2022/09/13放送

マツコの知らない世界

https://www.tbs.co.jp/matsuko-sekai/ 


'東大の卒論も修士論文も歩行者天国についての研究を書いたホコ天マニア'
内海晧平(ウチウミコウヘイ)さん(以下、内海)




《日本唯一⁉のホコ天マニア、東大男子がハマった理由》


内海「どうも。よろしくお願いします」
マツコ「あ、なんか、なんか好き」
内海「ありがとうございます」
マツコ「理由はちょっと。ちょっとなんだろう、ドキドキはしないけど結婚したいタイプです」
内海「私、江戸川区平井というところ出身でして。平井の駅前にへら鮒専門の釣具屋があるんですけど、わかります?あの電車から見える」
マツコ「あ、『へら鮒』って書いてある」
内海「あれ僕の実家です」
マツコ「ちょっと待って。平井から出た初の東大生?」
内海「そんなことはないと思いますけど」
ナレーション「東大在学中、文京区根津にある歩行者天国に感激し、卒業後近くに引っ越し。東大の卒論そして修士論文もテーマは‘ホコ天’。さらに日本全国や海外のホコ天を300か所以上巡り、同人誌まで出版してしまった、日本唯一のホコ天マニア」
内海「例えばですけど、高知の歩行者天国は毎週日曜日にマーケットがたっていて。ここはけっこう食べ歩きができたりとか」
マツコ「ここはあれだよね、けっこう名物というか」

