皆さん、お久しぶりです(^^)
雨降らないかなと思っていた先日までとは違い
関東地方も雨が降って漸く梅雨らしい天気になってきましたね。
でもちょっと雨止んでくれないかなぁと思うんですが
仕方ないですね。
気温も上がり暑いですが。。。部屋の中は28℃。。。
エアコンつけようかな。。。我慢します。
さて本題ですが
今日NHKの大河ドラマ「八重の桜」を観ていました。
(といいますか、毎週欠かさず観ています。)
簡単に説明しますと
時代は幕末~明治で会津に山本八重(新島八重)という砲術指南の家の娘の話なんですが
1月から放送されていますが、今はいよいよ幕末戊辰戦争で舞台は東北戦線。
錦の御旗の元、明治政府軍(官軍)の薩摩・長州・土佐藩他が
旧幕府軍・会津藩討伐の為、東北へ戦線拡大で進軍しているところが現在の舞台。
戊辰戦争といえば鳥羽・伏見の戦いや
会津戦争や五稜郭戦争が有名な幕末の舞台ですが
悲しいドラマをまた発見しました。
そこは現在の福島県二本松市にあたる二本松城。
ここを突破されたら会津城まですぐそこというところ。
二本松藩がここを守っていましたが、
歴史の紐を解いていくと、激戦区とも言われたところらしいです。
私はそれまでは知らなかったのですが
今日観たらなんだか凄く悲しくなって自然と涙流しておりました。
戦力が乏しくなっていた二本松藩は最年少12歳から17歳の
年端も行かぬ少年の兵も戦場へ行くことになりました。
白虎隊は16歳~17歳が中心でしたが
後に二本松少年隊と名づけられたその少年兵は
勇猛果敢に官軍に向かっていくのですが
如何せん官軍の新技術の銃や大砲の前では戦力差が違い過ぎて
少年兵を指示していた隊長、副隊長が落命し、
少年兵十数名も戦場で命を落としいく姿が描かれていました。
まだ小学生や中・高生の少年達があまりにも悲しすぎて
涙が出てしまいましたね。
誰が良いとか悪いとかじゃなくて時代の背景で
このようなことが起こっていたなんて悲しい歴史の一ページを
初めて知りました。
二本松藩は奥羽越列藩同盟の会津藩の為、負け戦承知でも
最後まで義に殉じた雄藩だと思います。
ネットで調べてみると、この二本松戦線が最大の激戦区とも言われているらしいです。
死者の数で言えば他の藩も200名を越えるのでありますが
二本松藩は300名を越える激戦だったそうです。
(少年兵も含め)
次回はあの有名な白虎隊がタイトルになっているので
どんな風に描かれているのか興味が湧きます。
二本松藩についてはいろんなサイトがありますので
是非調べてみてくださいね。
それでは!