下関市豊北(ほうほく)町田耕(たすき)に鎮座している
中山神社
この1つ前のブログの、客神社を参拝し、帰る途中に、「中山神社」という案内板が目に入り、なんとなく行ってみたんです。
金属の鳥居と社殿です。
昭和38年に創建された、新しい神社でした。
明治天皇の母方の叔父にあたる中山忠光公が、この地で暗殺されたんです。
二十歳だったそうです。正確には、19歳と7ヵ月。
なぜ暗殺されたのかというと、
幕末急進派の首領だったからです。
ここは、暗殺された地ですが、お墓は、下関市の綾羅木(あやらぎ)というところに綾羅木の中山神社が鎮座していて、そこにあるそうです。
そのうち、行ってみようと思います。
中山公は、こんな方です
めっちゃ、イケメンなんです。
神社の中に、この写真が掛けてありました。
二十歳で暗殺されたんです。。。
その時、忠光公の彼女は、妊娠してたんです。。。
忠光殺害の1ヶ月後、奇兵隊が下関市長府の功山(こうざん)寺で挙兵しました。
中山公は、長州で、下関の赤間に住んでいた恩地トミさんを側女(そばめ)にしました。
トミさんは、忠光公の死後に、忠光公の唯一の子どもさんの南加さんを生みました。
トミさんは忠光公より一つ下の19歳で、忠光公とは、11ヵ月の間、仲良く暮らしたそうです。
忠光公が敵に追われる中、妊娠していたトミさんも一緒に逃げたということです。
忠光公の死後、トミさんと赤ちゃんは、敵に命を狙われ、転々としたそうです。
高杉晋作の率いる騎兵隊に守られたそうです。
この時生まれた南加さんの孫、つまり中山公のひ孫さんの嵯峨 浩(さがひろ)さんは、中国の清朝のラストエンペラー溥儀(ふぎ)の弟の溥傑(ふけつ)に嫁いだそうです。
※画像は、Wikipediaからお借りしました。
溥傑と嵯峨浩さんです。浩さんが、可愛いです。
なんか、すごくドラマチックです。
わたし、全く知らなかった。
中山神社には、天皇家の方も参拝されたことがあるようです。
わたし、歴史音痴で、明治維新のことなんかも、全く興味がなかったんです。
けど、今回、中山忠光公のことを知り、なんか悲しみとともに、この時代を生き抜いた日本人の強さに、すごく惹かれました。
すごく、勉強になりました。
この神社では、パワーは感じませんでした。
嫌な雰囲気もありませんでした。
悲しいおまけ
溥傑と浩の長女さんは、心中したんです。
天城山心中と言われる事件です。
なんか、あまりにもドラマチック過ぎて、なんか愕然としてきました。。。