「ああそうそう!そうだよ!そうだったよ!」と強く納得するにもかかわらず、次の瞬間、再び今までと同じ反応をしてしまっている自分がいます。
いい加減身につけたいなあと思い、今回はブログに書いてみます。

ひろさちやさんの「まんだら人生論 下」からの引用でした。
「風邪をひくと、私たちは、治そうと、身体を大事にする。
われわれが人生において苦境に立たされたとき、その苦しみを大事に扱ったほうがよい。 苦境から逃れようとすると、かえって苦しくなる。 いやだ、いやだと思っても苦しみが軽減するわけではない。 だとすれば、その『いやだ、いやだ』と思う気持ちの分だけ余計なのだ。 苦しみを大事にし、苦しみを楽しむ気持ちになるのが、苦しみの解消の近道だと思う。」
 と苦しみとの向き合い方について説き進めておられるのであります。 

まさしく仏教は、この「苦」すなわち、「思うとおりにならぬこと」をしっかりと受けとめ見つめてきた教えであります。 

 「老いや病や死が迫ってくるのを人々はどうしてもふせぐことができません。 ただ、この忌まわしい事実から眼をそむけているだけです。 実践としての仏教は、この厳然たる事実から眼をそらすことなく、その事実に立ち向かい、その苦しみを見つめるのです。」

「生も苦しみである。老も苦しみである。病も苦しみである。死も苦しみである。愛さない者と会うことも苦しみである。愛する者と別離することも苦しみである。すべて欲するものを得ないことも苦しみである。要約していうならば、五種の執著の素因(五取蘊)は苦しみである。」

ここに説かれていることが四苦八苦なのであります。
「四苦八苦」は『広辞苑』にも 「生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。人生の苦の総称。」と解説されています。 『広辞苑』にはそれぞれの説明もあります。 
「愛別離苦」とは「親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ」です。
「怨憎会苦」とは「怨み憎む者に会う苦しみ」。 
「求不得苦」とは「求めるものが得られない苦しみ」。
 「五陰盛苦」とは、「五陰から生ずる心身の苦しみ」ということです。
五蘊というのは五つの集合要素なのです。 
五蘊は、色受想行識の五つであって、『仏教辞典』には、以下の通り解説されています。
<色>は感覚器官を備えた身体、
<受>は苦・楽・不苦不楽の3種の感覚あるいは感受、
<想>は認識対象からその姿かたちの像や観念を受動的に受ける表象作用、
<行>は能動的に意志するはたらきあるいは衝動的欲求、
<識>は認識あるいは判断のこと

それではなぜ我々は苦しみ悩むのでしょうか。
一つは、この世のすべてのものが移り変わる無常なものであるのに、いつまでも常住であってほしいと願う執著の心からです。
 もう一つは、我々がいろいろな欲望をもっているから苦しみ悩むのです。自分のものと思うと、執着が生じるのであります。 そしてその執着が苦しみをもたらすのです。 

「苦しみ」の本質は肉体的な、また精神的な苦痛だけをいっているのではなくて、「自分の望むようにならないこと」をいっているのだと思われます。苦はまさに思うとおりにはならないことを意味しています。 思う通りにならぬ世の中と思って、執着を離れ、感覚からもたらされる欲望を制御して生きるのであります。 




難しいことだけれども、本当にその通りだと思えば、楽になるのです。
何故自分は、あの人のことを思い出すと、すごく嫌な気持ちになるのか? 辛い気持ちになるのか? 何故その人を避けようとするのか?
きっとそれは、「あの人に、自分のことを愛してほしい、自分のことを認めてほしい、自分のことをほめてほしい。だってこんなに尽くしているんだから」
みたいな感情、相手を、自分の思っている通りに存在して欲しい、と考えてしまっているからだと、気づく。

嫌な気持ち、苦しみがなくなるわけではないけれども、そうやって自分のこと、相手のことをしっかりと意識するだけで、相当スッキリする。

「畑の土が生きているから、野菜だけじゃなくて、草も生えてくる」という話と併せて考えます。
「私が生きているから、私が大切にしたいものだけが育っていくのではなくて、そうじゃない感情も、芽生えてしまう」ということに違いない。

綺麗な野菜だけが育つ畑なんて不自然。
生きていると、いろんな感情が芽生えてしまうのが当たり前。

そしてそれが、野菜の成長をダメにしてしまう前に、自尊心を傷つけるほどに大きくなる前に、そっと摘み取ってしまおう。

そんな風に思えた今日でした。

嫌なことについて、じくじくと何度も思い返しては腹を立てたり、悲しい気持ちになったりする、まさに「苦」の感覚について、少しスッキリしました。

また、同じことがぶり返すかもしれませんが、そんなときには、また、このブログを読み返したいと思ったのでした。