剣山TVのBlog

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剣山TV 剣山に隠匿されているという失われたアーク 契約の箱の真実を求めて旅するブログ。邪馬台国 四国山上説に基づくミステリーを検証していきます。古代史研究家 大杉博氏の考察をご紹介していきます。


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今年も 剣山TVをよろしくお願いいたします。

 

 

32番札所 禅師峯寺 空海が虚空蔵求聞持法の護摩を修法されたと伝わる。

 

古代史 研究家 大杉 博氏は空海が修行した場所から剣山が見えると述べていました。

本年 1月4日 晴天に恵まれましたので こちらから剣山が見えるのか検証に行ってきました。

 

概要は こちらの縁起をご覧ください。

 

4年ほど前にも訪れてブログで紹介いたしましたが今年は空気が澄んでいて

機材の性能も進化していますので再度の報告となります。

こちらが禅師峯寺から北東方向を眺めた景色です。望遠レンズで剣山を中心に撮影しました。

中心付近に山頂に雪が見えている山が剣山と思われます。まさに雪が白い部分のみが剣山。標高が高いので雪が積もったのでしょう。

 

次が解説の文字を入れた遠景写真です。

 

左の目立つ山が白髪山。1月4日ではまだ積雪していない様です。右に目を移すと手前の山の隙間から白い山頂を見せるのが

剣山。その右隣が剣山の隣の尾根伝いの次郎笈です。因みに剣山は太郎笈とも呼ばれます。

まさに爪の先の様に僅かに眺めることができる場所にこの寺があることがわかります。もう少し南から見ると手前の山に隠れてしまいます。

 

こちらが電気的に拡大した写真。真ん中に手前の山の尾根がありその左右に剣山が北に 次郎笈が南に見えます。

続いて冬の剣山を北側の丸笹山から撮影した景色をご覧ください。

 

次郎笈の少し右方向が高知市になります。剣山と次郎笈は尾根伝いなのがわかります。標高の高い部分に雪が確認できます。山頂から少し下がると雪はまばらに見えます。

 

手前の山は特定できていませんが剣山から西方向に離れた位置にある尾根が剣山と次郎笈の真ん中に割って入って見えます。

北と南に移動した場所から見ると剣山は隠れて見えると思われます。まさに絶妙な場所にこの寺が位置していることがわかりました。

 

 

夏の剣山と次郎笈を東の一ノ森方向から撮影したもの。次郎笈の尾根の形を記憶していただいて 高知市から眺めた次郎笈を

比べて見ると一致するのが確認できます。高知市方向の文字の下付近に手前の山らしい山頂も見ることができます。白髪山の

山頂も遠くに見ることができます。

 

 

今年も剣山のミステリーと古代日本の成り立ちなどリポートしてまいります。

 

 

 

 

 

 

 

 


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徳島県美馬市穴吹町から国道492号線を剣山方向に車で40分ほど行くと

三木家があります。今年11月3日に取材に伺いました。

 

三木家の概要は登り口にある以下の看板を参照してください。

 

古くから天皇に献上する家柄であることがわかる。なぜ四国の片田舎の武士が天皇家に献上するのか謎めいています。

この地域は天皇の祭祀をつかさどる忌部の家柄であるという。1318年 花園天皇以来のアラタへを献上したと伝える

官宣旨が数多く残っています。

 

三木家 玄関 ここにも教育委員会の看板がありますので参照してください。

 

 

 

アラタへを献上するためには大麻を栽培しなければなりません。次回の大嘗祭に向けて準備が進んでいるようです。

厳重な警備がされ大麻を栽培 収穫し蒸して皮を取り糸にする作業を行うようです。

下記が大麻を栽培する畑。日当たりの良い絶好の場所にあります。

 

畑の上には展示館が常設されており糸を紡ぐ道具や官宣旨の文献 前回の平成天皇に献上した際の作業の様子などの

多くの写真を見ることができます。来年の新天皇にも献上するために準備に追われています。

 

標高600mの剣山の近くにこのような歴史的な営みが今も続いていることに驚きを隠せません。

 

 

 


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徳島県神山町 悲願寺  悲願寺から南に上ると卑弥呼の禊の池と神託を受けた天禺岩がある。   国土地理院globeより

 

 

卑弥呼の都跡 悲願寺の現地説明会 悲願寺から車で15分ほど南に登り徒歩で15分ほど行くと卑弥呼が禊を行なっていたと伝わる 禊の池跡がある。

 

