こころの病気になった人の気持ちは、たとえ家族でも、完全には理解出来ないんだろう。これは、絶望を告げるものではないことを、分かって欲しい。人間は万能ではない、完全ではないのだと素直に認識出来れば、たいていのことはなんとかなるんだ。そういうときは、人に頼ったり、金に頼ったり、神に頼ったりすればいいんだ。もちろん、騙しにくる奴多いから、そこんとこは慎重に。

「もう二度とうつにはならない」なんて世迷い言を、心から信じてはいなかった。っていうか、何の根拠もないそんなこと言い出した辺りで相方には愛想を尽かし、荷物をまとめて子どもたちを連れて出ていっちゃっても不思議じゃなかったように思う。しかし病人だし障害持ちだし、弱ってきた時に見捨てるのも自分自身の気持ちがすっきりしなかった。ただひとつ言えるのは、わたしが通そうとした倫理観や責任感は、相方にはさして重要ではなかったのだ。今になって、分かったんだけど(遅い)

相方の休職と子どもの不登校や発達訓練の直前に、ちょっとしたことがあった。誰にも話して来なかったし、その必要もなかったからなんだが、ここまでお付き合いいただいた方に、打ち明けたい。
実は五回目の受胎があったが、出産を断念した。決断したのは、わたし。相方は「自分が三人きょうだいで、子どもは三人欲しかった」「自分はうつ病で休職しているから、積極的に育児を手伝える」「下の子の発達遅滞だって、弟か妹が出来れば改善するよ、きっと」

以上のような、どこから取り組んだらよいのか手の施しようのない発言で終始。その時点で、家族四人食いっぱぐれそうな勢いだったんですよ、うつ病再発組なんだから。

この事で大ゲンカして、わたしがごり押しで処置しました。流産と違って高いの高くないのって(高いんです)

こういうことを公言すると、堅い方面は神経質にピリピリ反応するのは知ってる。わたしも、リアルな知人には明かしてない。実の親にもね。

かつてあれほど子どもが生まれないことに悩んだ自分が、せっかく授かった命を受け止められなかった。誰かに騙された人が、騙す側偽る側に立たされたのと、どこか似ている。そんな自分でありたくないのに、なかったのに。それ以降はね、過剰なまでに避妊に厳格になったよ。処置料が高いだけじゃない、自分で自分に烙印を捺す日が来るなんて!

わたしが…障害を持って生まれたわたしが、障害を持つ人と結婚して過ごした二十年間は、カサンドラ症候群の見本市みたいな日々でした。家族のためなんて、きれいごとは言わない。わたしは、わたしであるだけで苦痛を感じ続けている。その痛み自体が、わたしの性であり、生で正なんだ。


義父の初盆に行ってきます。この世界から、一人の人間が旅立った時、わたしの中の何かが一緒に旅立った。それは、申し訳ないけど哀しみ(も、もちろんあったけど)そのものだけではなく、フタみたいなものもはずれてしまった。この婚姻が始まってからずっと封じ込めてきたことが、堰を切ったみたいに溢れてきた。もう、二度と元には戻らない。

婚姻の解消や親子の断絶ではない。生まれてきた二人の子どものためでも、生まれることのなかった三人の子どものためでもない。痛みと祈りは消えることはないけど。


人と人は、分かりあえない。でも、分かろうとする姿勢さえあれば、結果なんて問題じゃない。それが出来ない、困難である人と結婚し、子どもたちに問題を押しつけている。

わたしの性と生と正が、どこに行くのか。答えなんてないけど、また何か書きます。だから、よかったらまた、読んでみて下さい。わたしには、誰かに見せる前提の文章しか、書けないから。