内海「そうですね、有名なところですね。八百屋さん、野菜売ってたりとか」

マツコ「よさこいとかやる通りよ」
ナレーション「そんな内海さん、ホコ天を愛しすぎるあまり、ある悩みが」
内海「こんな感じでいろんな場所で、歩行者用道路とか歩行者天国を訪ね歩いていたんですけど。そしたらもう見つける能力が高くなりすぎちゃって、道路の標識が気になって映画のストーリーが頭に入らない。パニックが起こる映画とか、災害が起こる映画とかの中で、もともとこの幸せだった日常みたいなものの象徴として歩行者天国シーンが入ってくることがけっこうあります。気づいちゃうんですよね」
マツコ「生きづらそうね」
ナレーション「ホコ天マニア内海晧平さんが考える、ホコ天ならではの魅力とは?」
内海「看板ひとつ置くだけで激変。ただの道路が‘ワクワク感’と‘背徳感’が味わえる場所に」
マツコ「背徳感?」
内海「普段やっちゃいけないことをやってる感じってありませんか?道の真ん中歩いているとか、座ってやってるとか飲んじゃってるとか」
マツコ「いやだから、真面目に生きてきたからよ。あたしだったらあれフルチンOKくらいにならないと、背徳感感じないわよねやっぱり」
内海「道端にこうやって周りのお店の方がテーブル出したり椅子出したり、テラス席のような使われ方をしていたりとか」
マツコ「あれ?日本っていつからこんな国になったの?へえ、あれはもう好きに使っていいんだ?」
内海「だいたいその商店街ごととかにルールを決めてたりはするんですけど、そこをどう使うかはかなり町の人に任せられているんですよね」
マツコ「確かにあの新宿通りとかよりも生活道路のほうが、風紀を乱している感は感じるわよね」
内海「今日はまさにそういう話をさしていただこうと思っています」
マツコ「けっこう風紀乱したいタイプ?」
ナレーション「普段は入れない場所に堂々と入れるホコ天ならではのワクワク感。今から52年前、銀座で開催された東京初の歩行者天国では、普段は入れない車道を歩ける喜びが爆発」
内海「ハト飛ばしちゃったりとか、アイスクリームを無料で配っている。今後ろに書いてありましたけども、『銀座ホリデイプロムナード』っていう名前だったりとか。その頃ではまだ名前ちょっと決まってないんですよね」
マツコ「だから70、80年代ってああいう映像を見ると、本当に勢いがあるよね。映像からわかる。なんか今は」
内海「希望を与える歩行者天国の話をこのあとさしてください」
マツコ「歩行者天国は日本を救ってくれるの?」
内海「救います」
マツコ「いつもだったら『何言ってるんだ』ってなるんだけど、東大出の人が言ってるから、わからないよ」
ナレーション「ちなみに、内海さんは‘歩行者天国’という呼び名がいつから使われているかも調査したそうで」
内海「一応ちょっと古い新聞をあさっているんですけど」
マツコ「ああ、あたしあの『銀座解放区』ってのもけっこう好きよ」
内海「車からの解放っていうことで」
マツコ「うわあ、良いね、『解放区』」
内海「あとは1970年よりもだいぶ前に、車が普及しだしたころから同じようなことはやっていたんですけど。例えばこう『道路遊園地』みたいな名前がバラバラだったので、あんまり文化としては定着してなかった」
マツコ「『20メートル競走も登場』って書いてあるわ」
ナレーション「歩行者天国となる道路わきにあるのは、こちらの歩行者用道路の標識。実は内海さん、東京23区にいくつあるのか独自調査したという」
内海「警視庁にデータをもらえるんですよ」
マツコ「『何しに来たんだよ?こいつは』って思ってるだろうね」
内海「絶対思われていると思います。こういうリストをもらって、全部手で入力して。23区だけだけで5500か所あって」
マツコ「いやあ気持ち悪い」
内海「この中にいろいろ種類があって、スクールゾーンみたいな小学校の周りに」
マツコ「要はだから、ただいわゆる交通規制しているだけで、あたしたちがイメージする歩行者天国っぽいものじゃないのがほとんどなのよね、きっとね」
内海「ほとんどです。70年代80年代にすごい盛り上がったんですけど、そのあとだんだん下火になっていっちゃった。年々この歩行者道路は減っておりまして。実際に活用されている歩行者用道路はたぶん10パーセントくらいしか」
マツコ「ええ?」
内海「歩行者天国にするためには、車止めの看板を置かないといけないんですけど、それが置かれているのが本当にわずか。ただ置かれているところはめちゃくちゃおもしろい。歩行者天国を続けるには理由があると。歩行者天国には‘その町の生きざま’が表れる」
ナレーション「そう、内海さんはホコ天を運営する商店街や町内会に、なぜ続けているかを独自取材。その中から町の人の熱い思いに共感した2つのホコ天をご紹介」
内海「今年で50周年。子どもたちの楽園。文京区根津、藍染大通り。遊戯道路という、子どもが遊ぶための歩行者天国っていうもの」
マツコ「え、そんなのあるの?」
内海「そうなんですよ」
マツコ「やっぱりあれかな?公園とかがあんまりない地域とかなのかね?」
内海「そうですね」
マツコ「ケンケンパとかやってるのかしら?」
内海「やっています」
ナレーション「実は内海さん、東大生時代にここに出会い、現在は近くに住んでいるという。子どもたちが自らの手で設置」
マツコ「子どもが出すんだ?」
内海「本当は大人の当番がいるんですけど、だいたい子どもが待ちきれずに」
ナレーション「この日のお目当てはビニールプール」
内海「たまたま通りかかった子が、プールやってるじゃんってつかまっちゃって。僕も毎週基本的に遊びに行っているので、水をかけられ。子どもから呼び捨てで水をぶっかけられています」
ナレーション「まるで昭和にタイムスリップしたかのよう」