禊の池での大杉先生の説明

 

杉林の中に15mほどの直径の窪みがある。大杉氏はここに池があったという。

 

白く見える岩が卑弥呼が禊の前に身支度をしたと伝わる。7mほどの長さの岩で高さは1mほど。

 

手前の杉の木あたりから手前に向かって池となっていたという。周囲は2mほどの土手が囲んでいて窪地となっている。

 

大杉氏は以下のように述べています。

 

悲願寺の南の上に”はぜのくぼ“と呼ばれる平坦地があり、そこに、直径十三メートル程の丸い池跡があります。

また、その池跡のすぐ側に白い岩盤が露出していますが、卑弥呼はこの岩盤の上で着物を脱いで、婢に池の水を汲ませ、

禊をしたのです。そして、さらに山道を登って、"天禺(天宮)岩“の上で太陽に向かい、祈ったものと思われます。

"天禺岩“は裏手へ回るとロープが張られていて、岩の上へ登れます。岩の上は八0平方メートルぐらいの広さがあると思われます。岩の壁面や上の面は、かなり人の手が加えられているように見えます。卑弥呼はこの"天禺岩の上で太陽に向かって必死に祈り、神託を受けると、ガラリと態度が変わり、岩の西側の斜面で神託を待っている人々に、"天禺岩の上から神託を告げたので

しょう。

   

以上のように語っています。

 

この禊の池から緩やかな傾斜を東に進んで川がある付近まで来ると空が広がります。そこに天寓岩と呼ばれる巨石があります。

 

ドローンにて撮影。禊の池から杉林を15分ほど東に行くと天寓岩に着きました。現在は岩の上には木々が生えています。

 

卑弥呼が岩の頂上で広がった東の空に向かってご神託を得ていたと伝わります。そして禊の池の方向の岩の下で待つ人々に向かって神託を告げたといいます。丁度 岩の西側の下は現在は杉林となっていますが比較的緩やかな傾斜が広がっています。

 

悲願寺との位置関係はこのようになっています。悲願寺の周辺に住居がありその南の上に

禊の池 東に行くと天禺岩があります。位置関係も不自然さはありません。

まさに卑弥呼の都跡の様相を呈しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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国土地理院地図 前日の気延山と悲願寺と剣山との位置関係

 

 

悲願寺の下の赤の楕円の中のブルーの線が地図上の市町村の境界線です。この境界線は自然の尾根や川などの地形により

古代より設定されている場合が多いといいます。ご覧ください。剣山から尾根づたいで気延山まで辿り着くのがわかります。

悲願寺は神山町役場から南の山の中にあり車でも40分ほどかかる要害の地にありました。

 

 

悲願寺の山門 徒歩では役場付近から急峻な道を登ると到着する。途中に雨乞いの滝という名勝地がある。

今回は車にて移動。軽四車両で行くことをお薦めします。途中から舗装も終わり林道へと変化しますので

4WDなどでない限り大型車は難儀します。

 

 

大杉先生の現地説明会。 目立った灯篭が後ろに控えています。

 

灯篭の由来の看板。 卑弥呼の都跡とある。

 

 

役場と悲願寺の地図 悲願寺周辺は等高線の幅が広く丘陵地であることがわかる。 国土地理院地図

 

大杉氏は悲願寺について以下のように述べている。

 

名西郡神山町神領字高根  ここは卑弥呼(天照大神)の都があった場所です。邪馬台国が四国の山上にあったことは

完全に証明できます。その中に悲願寺及びその周辺の遺跡があり、卑弥呼がここに住んでいたことは間違いないと見ること

ができるのです。

悲願寺の本尊は千手観音ですが、千手観音は皇室の守護仏とされ、天照大神を千手観音として祀っているように思われます。

そして、悲願寺の本尊千手観音は菊の御紋の錦で隠され、真ん中には八咫鏡のような、大きな鏡が据えられています。

また、本堂は神殿造りであり、本堂の西側には神馬が、さらに、境内には百度石があり悲願寺は完全な神社形式に

造られています。本堂の東側の池は"天の真名井“とあり、境内を流れる川を天の中川と呼んでいます。

また、

ここの千手観音は養蚕の守護仏として信仰を集めていました。

これらはすべて、文献に見る卑弥呼(魏志倭人伝によりますと、卑弥呼は千人の婢を侍らせていたようですが、

この高根は緩い斜面が約1100ヘクタールあり、千人の人々が暮らす十分な広さがあります。また、卑弥呼た

ちは自給自足していたのではなく、貢を受けていたのです。神山町には大宜都比売が住んで居て、庶民を指導し、農作物を作り、高根の西隣の三ツ木という所で貢をしていたのです。

