僕の愛読書である
古事記・日本書紀の原書と言われる、
古文書『ホツマツタヱ』には、
竪穴住居(ムロヤ)を発案したのは、
初代アマカミ(古代の天皇)、
クニトコタチ(国常立尊)
と書かれています。
(↑前回のブログ)
そして、
クニトコタチが竪穴住居を広めると同時に、
民衆(タミ)に広めたのが、
木の実の栽培でした。
クニトコタチと、その一族は、
キクサ(木草)を、
ツト(苞←土産)に、
【(高収穫が期待できる)木や草の苗を土産にして】
全国を駆け巡ったと『ホツマツタヱ』には
書かれています。
栗、クルミ、トチノミ、シイノミなど、
木の実は、
縄文時代では、今のお米にあたるような
主食でした。
また、
木の実の中でも、
アク抜きの要らない
「栗」が最も重宝されました。
縄文時代中期(5470年前〜4420年前)
の遺跡が、非常に多いのは、
気候が温暖で、栗の収穫が良好で、
安定した生活が送れたからではないかとも、
考えられています。
青森県の、
三内丸山遺跡の発掘調査では、
栗の木が品種改良されていたことが
確認されていますが、
これは、
古代の天皇(アマカミ)の仕事の痕迹と
見ることも出来て、
興味深いところです。
縄文時代の人は菜食中心だったようですよ!
さて、この日、
三殿台遺跡訪問のあと、
まだ元気だったので、
ネットで検索して気になっていた、
栗木神社由緒
栗木神社は、横浜市磯子区栗木にある神社です。栗木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には山王社と称して栗木村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治45年に日下町笹下明神社、氷取沢町山神社、神明社、稲荷社、峰町白山神社、矢部野町金山彦神社、田中町神明神社、御嶽神社、栗木町御嶽大神、駒形神社の10社を合祀、上笹下神社と改称し、上笹下地区の総鎮守となったといいます。昭和22年被合併社が還座、栗木神社と改称したといいます。
京急電鉄の「杉田」駅で降りて、
25分位は歩いたでしょうか?
結構この神社も高台でした。
一見、小さな地域の神社ですが、
茅葺きの社殿には
いにしえ(古)の風格を感じます。
小高い丘の上に、
更に土が盛られた場所に、
この神社は鎮座しています。
故郷に帰ってきたような心地のする、
不思議な神社でした。