メディアの驕り | 本を読んでも賢くなりません。

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ごく普通の読書ブログのつもりではじめたら、ごった煮のようになってしまいました。

 

月曜、デッサン教室の帰りに地元書店よりは大きい、デパートに入っている書店で廣淵升彦さんという方の新書「メディアの驕り」を見かけて買ってきました(当日の記事でも画像は出しました)。これが大変面白いのです。

 

 

廣淵升彦氏

 

 

 

不勉強で廣淵升彦さんという方をこれまで存じ上げませんでしたが、過去のご著書の何冊か、書名に記憶があります。そんな中の一冊「頭にちょっと風穴を」(2008年 新潮社)を求めてみました(ええ、いつもの密林で。さっきクロネコちゃんが持ってきてくれました)。これも滅法面白そう!

 

ところで先の「メディアの驕り」

新潮社のホームページに載っている紹介文は以下の通りです。

 


 

プラスとマイナスが逆転した価値観、過剰な「社会の木鐸意識」、あいかわらずの中東音痴……いったいなぜ、日本のメディアは間違うのか。「水玉のタイはクリーンの象徴」「ベニスの商人=悪人」論など、かつてのミスリード報道を実例として挙げながら、その背後にある驕りの構造をひもとく。情緒的平和願望に流され、知性と教養をおろそかにしたままでは、国の未来は危うい。ベテランジャーナリストによる渾身の論考。

 


 

櫻井よしこさんも『週刊新潮』 2017年8月10日号の日本ルネッサンス 第765回、「ベテラン記者の警告、メディアの驕り」に「いま読むべき書は廣淵升彦氏の『メディアの驕り』(新潮新書)だと言ってよい。」とこの本を薦めるコラムを書いています。

 

http://yoshiko-sakurai.jp/2017/08/10/6967

 

 

22日、火曜日の読売と産経新聞朝刊に、「放送法順守を求める視聴者の会」によって下の意見広告が出たように、いまのメディアの偏向は目に余るものとなっています。

(朝日、毎日、東京新聞読者にこそ、上の広告が必要でしょうに)

 

 

https://twitter.com/KentGilbert01/status/899765819277623296

 

 

「加計学園問題」 テレビ報道の扱い

 

「行政が歪められた」 前川喜平氏 2時間33分46秒

 

 

「歪められた行政が正された」 加戸守行氏 6分1秒

 

 

 

「社会の木鐸意識」だけが過剰となったマスコミ人間の独善・・・廣淵氏の言う「メディアの驕り」が、こうした状況をつくりだしているのではないでしょうか・・・先進国としてはテレビへの信頼度が突出して高い日本人に持ってほしい視点です。

 

 

本の終わりごろ、米国の高校のいくつかで実践されているという、興味深い授業について書かれた部分──

 

 

アメリカの私立高校や公立高校のいくつかでは、先生が新聞記事を生徒に読ませたり、テレビニュースのビデオを見せて、「この中にバイアスが含まれていないか。含まれているとすればそれはどこか」と尋ねる授業がある。

生徒は一生懸命に考えて、自分なりの意見を言う。こういう授業では、「正解」はない。生徒が自分の頭で物事を考えるようになるのが狙いであり、多数の意見が出てくることを先生は歓迎するのだ。(略)

こういう授業は、生徒たちにとってかなり刺激的な授業である。なにしろ自分たちがメディアの質の良否を裁くのだ。理性的でフェアな紙面づくりやニュース編成をしているか、それとも読者・視聴者を煽り、自分たちの望む方向に大衆を誘導しようとしているのかを、容赦なく分析するのだから、魅力がないわけがない。

こうした授業で鍛えられた若者が、大学に進学し、社会人として巣立ってゆく。メディアの伝えること、唱えることに簡単には同調しない者たちだ。日本でもこういう読者や視聴者を、「社会の安定に必要な層」として歓迎するムードが生まれてほしいものだ。

このような授業がさかんになれば、メディアの側にも緊張感が生まれる。報道内容はよりフェアになり、社会が活性化することは間違いないと思う。(「メディアの驕り」225ページ~226ページ)

 

 

現行メディアは、日本の国を疑え、政府を疑えと煽りますが、権力の監視役を気取るメディアこそ、最大の権力となっているではありませんか?

 

ではそのメディア権力を監視するのは誰でしょう。

国民がメディアに望むのは、国家の監視役なのか公平な報道なのか・・・いまのメディアの有り様は、強大な権力を握り、勝手な解釈で国民を思う方向に誘導しようとする暴走機関としか感じられません。

 

 

著者「あとがき」より──

 

戦後72年、日本が最も大切にしてきたもののひとつが、多様で柔軟な価値観でした。さらに権力や周囲の圧力をはねのけて、自分の考えを表現できる「自由」でした。その「自由」が、いま失われそうになっている、と私は感じています。

一方で「このままでは日本は危ない」と訴えつづけている人々がいます。いわゆる「リベラル」と呼ばれる人々です。しかし広く世界を見渡した上で日本を見た場合、その主張には相当に無理があります。

(中略)今、私がひたすら願うことは、日本が侵略されたり、自由を奪われて、強大な軍事国家の属国にならないで生き延びてほしいということです。

日本の周辺で起きている事を見れば、この悪夢が明日にでも現実になる可能性が高いことが、おわかりになると思います。日本が平和に生き延びるためには、皆さんがマスコミに対しもっと賢くなり、疑い深くなる必要があります。

平和で、自由で、繁栄する日本が存続することが、どれだけ世界の人々に希望を与えるものかを、考えてみてください。我々が、そういう生活をエンジョイすることで、世界の多くの人々が「日本のようになりたい」と願い、日本に憧れ、日本を訪れているのです。+

 

 


安倍政権による日本の右傾化と

日本が軍事国家に戻る心配をするメディア・・・

彼らの中に、軍事国家の属国となる心配がみえない

それこそ、彼らが偏向している証し

とは言えないでしょうか

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