日本でも、各宗教の代表者たちが集まって、

宗教サミットというようなものが行なわれている。

それは、各宗教がひとつになって、

世界平和を祈ろうというものである。

 

しかし、世界の平和を願い祈る、ということは、

なにも宗教でなくても、

ほぼ、すべての人が行なっていることではないか。

 

集まった各宗教の代表者たちも、

互いの宗教の教えを受け入れる、

ということまではやらないはずだ。

まあ、各宗教の違いは横に置いておいて、

世界の平和を祈りましょう、ということで

一致しているに違いない。

 

それでは、

各宗教がひとつになったことにはならない。

 

各宗教を一つにするには、

ただ同じ場所に集まって、

だれでもが願うことを祈ることではない。

そこには、

一つにする「教え」がなければならない。

 

その教えこそ、

このブログの本幹である、

「正しい宗教ならば、

それはみな同じ真理の表現である。

真理そのものは

言葉では表現できるものではない。」

ということである。

 

このことをしっかりと受け入れるならば、

各宗教が互いを尊重しながら

ひとつになることは可能である。

 

この世には、

さまざまな文化、民族、言語がある。

そのため、各国、各文化には、

それにふさわしい宗教形態が

必要なわけであり、

実際、各宗教はそのような中で

形成されて行ったのである。

まさに、真理を

その民族文化などが受け入れられやすい、

さまざまな形で表現をしてきたわけである。

 

したがって、

そのような中で形成されて行った各宗教は、

他の異なった文化や民族に

そのまま受け入れられるわけがない。

もし受け入れられようとするならば、

真理の表現の部分は、

その国、文化、民族に合わせて

大いに変えなければならない。

もしそれができるならば、

その教えはその国、文化に

受け入れられる。

 

日本を見てみると、

紀元後3世紀から4世紀にかけて

大乗仏教が大陸から入ってきたが、

その大乗仏教は、

やがて日本独特のものに姿を変えて

早くから朝廷貴族に受け入れられ、

大衆にも鎌倉時代以降、

深く受け入れられて行った。

日本の外で形成された宗教が

日本に受け入れられたわけであるが、

それは、その姿を変えたからに他ならない。

 

しかし、キリスト教などは、

鎖国が終わった明治以降、

次々と日本に入って来たが、

まったく自らの姿を変えようとせず、

むしろ既存の宗教を悪魔の宗教だと排除した。

そのため、未だ日本には受け入れられておらず、

自らもこの日本から姿を消そうとしている。

 

しかし、イエス・キリストの福音は

まぎれもない真理の表現である。

この日本においても

福音によって救われる者が

多く起こされるべきである。

 

そのためには、

今までのような福音の伝え方で

良いはずがない。

すでにその失敗は明らかとなっている。

 

聞く耳のある者は聞くがよい。