私の記憶は、幼稚園年少が一番古い。
いわば私の中での人生のスタートである。
幼稚園年少、私はお袋から離れて生活することを非常に嫌い、幼稚園ではずっと
泣いていたことを思い出す。姉が同じ幼稚園で、私の面倒を見てくれていたのだが、
全くお構いなく、泣き叫んだ。
私の通っていた幼稚園は家から遠く、毎日バスで送り迎えをしてくれたお袋と
幼稚園の門で必ず毎日別れが訪れるのだが、その都度得意の大泣きをきめ、
本当に周囲を困らせていた。
マザコンと言われれば否定はしないが何よりも極度の人見知りだったのだ。
今でもそうだが、私は人見知りなところがある。現在周りからは嘘だといわれそうだが、
得意ではないのは事実で、現在は自分のマインドをコントロールしているだけで
本当は人見知りで内気な人間だ。
さて、長い間この大泣きを続けたと思われるが、いつまでも泣いていたわけではなく、
一人の女性に恋をし、いつの間にか幼稚園に行くのが楽しみになったのである。
下村先生、確かそんな名前だったか。
背が大きく、優しくて、きれいで、大好きな下村先生は、赤のスエット上下を着ていた
イメージを鮮明に持つのだが、他人との接し方の第一歩を教えてくれた恩人であり、
あっさり翌年結婚して辞めていくという人との別れ、寂しさも教えてくれた気がする。
まぁ、調子がいい性格は今もだが、いったん知り合うとはじめの人見知りが嘘のように
調子に乗る。どんどん友達も作っていく。なんせ誰かの遊びに参加するのではなく、
自分で遊びを作りだす才能はあり、それを他に強制し遊んでいた為、自然と周りには
人がおり、友達が多いように見えたようだ。(見えただけだ)
身長は小さく前から2番目で、一番大きな友達をひき連れて歩いている姿がおかしいと
よく周りから言われたものだが、当然まだ自分の体が小さいなどとの認識がないため、
大きな友達にも臆することなくぶつかっていったのだと思う。(まぁ園児など皆そうだろう)
ちなみにこの前から2番目とは背の順も名前の順もいつも2番目であり、
基本的に中学卒業までつづく事になる。付け加えると常に前から1番だった
友も存在するのである。
無理やり私と遊んでくれていた友も多かったかもしれないが、まぁよくも悪くも
目立っていた方だろう。