腑に落ちるとはどのことか。
まさか、このこと?
どこまでこうも事が上手く進むのか大変見物ではあるのだが、そろそろ私の頭ははち切れそうで心配なのです。
右耳から鈴の音、私の浄化が始まったというのなら、確かに悪夢を見ていたことになる。
釣り上げた鯉が鯰になった時、奇妙な心地もせず他の雑魚たちのてっぺんに積み上げ、上を向いて何食わぬ呼吸を未だ繰り返していた。
運命よ、君は幸せか。
彼が修行を握り続けている為か、私も打ち込み、勤しんで、頭痛の日々を日常とする必要があるという。
そんな根拠は一体どこに?
私がもがき続けるのを嫌じゃないから今があるに決まっている。
ただ、それだけのこと。
耐える、耐えないのではなく、嫌いじゃないという曖昧な感覚が個人の全てよ。
不安で仕方のない夜に見る幸運の兆しは、絶望を感じるようで悪くは無い、いつも崖っぷちに立って一歩を間違えられないくらいがとても美しい。
この場所は、とても素晴らしい。
私の理由がこの景色を象るものとして、今日があるに違いない。
愛している、何かが訪れるその一日が、とてつもなく私を愛しているから。