ボランティア活動として、お祈りとヒーリングをさせていただきました。

 


僕のわがままな企画で申し訳ありませでしたが、参加していただだいた皆様、本当にありがとうございました。

そしてフリースクール『このいろ楠浦校』からお礼のメールをいただきましたが、本当に皆様のおかげです。
ありがとうございました。
スタッフの皆様、そして子供たちの活動の励みになることを願っています。

参加していただいた皆様には、お一人ずつ心をこめてお祈りとヒーリングをさせていただきました、

ちなみにお祈りの時は、祝詞を何度も唱えながら、身体を包むように龍が螺旋状に上昇していくイメージをしていました。
その際に身体のチェックと、遠隔ヒーリングも同時にしています。
そして天から「よい」と声が聞こえたら、「完了の合図」にしていました。
また、お祈りをした後は、確認のために天伴が『審神(サニワ)』もしています。

問題は集中力のせいなのか、お祈りを1人終えるごとに脳の血管が切れそうな感覚があったことです。
さらにエネルギーを使うので疲労感もあり、たびたび休憩をとっていました。
そのため、全員を祈り終えるまで時間がかかりましたが、5月25日までに完了しています。

効果は証明できませんが、少しでも良い影響があることを願っております。

ちなみに遠方などに旅行に行く際には、天伴に一声かけていただいたら、旅の無事を願ってお祈りをさせていただきます。
旅の無事を願うだけですから、お金などはいただきませんのでご安心ください。

僕自身、旅をする時は、出発前、旅中、帰宅時など、天に向けて「旅の無事」を必ずお祈りしています、
そのおかげなのかはわかりませんが、いままでに大きな事故などには遭遇していません。

せっかくなので、「不思議なお祈り」をひとつご紹介します。

何か危険なことをする際に、自分で「自分自身の名前」を声に出して何度か唱えます。

たとえば天伴であれば「天伴健太郎、天伴健太郎、天伴健太郎……」と、自分の名前を声に出して数回唱えます。
やり方は「これだけ」です。

説明が難しいですが、自分の名前を唱えることで、「自分自身を自覚する」というきっかけとなり、守りが強くなるようです。
「自分自身に呼びかける」というようなイメージですが、呼びかけることで意識が少し変わるのかもしれません。

効果は証明できませんが、自分の名前を唱えるだけですから誰でも簡単にできると思います。

そのため、もし何か危険なことをする場合は試されてみてください。
たとえば、僕の場合は長距離を運転することが多いので、車の運転中などに自分の名前を何度か唱えています。

話は変わりますが、あくまでも天伴の考えた方ですが、活動においては「恩返し」ということを、なるべく大切にしています。

正直なところ、若い頃は恩返しのようなことはあまり考えていませんでした。
ちなみにお墓参りも「無意味で馬鹿らしい行為」と思って、自分から足を運ぶことがなかったぐらいです。

そもそも若い頃の僕は「神などいない。神に頼る人は心の弱い人間でしかない」と思っていたので、人間だけでなく、神や霊的な存在に対しても感謝の気持ちはありませんでした。

実際のところ「事実」として、感謝や恩返しなどしなくても、人生に大きな問題は起こらないと思います。
(ただし、「昔と違い、現在は流れが変わっています」ので、感謝の気持ちは本当に大切にした方がよいと思います)

ちなみに若い頃の僕は、だいたい自分の思う通りの展開になっていましたし、「自分の願い」もそれなりに叶えていたと思います。
たとえば「このような展開になる」と思っていれば、本当に「その通り」の展開になっていました。
 

そして、お墓参りや、神社参拝などをしなくても、自覚できるような「問題」は特にありませんでした。

そのため、神頼みなどをすることもなく、自分の願いを叶えていたので、「オレ凄ぇ」と自画自賛しながら活動をしていたと思います。
さらに、調子に乗っていたこともありますが、「感謝や恩返しにはメリットなど何もない」と信じていた気がします。

 

裏話ですが、自分に自信がなかったからこそ、「オレ凄ぇ」と無理矢理思い込んでいただけでした。
なぜならば、昔の僕は、何をやっても「心の平穏」など全く感じられなかったからです。

むしろ「とにかく何かしていないと気持ちが弱くなる」という不安をごまかすために、必死でもがいていただけでした。


ちなみに人間社会では「形式」としての、恩返しのような行為が多いと感じます。

たとえば企業同士で贈り物を届けるなどですが、その場合は「何らかの見返りを求めて」という場合が多い気がします。
また、営業マンなどは「契約をとるために恩を売る」という手法を使うことが多いかもしれません。

 

本当に感謝を大切にしている企業もあります。
しかし、「見返りのメリットのため」に、恩を売ったり、恩返しの行為を繰り返すということが、人間社会にはとても多く感じます。

そのような場面を目撃するたびに、若い頃の僕は「うんざり」していました。
その結果、「表面上だけ」の感謝や恩返しに嫌気を感じて、「メリットなど何もない」と思うようになっていた気がします。

しかし、ある時に強烈な人生の絶望を経験して、その出来事がきっかけとなり、精神世界や霊的な世界に触れることになりました。
また、自分自身が痛い経験をしたおかげで、気づいたことがあります。

「結果として自分の成果や地位が高くなっても、それは他の人のおかげ」ということです。

たとえば「現在の僕」は、いままで出会ってきた人たちや、様々な出来事のおかげで存在しています。
もし「何かひとつ」でも欠けていたら、「全く別の現在の僕」になっていたはずです。

