最後の願いを叶えるためには | 丁寧に生きる、ということ

丁寧に生きる、ということ

自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

キーコキーコキーコ。

その人が片足で地面を蹴りながら進める車椅子は、いつだって公園の錆びついたブランコを漕ぐときのような軋み音を発していたのだ。

 

僕のブログに「いいね」ボタンを押してくださったある方のブログ記事を拝見し、ふと、僕は「その人」のことを思い出した。

 

その人は、神経難病で寝たきりとなって入院する母の、斜め向かいの病室に新しく入ってこられた年配の男性だった。

ベッドでテレビを見て過ごすことなく、その人は日中の大半を、病棟の廊下を車椅子で行ったり来たりしながら、時間を潰しておられた。

 

なにがきっかけだったんだろう。

やがて僕はその人と顔を合わせるたびに、会話を交わすようになった。

 

「あんたのお母さん?」

そうですよ、と僕はこたえる。

「毎日会いに来てもらえて、幸せなお人や。昼間はわしが見ておいてあげるから、安心して仕事に行っておいで」。

 

そうなのだ。

日中、車椅子で病棟の廊下を行ったり来たりしておられるこの方は、病院で起こる多くのことを目にし、そして耳にしておられた。

 

「あの人はすごく意地悪な人や」。この方は僕にそっと囁く。

そう、そのことは、他のご家族よりも長い時間を病室で過ごしている僕も知っている。

 

患者さんのおむつ替えや汚物の処理などを担当するその女性は、休日にお見舞いに来られた患者さんのご家族をいつだって満面の笑みで迎え、「私たちが心を尽くしてお世話させていただいていますから、ご安心くださいね」と柔らかい声でおっしゃる。

でも、気分のムラがあられるこの方の声は、時折、平日の昼間に、扉を閉め切った病室から鋼のように漏れ出てくる。

「臭いなぁ。鼻が曲がるわ」。

「情けないなぁ。私やったらこんなになってまで生きていたくないわ」。

 

言葉を交わすようになって何回目かの週末に、この年配の男性は「今日・明日と、家に帰れることになった」と嬉しそうにおっしゃった。

今日の午後には息子さんが迎えに来てくださり、奥さんが待つ、ふたりで暮らしてきた家に送り届けてもらうのだと言う。

ところがその日の夜、この方は急に病院に戻ってこられる。

晩御飯の支度をしている最中に、突然、奥さんが倒れられたというのだ。

 

「心配ですねぇ」と言う僕に、その人は「救急車ですぐに運ばれてな。でも、息子から連絡があって、大丈夫やと言うてたし、心配ないわ」と笑顔でおっしゃった。

 

それから数週間後、「退院が決まって、家に帰れることになったわ。うちのおばあさんも大丈夫やし、これからはまた、ふたりでゆっくり暮らせる」と、その人は嬉しそうにおっしゃった。

「よかったですね」僕は言う。

 

当時の僕の職場の近くにお社があり、古くは淳和天皇の皇女・崇子内親王の疱瘡がこちらの神社に祀られる大神様のご威光で快復されたと伝えられ、病気平癒のご利益があるとされていた。

僕は職場の昼休みには欠かさずこのお社を訪れ、母が日々、心穏やかに病と向き合い、過ごすことができるように祈っていたのだが、ここのお守りをこの年配の男性にお渡ししようと考えたのだ。

 

「なんてありがたいお守りを」。

涙を流して喜ばれるものだから、僕はドギマギしてしまった。

 

最後の日、息子さんが母の病室を訪ねてこられた。

「いただいたお守りが本当に嬉しかったみたいで」とお礼をおっしゃる息子さんに、「お母様も大事に至らずよかったですね。お父様、お家に帰られることを本当に楽しみになさっておられますよ」僕が言うと、息子さんは重い口調でおっしゃった。

「そんなことまでうちの父は話してるんですね」。

 

「実は、母はダメでした。今日も父には家に帰ると言ってますが、このまま施設に送り届ける予定です。車の中で、そのことを父には説明するつもりです」。

「こちらの病院にもう少しお世話になれたらよかったんですが、どうも日中、いろんなところをウロウロして、職員の方々のお仕事を邪魔してしまったらしくて…」。

 

最後に病棟の廊下でお会いした時、その方は首からお守りを下げ、笑顔で両手を挙げて「バンザーイ、バンザーイ」と小さな声でおどけてみせられた。

 

だが、それからしばらくして、僕は思ったのだ。

あの方はすべてを知っておられたのではないか。

すべてを承知したうえで、わざと何も知らないふりをして、覚悟を決め、息子さんに連れられていったのではないだろうか。

 

多くの人たちが、住み慣れた我が家で最期を迎えることを望みながらも、叶うことなく、病室や施設で逝かれる。

僕の父も、そして母もそうだった。

 

住み慣れた我が家で最期を迎えることのできた方々だって、時として、「孤独死」なんていう残酷な言葉で語られる。

 

家族が犠牲にならない介護を。看取りを。

その大切さは僕にだってわかっているのだ。

 

だが、最期の時間をどこで過ごしたいか。

最期にどんな風景を見ながら、その時を迎えたいか。

願うことは我儘なことなのだろうか。贅沢なことなのだろうか。

誰もが平等に行き着くその終着点を、それまでの道筋がどれほど険しいものであっても、せめて穏やかなものにすることができたなら、その人の生涯は幸せだったといえる。

僕はそんなふうに思うのだけれど。

 

それをただの理想論、無責任な夢で終わらせないために、僕にできることはないのだろうか。

僕はいったい、どんなことをすればよいのだろうか。