魏志倭人伝には卑弥呼の住まいについて「居る處の宮室は樓觀であり、城栅を嚴かに設け、常に人有り、兵を持って守衛す」と

書いていますが、二階建て以上の建物は樓觀ですから、恐らく,この悲願寺の境内に二階建ての建物があり、そこに卑弥呼が

住んでいたものと思われます。また、魏志倭人伝には「(卑弥呼は)王と為してより以来、見た者少なし」とありますが、

この高根は要害の地であり、このような所に住んでいたら、一般の人々の目に触れないのは当然です。

 

と述べています。

 

灯篭の前で

 

 

天の中川  悲願寺の南付近から湧き出ている。水源が豊かなことがわかります。

 

 

次回はこの悲願寺周辺にある卑弥呼の遺跡を探索してみましょう。

 

 

 

 


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徳島市国府町矢野神山 気延山山麓にある天石門別八倉比売神社

 

大杉氏はこの神社の事を次のようにのべています。

 

天石門別八倉比売神社は延喜式官幣大社という最高の神社でした。この神社の近くに国分

寺があり、また、阿波の国府と国分尼寺もあったのですが、これらは、この天石門別八倉比

売神社を中心にした配置になっています。昔は天皇の使者が定期的に参詣していたと伝えら

れ、勅使道と呼ばれる道も残っています。

この神社の祭神は大日孁命、すなわち天照大神であり、拝殿の裏側にある大きな古墳が

ご神体とされています。

 

この神社には「天石門別八倉比賣大神御本記」(略して、「御本記」と呼ぶ)と記された

記録が伝えられていて、それには、大日孁命の葬儀の模様や、古墳に金印を埋めたことなども

記されています。

また、最初は気延山の頂上に葬られていたのですが、小治田(推古)御字元(五九三)年に

現在地へ移したことが記され、前方後円墳と拝殿の跡が残っています。

現在の古墳の上には五角形の石壇が造られていますが、

このような古墳は他には無く、この古墳が特別の古墳であることを物語っています。

また、気延山の中腹に、神社が使用していた五角形の井戸がありますが、

五角形は何を意味するのか、謎になっています。

なお、邪馬台国の卑伽呼と、高天原の天照大神とは同一人物であることが判明していますので、

天石門別八倉比売神社の御神体は、卑弥呼の現在の塚ということになります。気延山の頂上に残っ

ている大きな前方後円墳の跡は、魏志倭人伝に記されている通り、径百余歩あります。

なお、卑弥呼(天照大神)が気延山の頂上へ葬られた理由は、高根(卑弥呼の都跡)-神山

町(大宜都比売の国) ·剣山(高天原の中心) ·高越山(蓬萊山)-城山(海神の宮)-淡路島

(伊邪那岐命が葬られている)など、卑弥呼の見たい所がみな見える場所だからです。

 

以上のように語っています。

 

それでは気延山を俯瞰してみてみましょう。

 

国土地理院 globeより 以下同様

 

徳島の市街地は当時 海の底と考えられています。

気延山の付近は国府跡で入江に面していて海の玄関口でした。

国府町という名がそれを明確に示しています。

遠くに剣山が鎮座しその尾根伝いに神山地方があります。

神山地区が卑弥呼の都跡と比定しています。

名前も神山ですからドンピシャリ。

吉野川が西へと続き肥沃な土地と分かります。

 

気延山全景

 

標高200m程度の低い山です。北側には平野が続き

南側は剣山 神山町へと向かう分岐となっています。

史跡公園があり弥生時代の古墳が密集する特異な場所で

徳島県の古墳のメッカです。

この史跡公園の近くに神社が鎮座しています。

気延山は矢野神山とも呼ばれ卑弥呼の御陵を暗示しています。

山頂には前方後円墳があり卑弥呼の墓跡と大杉氏は比定。

ちょうど百余歩の大きさで魏志倭人伝と矛盾しません。

後年 山頂から御陵が神社付近に移されたと古文書に残されていると

いいます。

 

五角形の形をした塚 卑弥呼の御陵

 

 

気野辺山には約200の古墳跡があり密集しているという。

 