ですから、現在の僕が存在できるのは、僕だけの力では決してありません。
「他の誰かがいてくれた」からです。

たとえば、何かの大会で「1等賞」をとったとしましょう。
個人で1等賞をとれたら嬉しいと思いますが、「これは自分だけの成果なのか?」と考えると、「絶対に違う」と思います。
なぜならば「いままで出会ってきた人たちのおかげ」だからです。

そのように考えますと、結果として1等賞になったとしても、それは「みんなのおかげ」であり、それを自分一人だけの手柄にするのは「横取りのようなもの」と僕は思ってしまいます。
はっきりいいますと「手柄を横取りしたくない」ですし、だからこそ「まず恩返しが先」と思うようにしています。

たとえば、「本当に全て自分の実力で結果を出した」のであれば、胸を張って「結果」を素直に喜べば良いと思います。

しかし、少しでも誰かの手助けがあったのであれば、それは「誰かの手助けのおかげだからこそ」ですし、その人がいなければ「結果にたどり着かなかった」わけです。
だからこそ、「その人への恩は絶対に忘れてはいけない」という気がします。

そもそも、「現在の自分が存在できるのは誰かのおかげ」ですから、その気持ちだけは常に忘れないように心がけています。
だからこそ、少しでも恩返しできるような機会があれば、その機会を活かしたいと思って活動しているつもりです。

ちなみに僕が日本各地の神社仏閣で祈りの旅を続けているのは、絶望していた頃の僕を、日本各地の神社仏閣が受け入れてくれたおかげだと思っていますし、絶望から復帰できました。

「受け入れてくれた」というのは、僕の勘違いかもしれません。
ただし、事実として現在の僕が存在できるのは、日本各地の神社仏閣のおかげです。
感謝もしています。
だからこそ、「その時の恩返しを少しでもしたい」と思うからこそ、現在も活動を続けています。

本当にそれだけであり、願うならば「全ての存在が安心して生きられるような世界になることと、自分らしく生きられるような人が少しでも増えること」ぐらいです。

そして、長年持ち続けているひそかな夢ですが、いつか世界が良くなった時に「日本を守ってくれている日本の神様たちに少しでも感謝の気持ちを届けてください」と伝えたい。
また、日本全国で感謝の想いを持って神社参拝をする人が増えることを願っています。


そうすれば、神様も人も「喜び」と「感謝」で繋がる気がします。


少しでもそのような流れになるように活動をしているつもりですが、それが僕なりの神社仏閣への恩返しのつもりです。
また、神社仏閣だけでなく、お世話になった神々様や、龍神様にも同じ気持ちです。

ちなみに、「まずは恩返し」の気持ちがあれば、良い意味で「自分を後回し」にできますので、「迷い」も減ると思います。

「迷い」に関しては説明が難しいですが、僕も人間ですから「欲」も出てきます。
欲望が悪いわけではありませんし、「自分自身のために活動する」ということは本当に大切なことです。
しかし、「今回は恩返しの活動を優先しよう」と思えば、「自分を譲れる」といいますか、自分を後回しにしても気持ち的に「楽」です。

たとえば「誰かのために我慢」や「誰かのために譲る」などと思うと、気持ちがザワつくかもしれません。
なぜならば「なぜあの人のために自分が我慢しなくてはいけないのか?」などと不満を感じる可能性があるからです。

しかし、その時に「あの時の恩返し」と少しでも思うことができれば、「恩返しであれば当然のこと」と自分の中で素直に納得ができると思います。
同じような考えの人がいるかわかりませんが、僕はこのような考え方で活動しています。

そして、見知らぬ人が困っていた時でも、なるべく「何かしたい」と思っていますが、とりあえず何か手助けをしてあげたい気持ちがあります。
さらに「もしかしたら前世でお世話になっているかもしれないので、恩返しになるかもしれない」と思うようにしています。


変な考え方かもしれませんが「この世は持ちつ持たれつの関係で繋がっている」と思っていますので、自分に何かできることがあれば、自分を活かしたいですし、活かせる機会があれば「それはとてもありがたいこと」だと感じています。

何よりも僕が伝えたいことは、みんなが「自分を優先するだけ」になれば、争いと奪い合いが加速するだけです。

みんなが「自分」「自分」と言い出せば、「主張」のぶつけ合いでしかありません。

自分の人生ですから「自分を優先する」ということは、凄く大切なことです。
しかし、自分を優先する事に対して、少しでも「譲る」という気持ちがあれば、争いと奪い合いの流れに少しでも変化が起こると思います。

ちなみに何でもかんでも譲ることは問題だと思いますし、「譲ってはいけないこともある」でしょう。
しかし、日常生活の「全部」ではないはずです。

自分が譲れそうな時は「少し自分を後回しにしてみる」だけで、世界は少しずつ変わっていくような気がします。

そもそも「主張」と「主張」がぶつかり合えば、衝突が激しくなるだけですし、お互いわかりあえるようになることはとても難しいことかもしれません。
その時に、まず自分が主張を緩めれば、相手が心ある人であれば、相手も主張も緩めてくれるような気がします。
自分の主張を絶対に変えない人もいますが、そのような人の場合は「今後も関わる」か「今後は関わらないか」の判断をするしかないかもしれません。

とりあえず誰でもできることは「想いを繋いでいく」ということだと思いますし、それが「大きな和(大きな輪)」になっていけば、いつのまにか世界は良くなっていると信じています。

本当に今回はありがとうございました。
心から感謝いたします。