町内会役員・杉山さん「歩行者天国を立ち上げたのが、僕の父かな。僕が子どもの時はローラースケート大会、バドミントン大会、日曜日はなにかしらの行事はやっていました。日曜日のちょっとした時間、この場所で自由に楽しく遊んでもらえるってことはすごくうれしいことです。続けてきてよかったなあと思います」
マツコ「無邪気な笑顔を見て衝撃でしたよ。この人はもしかしたら東大まで出ているけど、精神的にはまだ6歳くらいなのかもしれないってね。一番心を開いていた、子どもに。あんな笑顔あたしにも見せてよ」
内海「このとおり、かなりいろんな使い方をしていて。スイカ割りとかはまあわかると思うんですけど」
マツコ「いや、わからないですよ。当然ですみたいな言い方されていますけど。あんまり路上でスイカ割りやってるの、見たことないですけど」
内海「そうですか?」
マツコ「あんた慣れすぎですよ」
内海「路上でスイカ割りしたり、一番すごかったのはこの結婚式の披露宴」
マツコ「これはなに?地元の人同士が結婚したの?」
内海「僕みたいな感じでもともと町に関わりがあった」
マツコ「そこがだから好きで、あえて引っ越してきた?」
内海「そうです。この歩行者天国があってくれるおかげで、そこがつながるきっかけになっているので、町にとってこういう装置って大事だと思いました」
マツコ「ちょっとなんかおせっかいのじじいとかが、2時間なら2時間でも、あれで地域の子どもが騒いでいるのを見守ってあげるぐらいのそういう町が、もうちょっとできたら日本は変わる、とか言って『なに?変わるわけないだろ』と思ったけど、変わるかもね」
内海「はい、今の時代でもそういうことを起こしうる装置だと思っているので、歩行者天国は。それがやっぱり50年続けてきたからあの町があるんだなっていうのはすごい実感するので。本当に町の宝物みたいな場所なので。僕はここに出会って人生が変わりました。ちょっとまた別の方向で決定的瞬間を撮らせてもらった歩行者天国がありますので。同じ方が看板を出し続け40年以上。世田谷区『経堂すずらん通り』。今回その看板を出す瞬間を撮影させていただいていますので、ご覧ください」
ナレーション「経堂駅北口からのびる経堂すずらん通り商店街。日曜午後1時、商店街の入り口にある履き物屋さんから、一人の男性が。島田清治さん、86歳。実は歩行者天国の看板を40年以上も出し続けているんです」
マツコ「まあまあ、お父さんにとっては日常なんだからあんなもんですよ。何を期待したんですか?みなさん本当に」
島田さん「休んだことはありません。これは自負して言えます。たまに忘れることがあるけど」
ナレーション「ちなみに、この看板を誰が出しているか、町の人たちは知っているのか?知っていた人は50人中、なんと0」
島田さん「知らなくて良い、別に。毒蝮三太夫さんがお店に来たときに、人を喜ばす喜び、それを教えてくれたのが毒蝮さん。人が喜ぶことをやってあげれば倍になって喜びが自分に返ってくる。それをモットーにしてやってるから、全然苦になりません」
内海「いやでもかっこよくないですか?泣けません?40年以上」
マツコ「急な角度できたわね。いや、すごいことですよ」
内海「感動しません?」
マツコ「感動の共有がすごいわよね。違う違う、ちょっと急すぎるから」
内海「すみません」
マツコ「あれで泣いたら情緒不安定よ。いや、良い話だなとは思っていますけど。あの1分くらいでは泣けない。高木美保さんくらい、あれで泣けるのは」
内海「けっこう『公共の場だからけしからん』みたいなのもあると思うんですが、それにもの申す。道路は‘出会いの場’。ルールさえ決めればもっと楽しく。日本で公共の空間で騒いではいけない潔癖だなと思っていて。騒ぎすぎはいけないと思うんですけど、ちゃんとみんなで道を楽しく使っていけたらいいなと思っていて。さっきみたいにいろんな人が出会ってわいわいしたりもそうですし、もしかしたら災害のときに対応力みたいなのにもなるかもしれないし。それっていわゆる再開発みたいなお金をかけた街づくりじゃなくて、全然お金かからず道一本からできる街づくりみたいなものを、僕は歩行者天国に見いだしていて」
ナレーション「道一本の歩行者天国からできる街づくり。そんな内海さんの夢を聞いたマツコは」
マツコ「例えばああやって駅前から続くような、立派な商店街にあるような歩行者天国とかだったら、出入り口の近所に駐車場的なものをつくったりとかすれば、スーパーとかに行っちゃってるようなお客さんも、そこに車を止めて商店街で買い物するような人とかが増えると思うし。なんかそういう街の残し方っていうのはしていかないと。例えば今度、京成立石駅前が再開発でもうなくなっちゃうんだよ。仕方ないっちゃ仕方ないのよ、火事とか起きた時にさ、もう消防車すら入れない道が延々続いたりとかしているのは。でも例えばじゃあ消防車通る道一本つくって、どうにか周りは残すような計画だったり。通り一辺倒に全部区画整理して、高層マンション建てて、スーパー誘致して、じゃない街づくりがあっても。怒らないでよ、葛飾区の方。あたし葛飾区を愛して言っているからね。葛飾区の駅前にいる?高層マンション。いや、すごいごめんね」
内海「今度平井駅前も高層マンションが建とうとしている」
マツコ「いや本当ね、すごいのよ今。平井も小岩も立石も、みんな高層マンションできるのよ。葛飾のウリってあるわけじゃん。それは葛飾だけじゃなくてもさ。いろんな街の個性ってあるじゃん。それをだから全部一緒の色にしてしまうって、逆に街の魅力は薄まっていくのかなって思うのよ」
内海「やっぱりそういうお金のかけ方をしない街も絶対あって、今おっしゃったみたいにその街の個性を残したいところ、個性を発揮する場所になると思うんですよ、歩行者天国ってやっぱり。ただの道だけど、ちょっと工夫すれば街に住んでいる人が出てくるし」
マツコ「気が合うね」
内海「気が合いますね。ぜひ今後も歩行者天国の普及」
マツコ「歩行者天国専門にはちょっとならないと思うんですけど。歩行者天国も込みでね」
内海「込みで」

~完~