詳しくは神社の略記をご覧ください。

 

東から俯瞰した矢野神山 

 

大杉氏は卑弥呼の見たい場所がすべて山頂から見える場所という。

剣山をはじめ神山 高越山などが丁度見える。

 

現在は変電所があり高圧電線が山に多数架かっている。

何者かがこの山を管理していますよと暗示しているようです。

 

次回は翌日に見学した徳島県神山町神領にある卑弥呼の都跡を

ご案内します。必見です。

 

 

 

 

 

 

 

 


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地説明会 徳島市 国府町 気延山 卑弥呼の墓

 

4月21日22日の両日 倭国いのくに研究会 会長 大杉博先生の現地説明会を取材しました。

参加者は6名 一泊での説明会です。

 

この日は淡路島の伊弉諾神宮に参拝し午後から国府町の気延山にある卑弥呼の墓を訪問。

取材班は午後からの卑弥呼の墓から参加し取材いたしました。

 

気延山は200もの古墳が確認されており西暦300年代の古墳群が密集する全国でも異例な場所です。

この山に鎮座する天岩門八倉比売神社で集合し先生の説明が始まりました。

 

気延山の空撮風景

 

標高 200mくらい 周りには変電所や高圧電線がひしめき細心の注意が必要です。

 

気延山の山頂は前方後円墳となっており卑弥呼の墓跡と考えられています。

 

次回から説明会の模様をリポートしてまいります。

 

 

 

 

 

 

 

 


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空海が修行の地として選んだ数少ない場所。

 

香川 五剣山 85番札所八栗寺 88番札所 大窪寺奥の院 大滝山 大滝寺 高知 五台山 31番札所 竹林寺 32番札所 禅師峰寺 室戸岬 御厨人窟 

 

今回は香川の屋島の東に位置する五剣山 八栗寺をお伝えします。

 

国土地理院 Gloveより 俯瞰写真

 

屋島の隣 奥は瀬戸内海となっています。 五剣山と呼ばれる珍しい形をした山です。

366mの標高で空海が修行をしたと伝えられ四国霊場 85番 八栗寺が鎮座します。

 

瀬戸内海から讃岐平野 四国山地を俯瞰

 

古代史研究家 大杉博氏は 剣山の頂上から五剣山が見えたので 間違いなく五剣山から剣山を拝むことができるはずだと語っています。

 

八栗寺 奥に見えるのが五剣山

 

尖った峯が5つ連なっています。古くから信仰を集めています。こちらの山の頂上付近から南の四国山地方向を山岳ソフト カシミールにてシュミレーションして見ました。

 

山岳景観ソフト カシミール

 

左に特徴的な形の山 白山が見えます。遠くには剣山の周辺の山々も見られます。

手前は讃岐平野。その奥が讃岐山脈が横に連なっています。

その讃岐山脈の南に剣山がそびえます。

 

広角での景観。

 

空海はこちらでも 虚空蔵聞持法を修行したと伝われます。

 

五剣山 この地から空海は剣山を望みながら修行した。

 

数少ない修行の地の、ほとんどの場所から剣山を見ることができる。

 

虚空蔵聞持法こそが真言密教的に暗号と暗示を秘していると大杉氏は語ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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空海の修行の地 五剣山 八栗寺 大滝山

 

四国霊場 88番札所 大窪寺の空海の修行の地 奥の院からも

剣山を中心とする大和朝廷発祥の地が眺められることをお伝えしました。

 

今回は香川の五剣山の八栗寺と徳島と香川の県境 讃岐山脈にあります大滝山を

見ていきます。大滝山にある大滝寺は四国霊場に属してはいませんが空海修行の地として知られています。

 

大滝山 俯瞰写真 国土地理院 Gloveより

 

遠くに見えるのが讃岐平野と瀬戸内海 手前が徳島市の美馬市付近になります。

空海はこの大滝山で虚空蔵聞持法を修行したと伝えられています。

 

次の写真は香川よりから大滝山を俯瞰したもの

 

奥が南方向 この高さからは遠くの真ん中に剣山があることがわかります。

大滝山の麓付近は吉野川の沿岸が続きます。

 

修行をしたという大滝山の頂上からの景観を山岳ソフトのカシミールにてシュミレーションしてみましょう。海抜は900mほどで南の方角を眺めます。

 

剣山だけでなく天孫降臨の山々が見えます。高千穂=友内山も手前に見えます。

つまり大滝山からは天孫降臨のコースを辿ることができるわけです。

次の写真は拡大したものです。

 

