ども。あの後、わたしがどんな転落人生を過ごしたか。

配偶者のうつ病再発・休職も効いた。子どもの不登校、発達障害も、かなりボディブローだった。でも…その頃のわたしは、かえって奮い立っていた。重大な決断を下し、自分自身ショックを受けつつ、「ならば徹底交戦だ!」と、目に見えない仮想敵国に竹槍な感じだった。そんなことはムダなんだと、分かっていたはずだ。だから、どんどん駄目になっていった。

最初に試みたのは、経済的自立への道。しかし病人の伴侶の協力はなく、子どもは寂しがり、もちろん実家には地理的理由で頼れない。職種選択も大失敗、立つ鳥跡を濁しまくりで終了。自分の不甲斐なさに、向精神薬が増えただけだった。

就職に向けた動きも、自分の変なプライドと実力や苦労のなさを指摘されるばかり。障害に苦しんだ経験や苦い差別を、まだ表に出せず、生かせず腐らせる。地域活動への参加…三年前のボランティアでの途中退場は、記憶に新しいなぁ。きちんと参加できない、体力や気力が続かない、その事を家族を含めた周囲に、誠意を込めて伝えられない。そういう人が次に走る道は、依存症です。わたしの場合は、アルコールでした。酒だけが、わたしを受け止めてくれたのです(と、錯覚したの)。

次第に酒量が増え、ルールが、自分なりのルールも破るようになった。朝、昼、晩。場所も立場も薄れていく。起床時間、就寝時間、参加すべき活動、家族との信頼関係、家庭運営。将来性、過去への責任。

依存症は、こうしてズルズルと人間の尊厳を剥奪します。最初は家来だったのに、いつの間にか主人になってわたしを支配していました。誰にも従わない、誰の意見にも流されない、その頑迷な一徹さだけが、わたしの取り柄だったのに。

効率的に酩酊することだけが、人生の命題になっていた。わたしは、ありとあらゆる意味で、廃人まっしぐらだった。いまこうして、数ヶ月前の自分を書いているけれど、いまが回復途上なのか、やっぱり転落し続けているのか、分かってはいません。正直に言って。ただ、わたしの古い友人たちが、詳しい事情はともかく、今のわたしを支えてくれている。何十年前も、そうだったように。彼ら彼女らの誠意に応えたい。今までの自分を支えてきた、小さな夢を叶えたい。その気持ちだけが、いまのわたしを生かしている。

本当のわたしは ぬけがらなのに

わたしは 取り戻せるのだろうか?


本心から、取り戻したいと思っているの?