今日、わたしはある人のために、何かをすべきなのかな?
って考えるできごとがあった。
わたしの選択が間違えてたのかな?
わたしがすべきことがあるのかな?
悩みつつも、自分は自分のことに取り組むべき(だろうなあ)
誰かに何かをしてあげることよりも、
キラキラしてる自分を見せてやることが大事なのだ。(まだ途中だが)
とか。
ところで、
キラキラしてる自分をっていうのは、
わたしが気に入ってる村上龍の言葉なの。
村上龍は大好きな作家で、
出会ってからずっと彼の言葉はわたしの心にしみるんだなあ。
その時代を切り取ったみたいな作品も多くて、
時々は、まるで龍の小説に影響された人生みたいだわって
ちょっと思ってたこともあったの。
最近だと、わたしと同じ1型糖尿病の女性を書いた作品があって、
驚いたり。
(その本を読んだときは発症してなかったし、
その病のことも知らなかったんだけどね)
久しぶりに龍語録を見ていたら、
龍もこんなこと考えてるんだ。とか、
思い出して良かったっていう言葉も多い。
自分に寄り添ってくれる言葉があるのも
本の世界の魅力だなあって思う。
龍語録
村上龍の作品にでてくる台詞やことば。
食べ物と水だけでは本当は人間は生きていけない。
誇りを持つことが大事だが、
それよりもっと大事なことがあって、
それは誇りを持っていることを誰にも言ってはいけない。"
「何かを知るということは、何を知らないかをはっきりさせることでもある」
「この国では、無知、あるいは知識や情報が足りないことが場合によって罪悪になるという認識が薄い。」
自分が何をすれば気が晴れるか、スカッとするか、そして、何をしていればいろいろ煩わしいことを考えなくてもいいか、ということをしっていたほうがいいんじゃないかな。
やりたいことや欲しいものは、そう思ったその時に始めたり手に入れようと努力しないと必ずいつの間にか自分から消えてなくなる。
「すごい奴っていうのはそいつに何か例えば才能みたいなのがべっとりとくっついているんじゃなくて、何か欠けてる場合の方が多いんだ。」
「落ち込むより楽しむほうが何十倍も大変なんだ」
「自意識から自由にならんければならない」
「自分の欲しいものが何か分かっていない奴はその欲しいものを手に入れることができない」
「まず、何のために努力をすればいいのかを分かった人、あるいは努力の対象を見つけられた人、こういう人たちが成功者へのスタート台に立つんじゃないでしょうか」
『俺は必ずやれる』という意思と喜び、それを才能という。
決め付けちゃいけない。才能が無いと決め付ける方が楽だ。
人生はとり返しのつかないことの連続だ
死なないこと 楽しむこと 世界を知ること
世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示し続けること
一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うのです。
人生はテニスのシングルスゲームと同じで、誰かが誰かを幸福にすることなどできない。他人にしてやれることなど何もない。他人を支配するのも無理だ し、支配されることもできない。もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。
先が見えない困難と向かい合っているときは、最優先事項を決めた上で、「1日を無事終えればよしとする」という態度も重要ではないでしょうか。
無力と思っても、無能と思ってはいけない。
誰にでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略が無い人間には最初からチャンスがない。自分が何をしたいかがわかっているからその目標に従って科学的な努力が可能になる。
いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり、何かをしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたり何かをしてもらおうとしたりするな、 自分がキラキラと輝いているときが何よりも大切なのだ。それさえわかっていれば美しい女とおいしいビールは向こうからやってくる。
好きなことを「探しましょう」ではなくて、「自分は何が好きか」を頭の片隅に置いて、好奇心を失わず、日々を生きる。それで、出会ったときに自分の中の受容体みたいなものが反応できるかどうかが問題なんです
やはり、自分自身に嘘をつかない、という 最もシンプルなことではないだろうか? 自分の快楽をごまかして生きている男は、絶対にもてない。 そして、快楽は簡単には手に入らないのである。
要するに、輝くということは、 ただちょっと偶然に立ち話をしたような他人にも 元気を与えるということだ。 だから人間は輝いてないといけないのだが、 それは簡単ではない。
清潔にするという行為が、集中力を生んだり、自己嫌悪を無くしたりする。
あまり先のことは考えていないんですよね。今とにかくやっていることの質をなるべく上げるということしか考えていない。…僕よく分からない、なぜみんな将来のことを聞くのかなあと思うんですよね。
(人生の成功者は)成功するために、まさしく「身も蓋もない努力」をしている。大事なのは、そこまで努力をする対象がある、ということなんです。
誰かに何かをしてあげたい、何かをしてあげることができる存在になりたいという思いが、どれだけ普遍的で切実なものなのかを、これから日本人は思い知るようになると思う。
今、若い人に向かって「楽しんで生きないのは罪なことだ」とアドバイスする余裕は、わたしにも日本社会にももうない。現在必要なのは「どう楽しんで生きるか」ではなく、さらに基本的で切実な「どうやって生きるか」という問いだからだ
何か新しい言葉が必要だ。 能力総動員、とでも言おうか。 例えば、F1のレースなどは、能力総動員の典型だ。 自分の限界に目標を定めて、能力を総動員し、優劣を争う。 これが失ってはいけない男のロマンなのだ。
結論から言うと、誰にでもできる恋愛などというものはありません。
そもそも、どうしてみんな恋愛をしたがるのだろう。きっと寂しいからだと思う。そして、寂しさが顔と雰囲気ににじみ出ている人は、もてない。残酷なようだが、もてる人というのは、寂しくない人生を送っている人なのだ。
SEXより気持ちいい瞬間をどこかで持つ事が出来るかどうかで男の価値が決まる
怯えていた妄想が事実になればもう大丈夫。事実に怯える必要などない。その事実を認めて何日間か泣けば良いだけだ。
正当な不安を持っている人だけが成功する。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。
移動にこそ、価値があるのだと思う。
人と出会うことが人生の目的なのかもしれない。