剣山の真向かいの丸笹山 赤帽山 網付山 八面山 友内山=高千穂と剣山から尾根伝いに降った道が全て望めます。

 

朝廷の出自の場所を封印しなければならない空海の心情が偲ばれますね。

 

 

 

 

 


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四国霊場 88番札所 大窪寺

 

前回 奥の院 胎蔵峯寺からの眺めをシュミレーションしました。

 

古代史研究家 大杉博氏によると 

ただ剣山と友内山が見えるだけでなく手前の山々の峰の上に

ギリギリ剣山などが見える場所をわざわざ選んでいると語っています。

 

そこでもう一度 標高を奥の院に合わせて低くして見ました。

前回は操作ミスで女体山頂上付近からの眺め。

もちろん間違いではないのですが 奥の院の空海の修行場所からは

絶妙な位置に剣山と友内山=高千穂などの天孫降臨の山々が見えるとのことです。

 

山岳ソフト カシミール にてシュミレーション

 

頂上ヒュッテとあるのが剣山山頂 右下に友内山が見えています。

その手前に「台ヶ丸山」の尾根が左右に伸びています。

ここより低い場所では友内山が隠れてしまいます。

手前の山に「台」とあるのも暗示かもしれません。

天孫降臨の地を台で支えているような意味とも取れます。

 

確かに絶妙な位置に奥の院が佇んでいるような気がします。

 

 


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四国霊場八十八番札所 大窪寺 

 

 

結願の寺 四国霊場の最終点 こちらを目指して遍路は長い旅に出ます。

 

古代史研究家 大杉博氏はこちらにも巧妙な空海の暗号と暗示があるといいます。

 

霊場の最終地点ですからやはり意味のある場所として選ばれているはずです。

 

この寺は空海ではなく行基が開設した寺として知られます。

しかし、空海の伝説もちゃんと残っています。

空海の修行した場所が下の地図にあります。

 

香川 五剣山 大窪寺   徳島 大滝寺 高知 禅師峰寺 室戸岬 御厨人窟の五ヶ所で

修行したとされる。

 

高知市の禅師峰寺と五台山竹林寺は前回ご紹介しました。

どちらも遠くに剣山を拝することができます。

 

今回のテーマの大窪寺以外で香川では五剣山 徳島県では大滝寺でも修行したと伝われます。

大滝寺も行基が開基しました。その後 空海が修行の地に選んだといいます。

 

大窪寺 背景の山が女体山

 

大窪寺から裏山を800mほど歩いた場所に奥の院があります。こちらに洞窟があり空海の修行の地と言われます。

大窪寺から女体山までの途中に祠があり山の頂上付近です。

 

大窪寺と奥の院の位置関係  国土地理院 Gloveより

 

 

大窪寺から30分ほど登ると奥の院に到着します。奥の院の祠を 胎蔵峯寺と呼んでいます。

女体山の中腹の胎蔵峯寺 空海の暗号のようです。

 

大杉博氏は

 

すなわち、こうである。第八十八番大窪寺の奥の院とは、四国八十八カ所を巡拝した者に、

最後に大和朝廷の聖地を遙かに拝ませる場所であるとともに、友内山(高千穂)や剣山(高天原の中心)が

尊い山であることを暗示する場所だったのである。

かつて空海はここで、剣山を眺めながら、「虚空蔵聞持法を行じたはずである。剣山地に鎮まっている神々に、

日本民族の安泰を祈ったものと思われる。

あとで私は、この奥の院の寺号が「胎蔵峯寺」であることを知った。「胎蔵峯」とは「峯を胎

蔵(含有)している」という意味である。それは、この奥の院から眺める視界のなかに、尊い峯

が含まれていることを暗示している。「胎蔵峯寺」という寺号も空海がつけたものである。この

寺号もまた、私の推理にぴったり一致するではないか。

 

と語っています。

 

この奥の院から眺めることのできる景色を地形ソフト カシミールにてシュミレーションした画像がこちら。

大窪寺より200mほど標高を高くして見ました。

 

 

山岳ソフト カシミール

 

 

画像のように穴吹町の高越山 剣山 友内山=高千穂など天孫降臨の山々を拝することができます。

拡大画面がこちら。

 

 

 

やはり四国霊場の最後の札所でも空海は修行しており、剣山を拝することのできるように慈愛のある暗号と暗示を

残していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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