尾崎豊と吉川晃司と岡村靖幸と... | 私のカクレガ

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こっそりと、心に浮かんだことなど 綴ってみたいと思います。

今朝、いつもどおりにテレビをNHKに合わせていると、7時になったとたん、トップで尾崎豊さんが現れました。

「なになに???」

キッチンにいた私は、テレビの前に座り込み...

トップニュースは、流石に違いましたが、そのあとの番組内で尾崎さんの話になりました。

それは、尾崎豊さんの創作ノートが大量に残されていた 、という内容。

デビュー前からなくなる直前までの彼の想いが綴られたノートは、60冊もあるとのこと。

すごい、これって貴重です。

近いうちに、書籍化されると言ってました。


私が、実家の自分の部屋に初めて貼ったポスターは、確かGBの付録だったモノクロの尾崎さんの頬づえをついたもの。

かなり、大きいものでした。

いつも、彼の眼差しを感じて、机に向かっていたのを思い出しました。

残念な死を知ったとき、私はその場所とかなり近いところにいました。

そして、彼の住んでいたマンションを眺めながら、サヨナラと言ったことを憶えています。


先日、発売になった 文藝春秋2月号 のなかで、岡村靖幸さんが、尾崎さんと吉川晃司さんと過ごした若かりし頃のことを書かれています。

岡村さんが、こんな風に素に語るときがこようとは。。。

しかも、文藝春秋。


以下、転載ですが...(全文掲載のブログを見つけてしまった、尾崎さんのファンの方、ありがとうございます)




1965年 尾崎豊・吉川晃司と「飲み明かした日々」 岡村靖幸(シンガーソングライター)


 1965年生まれには、尾崎豊、吉川晃司、奥田民生、岡村靖幸、中森明菜、吉田美和・・・・・・と、歌手のビッグネームが並ぶ。

とりわけ、尾崎・吉川・岡村の三氏は、私生活でも深い交流があった。

岡村氏が当時を語る。


 僕が尾崎豊君、吉川晃司君と出会ったのは、一九歳の頃。もうずいぶん前のことになりますね。

僕は作曲家としてプロになったばかりで、楽曲を提供するためにプロデューサーから吉川を紹介してもらったのがきっかけで、一緒に遊ぶようになったんです。

尾崎とはよく覚えていないんだけど、当時、あるギタリストさんがよく人を集めて飲んでいて、そこで吉川がもともと親友だった尾崎を僕に紹介してくれたんじゃないかな。

三人とも同じ年だったし、会ってすぐタメ口で話すぐらいうちとけて親しくなった。

しかも三人とも同じB型。

自己紹介で聞いたときは、これは我が強いな、と思った覚えがあります(笑)。

 それからは、よく三人で遊んでいましたね。

携帯はもちろん、ポケベルさえない時代。

自宅の電話や留守番電話で「今から行こうよ」って連絡したり、前日に約束して会っていました。

まずは六本木の「WAVE」(大型レコード専門店、1999年に閉店)内にあるレイン・ツリーというカフェで待ち合わせ、少し早めに着いたらレコードをみたり・・・・・・、というのが定番。

そこから、六本木の街に繰り出すわけです。

 よく行った店は、西麻布にあった「レッドシューズ」(アーティストのサロン的バーとして有名。

1996年に閉店、2002年南青山にて再開)。他には、「トゥールズバー」、ディスコの「AREA」、原宿の「港町一三番地」とか。

「港町一三番地」には当時としてはめずらしくカラオケが歌える部屋があって、三人でよく歌っていました。

僕は「あずさ2号」が好きで一八番だったな。二人は何を歌っていたのかちょっと思い出せないですが、自分たちの歌ではなかったような気がします。

ハシゴは当たり前で、六本木を中心にいろんな店に行きましたよ。

当時は華やかなりしバブルの頃で、街も店もにぎやかで若い僕らには刺激的でしたね。

 ほとんど冗談みたいによく言われますが、次の店をどこにするか、じゃんけんで決めたこともありました。尾崎が勝ったら、女の子を口説けるお店、吉川が勝ったらとことん飲めるお店、僕が勝ったら踊れるお店といった具合に。

