「あとこれだけ」をどうするか、あるいは「公平」の本質について | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

行政薬剤師として働いていた頃、異動は三年ごと、というのが暗黙の了解事だった。

これを「暗黙」というのは、それが明文化されていなかった、ということもあるし、「三年」とする理由について、各々が「癒着を避けるため?」などと想像しながらも、そのことについて根拠を示し、明確に説明できる人間が、結局のところ、誰もいなかった、ということもある。

ただ、癒着、というのであれば、係員レベルではそれほどの権限を持っていないのだし、それに、だいたい、融通を求めてくる人間というものは、「築き上げた人間関係」なんてものは歯牙にもかけず、力と圧でもって、たとえ初対面であったとしても、それを要求してくるものなのだ。

 

だが、この「三年ルール」があるにもかかわらず、父と母の介護をしていた僕は、ひとつの職場にかなり長い期間、居させてもらうことができた。

 

後で聞いた話だが、人事異動を決める会議の中で、僕が目立って毎回、人事異動のリストから外されていることについて、「不公平だという声が上がっている」とおっしゃった方がおられたらしい。

それに対し、役職についておられた、ある先輩薬剤師さんが「頑張って、なんとか仕事と介護のバランスを、ギリギリのところでとっている人間に対し、一撃をくらわせることが、あなたの考える“公平”というものなのか。そんな“公平”を、乱暴に振りかざすことで、ひとりの人間を潰して、ほんとうにみんなが満足すると思っているのか」とおっしゃってくださったらしい。

そして、そうした方々のおかげで、僕は最終的に母を看取るまで、仕事を続けながらも、その介護に全力を傾けることができたのだ。

 

母が亡くなって数か月後、僕は異動し、新たな仕事に就くことになった。

上司(課長)は、親睦会で顔を合したことのある薬剤師さんだったが…やんちゃな印象のあるその方に対し、「すこし苦手かもな」と当初、僕は思っていたのだ。

 

一カ月ほどが経過した頃だろうか。

ちょうど昼食をひとりでとっていたところに、その方が来られて「なにか困ったことや気になることはないか」と訊いてくださった。

僕には…そう、ひとつだけ気になっていることがあった。

 

介護に携わっていた間、僕は「昇任拒否」をしていたのだ。

そして、気が付けば、係員としては、年長の部類に入っていた。

久しぶりに異動した僕は、自分より年下の係長につくことになったのだ。

そしてその係長は、僕に対し、いつも敬語で話しかけてくださるのである。

そのことに対する、申し訳なさ。

 

「あ、それは最初に、俺があいつにそうするように言うたからやねん。

たとえその仕事に対して、自分の方が経験豊富で知識があっても、それは当たり前のことやろ。

一方で、お前には、人が経験しないことを経験してきたという強みがある。

仕事では、下の立場であっても、人生の経験値ということでは、いろいろと周囲が学ぶべきものを持っている。

だから、立場に関係なく、年長者として、尊敬の気持ちを持って接するよう、俺があいつに言うたんや」。

 

「けどな、それに気がついて、ちゃんと気にしてくれてて、ありがとう」。

 

その後、すこし壁があるのだろうか、遠慮があるのだろうか、と感じていた年下の係長とは、仕事帰りに飲みに行ったりもするほど、仲良くなった。

 

さて、その課長については、こんな思い出もある。

当時、その課には、6人の係員がいたが、男性は二人だけだった。

僕と、あともうひとりの彼は、一回りくらい、歳が離れていたのだが、ふたりにはある共通点があったのだ。

どちらも単身で、すでに両親が他界しており、親族との交流も絶えている。

 

ふたりで昼ご飯を食べていたら、課長が入ってこられた。

「自分ら、ほんまに偉いなぁ」。

「たとえば月末に、あと一万円だけ金が足りひん、とかいうことがあるやろ。

俺やったらそんな時、嫁さんとか兄弟とかに“来月には返すから、二万円だけ貸してくれ”とか言えるけど、お前らにはそんなふうに甘えれる人がおれへんやんか。

そんなとき、どうしてるんや」(もちろん、関西人としては、ここで「一万円やなくて、なんで二万円やねん」とツッコむことも、忘れてはならないお約束である)。

「もし、ほんまに困ったときには、強情はったり、プライドにしがみついたりせんと、ちゃんと俺に言えよ。金の用立てはできひんけれど、話だけは聞いたるからな」。

ここで2回目のお約束のツッコミ。「なんや、それ」。「貸してくれへんのかい」。

ま、それはともかくとして…いい加減を装いながら、その裏で、いろんなことに気を配ってくださる方だった。

 

そして今、なぜ、僕がそんなことを思い出したかというと…。

今、その「あと一万円」を捻出するために、たいへんな思いをなさっている方は多いのではないか、と思うのだ。このコロナ禍のなかで。

いや、コロナ以前から、この国では、こうした目立たない貧困が増えていたのではないだろうか。

だが、そんな実情と気持ちはなかなか届かない。

それは「これは自分の責任、自分の頑張りが足りないせい」と捉える真面目な方が多いこと、そして、自身の生活の質を落とすことで「ギリギリの対処」をし、自分でなんとかしようと考える人が多かった、ということもあるのだろうし、メディアの「コロナが原因で起きた大変さ」の切り取り方に、偏りがあったことも、その一因かもしれない。

 

そして給付金などの報道に対して噴出する「不公平」という言葉。

たしかに公平性に欠けるとは思うのだが、そんな気持ちを煽り、利用しようとする力も、そこには多少なりとも、働いてはいないのか。

公平・不公平はフラットな気持ちで語るべきことであって、そこに妬みの気持ちが混じってはならない。

しかし、その「妬み」に便乗し、同調することで、支持を得よう、とする人たちも多いように思う。

そんな、巧妙な、踊らされている感。利用されている感。

 

どうすれば、声なき声をすくい上げ、互いのことを思いやる、優しい世の中を、実現することができるのだろうか。

 

「あと一万円」を、自身の生活の質を落とすことで、今月もなんとか乗り切ろう、とする、物わかりのいい僕は、今日もそんなことを考え続けるのだ。