今日は節分
スーパーでは恵方巻きを買うお客さんで賑わってるけど
我が家は義父の命日なので地味に過ごしています
義父の思い出と言えば・・・
結婚してすぐ長男が産まれ
ある日曜日に旦那と長男とわたしの三人で旦那の実家に行った時
「いやぁ~今週は熱が出て大変でした」と何気なくわたしが言うと
「誰が熱を出したんや!」と普段は反応のうすい義父が慌てて聞き返えしてきた
「えっと…わたしが」
そのあと義父からは何の言葉も帰って来ず会話は終了
旦那や孫が熱を出したなら気になるけど嫁には全く興味ないんだねぇ
まさに 女三界に家なし とはこのことだ
まぁ、悪気はないんだけど自分に正直で上手の言えない人だった(笑)
そんな義父は二世帯住宅を建て一緒に暮らし始めると
ホッとしたのか急に認知症になった
ゴン(犬)と一緒に散歩に出かけても一人で帰って来たりゴンだけ帰ってきたり
「ゴンはどうしたんですか?」と聞くと
「わし、ゴン連れて行ったんかいのう?」と反対に聞き返される始末
ある日は
「何時間たっても帰ってこないんや」と義母が言いに来て
自転車に乗って義父とゴンを捜索…
やっと義父を見つけて、先の道を走るゴンを目で追いながら
「ゴン捕まえて来ますから絶対ここに居てくださいね!」
そう言ってやっとゴンを捕まえて戻ったら義父がいなーぃ!
ゴンを家に連れて帰ってまた義父の捜索に…
そんなこんなで1日があっと言う間に過ぎてゆくという状況
(今なら笑って書けるけどあの時はそれなにりしんどかったなぁ)
本人は自分が訳、分からなくなってることが自覚できないから
こっちの言うことも聞いてくれないし
大の男の人を二四時間家に縛りつけるわけにもいかず
義母は義父が居なくなっても探しに行くことはしなくて
探し回るのはいつもわたしの役目だった
そのうち、もっともっと悪くなると
見知らぬ人に連れて帰ってきてもらったり警察のお世話になるようになって
わたしも自分の卵巣の腫瘍が再発したこともあり
カルチャーの講師の仕事をやめてなるべく家に居るようにした
あのころは認知症とか徘徊とかまだまだ知られていなくて
わたし達家族もどうしていいのかよくわからなかった
どこかに行っちゃうのも大変だったけど
旦那の事も息子だと判らなくなって
排泄も自分で出来なくなってオムツ
ある朝起きたら床や壁にOOコが塗りつけられていたことも
本当に、ボケゆく人の介護も壮絶なもんだった
そのうち義父は脳梗塞になり口に水が入っても肺炎を起こすようになって
胃瘻(胃に穴をあけて直接ペースト状の食べ物を流し込む)に
会話も意思疎通もほぼできなくなった
そんな状態でも頑張って3年半生きてくれた
わたしはその頃、うつ病がピークでいつも死ぬことばかり考えてた
(実際自殺未遂も画策も何回かしてたし)
でも、義父のお葬式で喪主(旦那)の妻を務めて
お葬式ってこんなに大変な事なんだ
人の手も、心づかいも、そしてお金もたくさんたくさん必要なんだと知って
わたしにはまだ死ぬ資格なんて無い
だって子育てもまだ途中だしその頃まだ生きていた実母と義母も見送っていない
何もかもまだやり終わってないのに
途中で放り出してお葬式を挙げて貰おうなんて虫が良すぎる…そう思った
義父は死によってわたしにとても大切な事を教えてくれた
あれからまた辛いことがたくさん起こって
あの時の気持ち忘れてたけどまた今日思い出すことが出来ました
ありがとうお義父さん
またちょっと頑張ってみようかな