BS歴史館 江戸のスーパー日本人を観て | マイ フレンド

マイ フレンド

あなたを想うだけで心は強くなれる・・・
ずっと見つめてるから 走り続けて・・・
どんなに不安がいっぱいでも 真っすぐ自分の道を信じて・・・
マイ フレンドは友へ想う気持ちと自分というマイフレンドへいつも想い続けたい・・・

暑くてジメジメして梅雨真っ盛りな時期ですが

昨日は二十四節気でいう夏至に当たる日でした。

夏至とはご存知の方も多いと思いますが

「一年で、昼間が最も長く、夜が最も短い日」だそうですが

実際には少し違うようです。一週間くらいの差があるそうです。

あくまでも暦の上での話しなのですけど。。。

で、ついでにどんな風習があるかと言うと

ネットで調べたところを抜粋しますと

・・・地方によって様々で、
関西ではこの日にタコを食べる習慣があり、
関東地方では焼き餅をお供えたりします。

沖縄では、この頃に吹く季節風を「夏至南風」といいます。
この風が吹くと、梅雨が明けて本格的な夏の訪れるそうです。

だそうです。冬至はカボチャらしいですが
夏はいろいろ地方によって違うのですね。

余談ですが、前置きはこんなところで

さて先日wowowの「BS 歴史館 江戸のスーパー日本人」という番組がやっておりました。
この日の人物は江戸時代前期に活躍した和算家(現在の言い方に置き換えると数学者)、
関孝和という人物のお話でした。

この人無くして今の日本の数学の発展はなかったとも言われている
スーパー日本人らしいです。
日本数学史上最高の英雄的人物とも書かれております。
算聖と言われている人物とも。。。

数学者の中では知らない人はいないほどの超有名人らしく
特に海外の人が何故か知っていることが多いみたいです。

私は学が無く、数学は(も)苦手なので分からないこと多いのですが
この人物は昔名前だけ聞いたことありました。
でも全然知りません。

番組の中ではこの人が居なかったら明治維新は無かったとも言われる偉業を行った人と言ってました。
時代は幕末・明治より遡ること100年以上前の人物です。
日本はこの頃「数学」ではなく「和算」という算術の呼び方で
当時の計算を行っていたそうです。
そろばん使ったりいろんな道具を使ったりして
計算していました。
そこで登場したのが関孝和でした。
どんな人物かは↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AD%9D%E5%92%8C
(詳細も載っております)

私は細かく書きませんがネットでの情報を抜粋しますと
円周率の近似値が必要になったので小数点11位まで算出したことや
ヤコブベルヌーイより1年も早くベルヌーイ数を発見したこと
西洋の微分積分学の発展とは独立に、
方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、
求長・求積に関する業績を挙げているそうです。

番組内では江戸時代当時の数学のレベルは今の中学生位のレベルと言ってました。
でも関孝和という人物は大学院クラスの頭脳の持ち主で、
江戸の和算ブームに火をつけて日本人の和算のレベルを引き上げたそうです。
和算が発展した頃の江戸時代には和算家という職業もできて
全国津々浦々どこにでもいたそうです。
当時数学と言えばクイズ形式で本を出版したり
それを解いては、クイズを作り、また解いてなど
結構盛んだったらしいです。
(それも驚きの発見でした)

人物的にはおとなしく
人を寄せ付けないちょっと変わった人物だったと言われております。
しかし弟子には恵まれ関孝和の偉業が有名になったのは
弟子の活躍もあったそうです。
関流という和算の開祖であり、彼の死後も多くの弟子達によって意志が受け継がれ
いろいろな分野で偉業を成し遂げた弟子も生まれそうです。

中でもちょっと気になったのが
今とほぼ同じくらい正確な日本地図を作った
伊能忠敬の協力者にも、関流の和算を受け継いだ人物がおりました。
その人物の作った能登半島(石川県)の地図は
現代の地図とほぼ同じというほど正確なものと言われております。

番組内では更に
黒船来航以来、幕末、なぜ日本が諸外国の植民地にならなかったのかというと
こうした数学術を既に学んでいたことが功を奏し、
諸外国の文明を受け入れるのにすんなりと入っていたからとも言ってました。
もちろん日本人の気質もありますが、
こうした凄い日本人が江戸時代にいたなんて、とても感動しました。

日本の学力も捨てたものじゃないですね!

皆さんも気になりましたらちょっと調べてみてくださいね(^^)

まだまだ凄い日本人がこれから観れると思うので番組を楽しみにしております。

それでは!