福田恆存の「良心」 | 本を読んでも賢くなりません。

本を読んでも賢くなりません。

むか~し読んだ本、最近読んだ本
ジャンルいろいろ読書感想


テーマ:

つい先日「毎日記事を書いてみる」など言ったばかりで、休みの連続です(笑)

ネット言論は玉石混交、そして日本には言論の自由があるとはいえ、あまりに酷い書き込みを目にすると、つい気分が落ちてしまうのです。

 

 

これでネットの匿名性というのは、良いようでいて弊害もかなりありますね。

自分の言葉に責任が持てるのか、胸倉掴んで問い質したいようなことを平気で書く人が多すぎると思うのです。

 

 

これだけを書いたのでは、何の事やらわからないでしょうが、韓国・朝鮮や在日の方への歪んだ書き込みです。知識が無いなら黙っていればいいのに、その自覚もなく嫌韓派が数を頼みに言いたい放題。つい、日本人であるのが嫌になります。

事実を基にした批判ならいいのですが(それなら私も書いています)、人種差別的な用語は控えて欲しい。同国人が見てさえ辛いのですから、心に突き刺さるような思いをされる方もいるはずです。

 

 

 

 

数日前、近所の本屋で棚にズラリと並んでいた、京セラ創業者の稲盛和夫さんの「考え方」という本をふと手にしました。

偶然開けたページに書かれていたのが、稲盛氏の考える人生の方程式についてでした。

人生・仕事の結果は、「考え方」×「熱意」×「能力」という一つの方程式で表すことができるというものです。

 

 

「能力」は生まれながらに個人に備わっている頭の良さや運動神経など、これはゼロから100まであるといいます。

そこに掛かるのが「熱意」という要素です。これも、やる気のない無気力な人から、熱意をもって人生をかけて仕事や勉強や・・・に取り組む人まで様々おり、これもゼロから100までの幅がある。

 

 

そして最後に重要となるのが「考え方」で、これはマイナス100からプラス100までと大きな幅を持ち、上の方程式は掛け算ですから、能力があればあるだけ、熱意があればあるだけ、考え方を間違えると大変な結果を生む、というお話しでした(立ち読みなので、細かい突込みはナシでお願いします)。

 

 

稲盛さんの仰っている「考え方」とは、ブログ師匠の果樹園さんの言葉だと「価値観」ということになろうかと思います。

果樹園さんは国際情勢に関する分析記事がお得意なので、それがメインとお考えの方もいらっしゃるでしょうが、実は人間の(日本人の)「価値観」がメインテーマでブログを書いておいでです。

 

 

その果樹園さん、とあるブログに腹を立ててコメントをしていたようですが・・・火に油を注ぐ結果になっていました(笑)

知識の豊富さを誇る饒舌な文体が特徴のブログですが、上の方程式の「考え方」がどうも・・・マイナス方向な故、結論が(師匠や私から見ると)狂っているのですが、支持者は多いようです(嫌韓人の)。

 

 

 

 

人間に限らず、国家にも上の方程式が当てはまるのではないでしょうか。

つまり中国や北朝鮮をなぜ危険視するかと言えば「考え方」、「価値観」のためです。

僅かな海を隔ててすぐ近くに「考え方」のおかしな国が、年々能力を備え(元から「熱意」には並ならぬものがあります)軍事力をもって恫喝を繰り返し行っている・・・

 

 

対する我が国は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」してしまったもので、長らく平和ボケと言われる状態にありました。

その平和ボケの空気をむしろ醸成しようと努めてきた「進歩的文化人」を批判してきた言論人のなかで、私が最も信頼するのが、(故人では)福田恆存、竹山道雄のお二人です。

 

 

それは何よりお二人の「考え方」、価値観が正しいと思えるからです。

2015年出版されたムック本「総特集 福田恆存 人間・この劇的なるもの」に収められている文芸評論家、新保祐司氏の「福田恆存と『絶対神を必要としなかった日本人』」の書き出し部分に、そこのところが上手く言い表されています。

 

 

 

 

小林秀雄が、坂口安吾との有名な対談「伝統と反逆」(昭和23年)の最後のところで、福田恆存のことが話題になったとき、「福田という人は痩せた、鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだ。」と語ったことはよく知られているが、小林秀雄の「真贋」を見抜く批評の眼力がここでも発揮されていて、さすがといわざるを得ない。
「良心」という言葉が使われている点が、画期的である。

 

 

 

 

 

 

福田恆存というと、その頭の良さが云々されることが多いが、福田は「知性」の人というよりも「良心」の人なのである。
「知性」の人ではあるが、その「知性」は「良心」に根差しているといっていいかもしれない。いずれにせよ、福田において、特筆すべきなのは「良心」なのである。
このことをまずいっておきたいのは、近代日本において「良心」を持たない「知性」(これは本来の「知性」ではないが)が跋扈していたからである。
これは、現在は何ら変わっていないどころか、もっと悪化している。「知性」がほとんど「情報力」と違わないものとなっていけば、「良心」など消え去ってしまうからである。
 福田の近代日本の知識人に対する批判の核心は、この「良心」の欠如である。今日では、「良心」なき「知の巨人」なる化物が、肯定的に評価されるまでに人間観は倒錯している。

 

 

 

その「知性」から生まれた福田の言説を学んでいる日本人が今日でも多くいるのは、河上徹太郎や中村光夫がほとんど忘れられている現状からすれば喜ばしいことに違いないが、その「良心」を学んでいる人は少ないであろう。
福田を学ぶとは、実は「良心」を学ぶことであり、自分に「良心」があるかを振り返ることなのである。

 

 

 

正しい「考え方」──「良心」に裏打ちされない、情報を並べ立てた知性に価値は感じません。

 

 

 

 

 

 

 

 

久々にフィギュア見ました。

でも怖くて、ちゃんと見られませんでした(笑)

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

つくもさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス