大誤算、仕事を探していた理由 | アメリカで夫を亡くしました

アメリカで夫を亡くしました

2023年4月からの記録

夫の遺言は夫の長男と長女の二人に管理責任があります。

夫はがんの診断を受けてから、この二人と話し合いを重ねて私に財産が残るように遺言書を作成していました。夫の子供たちがそれをサポートしてくれて感謝しています。

 

細かいミスはあったものの、修正できて、相続や税金の手続きはほぼ完了!というところまで継長男が頑張ってくれました。そこで、最後の難関をクリアしようところで、誰も予想指定なかったことが起こりました。

 

アメリカの遺族年金は私が60歳にならないと支給されません。夫の仕事を手伝っていたために、アメリカでは職歴のない外国人の私のために、夫が口座を指定して残してくれました。

 

だから、葬儀が済んだ後、仕事を探した方がいいのかと聞いた私に、継長男は外に出て働きたいのならもちろんOK、でもお金のために働かなくても大丈夫だからね、と言ってくれたのでした。

 

これがどれだけ心強かったか。


しかし、この口座の名義変更をしようとして判明したのが、足りないじゃん!ガーンガーンという現実でした。

 

家のローンは残っています。小さい家に引っ越すことも考えましたが、無職の私にローンは組めませんし、この家の膨大な物を片付けることを考えただけで気が遠くなります。

 

夫の遺族年金が受給できるようになるまであと3年ちょっとかかります。

60歳で受給すると、遺族年金では家のローンと生活費は賄えないということも判明しました。

 

家の一部を人に賃貸にするという案もありました。

女性が一人で住むより安全で、家賃収入が得られることは理解できますが、わがままアメリカ人(主語が大きすぎですけど)一緒に住みたいか?私は好きな時間にピアノが弾きたいし、ということでとりあえずは却下しました。今後必要があれば、その時に考えることにしました。

 

すると残された選択肢は私が働くことしかありませんでした。

ゆくゆくは働こうとは思っていたのです。このグリーフが少しはマシになって頭が働くようになったら、日本の資格をアメリカに移行して起業しようと思っていました。

でも資格をアメリカに移行するのにも、起業して事業を軌道に乗せるのにも時間がかかります。その間に貯金が減っていくのを見ている不安には耐えられないと思いました。

アメリカに残るならブラック企業だとしても、スキル、職歴、コネなしでも雇ってくれる所を探すことになったのです。

 

そんなこんなでアメリカで訳も分からないまま就職活動をして、ジョブフェアにも行ってみること1ヶ月、無事に仕事が見つかりました。

 

あまりに不安で記事にできませんでした。仕事が決まり(まだ初出勤日が決まっていないのですが)、ようやく書いてみようと思えるようになりました。

この突然の大誤算と就職活動と不安の日々で色々と感じたことがあります。これも少しつず書いていきたいと思います。