当時、僕はお酒が苦手で無理して飲んで酔っ払っていたんです。

でも尾崎と吉川の二人は飲むのが好きだし強い(笑)。

だから僕は、飲むより大好きなダンスができるディスコに行きたかった。

でも、なかなかうまくはいかなかったですね。

 ホントは、尾崎が勝っても女の子のいる店なんかに行かないんです。

結局、男三人で飲んでる(笑)。

今思うと、不思議なくらい女の子から声をかけられなかったですね。

尾崎と吉川の二人はすでにスターだったし、三人とも身長が百八十㎝位で目立っていたのに。

遠慮していたとかいろんな理由があったと思うけど、一番の理由は三人ともぐでんぐでんに酔っぱらっていたからじゃないかな。

あれじゃあ、女の子は近づきたくないと思う。

意外にも当時はモテキじゃなかった(笑)。

 男三人で何を話していたかというと、こういう女の子が好きだとか、こんなタレントが好きだとか、○○食べておいしかったとか他愛のない話。

普通の青年と変わらないと思いますよ。

仕事の愚痴もしょっちゅう。

みんないろいろと悩みがあったと思うんだけど、相談するという感じではなかったですね。

何しろ、三人とも泥酔しているので(笑)。

でも三人で飲んで騒いでストレスを解消して、明日の仕事を頑張るという感じでしたね。

 当時はテレビが主役の時代で「スター=テレビに出ること」だった。

今と違って歌番組も多かったし、特に吉川は忙しかったと思います。

それでも、三人で集まって夜明けまで、飲んだり、踊ったり、歌ったりして、帰りはそれぞれタクシーで帰って・・・・・・。

楽しかったですね。

 夜遊びばかりでなく、健康的に昼間三人でスポーツクラブに通ったこともあります。

青山にある高級スポーツクラブでしたね。

当時はゴルフ会員権のようにスポーツクラブの会員になるのにも何百万必要で、普通なら利用できないんですが、尾崎の知人がスポーツクラブの会員で僕らはゲストという扱いで利用できたんです。

セレブな雰囲気のスポーツクラブで、一九歳の僕はどぎまぎしながらジムマシンを動かしていたな。

 そんなふうに昼も夜も一緒にいることが多かったんですが、あまりケンカはしませんでした。

抗論くらいはあったけど、殴り合いとか激しいケンカはなかった。

三人とも個性が強いにもかかわらず、なぜあんなに仲が良かったんだと今になって思う。

やっぱり同じ年だったから虚勢をはる必要もなくて、自然体でいられたというのが大きいのかな。

それにそれぞれがまったく違った音楽性、人間性だった故に、興味をもったり惹かれあったりする部分があったからだと思うんです。

当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラと華があって、本当に輝いて見えた。

今の僕がタイムマシーンにのって当時の彼らをみたら、「まだまだ子どもだな」と思うかもしれないけど(笑)。


三人で過ごした最後の夜


 尾崎は間近で見るとびっくりするくらいきれいな目をしているんです。

彼のスタイルはシャツにやぶれたジーンズというイメージなんだけど、いつだったか、真っ白の上下のスーツに真っ赤な花束を持っていたことがあって。

こんな嗜好性もあるんだと驚いたことがあります。

暴れ馬で飲んでいても飲んでいなくても手綱がきかない奴だったけど、本当に魅力的でしたね。

 吉川は顔や身のこなしとかの見た目だけでなく、内面もすごくかっこいい人でした。

一度、僕がよいつぶれてしまって、彼の家に泊まったことがあったんです。

広めのワンルームで、独り暮らしだから当然ベッドはひとつしかない。

そうしたら、僕をベッドに寝かせてくれて、彼は床で寝たんです。

そのとき、やさしいというか彼は紳士だなあと思いましたね。

 でも、歳を重ねるうちにだんだんと三人で集まって遊ぶことが少なくなってきました。

一九歳という未熟な時期から三人ともそれぞれ自分の道を歩み始めた。

尾崎は家庭を持って子供も生まれたし、吉川は事務所が変わったり、僕も自分の音楽活動以外に他のアーティストのプロデュース活動が忙しくなっていましたから。

 僕の記憶が正しいかどうかわからないんですが、三人で最後に会ったのは二五歳くらいのとき、場所は芝浦のクラブ「GOLD」(1995年閉店)だったんじゃないかな。

ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川が呼ばれたんですよ。

なんだろうって騒然としていたら、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と(笑)。

なんかどうでもいいようなエピソードなんだけど、今となっては貴重な思い出です。

それからしばらくして、尾崎が亡くなって、もう三人で遊ぶことはできなくなってしまいましたから。

尾崎が亡くなったあとは、どんちゃん騒ぎをすることはなくなりましたね。

吉川と二人で遊んだり旅行にも行ったこともありましたが、ケンカになることもあって。

今考えると、三人というのが絶妙なバランスだったんだろうな。

尾崎豊の死によって、時代が終わったというか、何かが終わったのだと思います。

 じつは僕、他の同じ年のアーティストとは、あまり交流がないんです。

デビューした青年期に、周りに尾崎、吉川の他に同じ年の子があまりいなかったからかもしれません。

高校を出るか出ないかのうちに若くしてデビューするロックアーティストはそういなかったですから。

僕たち三人には十代から大人の世界、社会に飛び込んだという共通の何かがあったような気がします。

いい意味では勢いがあったし、悪い意味ではとんちんかんでしたね。

一般常識が欠如しているというか。

この間も、領収書をきれいに畳んでいないと事務所の人に怒られました(笑)。

 特殊な環境下での特殊な友情。

そんな気がします。

いい時代、ステキな時代でした。

その頃よりも今の僕はお酒が強くなったけど、わくわくしながら夜出かけて行ったり、誰かと夜通し語り明かすことはもうなくなりました。

一九歳のあの頃、彼らというステキな同級生二人に出会えて、僕はラッキーでした。



私は、この私より少しお兄さんの彼らのことに、憧れていたように思います。

今となっては、もうそろうことのないメンバー...

だからこそ、永遠になったのかもしれません。



シカオさんは、当時の彼らのこと、どんな風にみていたのかなぁ。。。

なんて、思ってみたり。

仙台のライブでは、現在(いま)を生きているアーティスト スガシカオを感じてきます。

あと、4日。