母が嫌いだった

小学校に入るまでは毎日のように両親にパチンコ屋に連れて行かれた

あんなところ、子どもが居られる場所じゃない

幼いわたしは長時間座る場所も無い店内をうろついて時をやり過ごした

 

小学校に入ってからはいつも一人だった

食べるモノも無い真っ暗な家でひたすら母を待った

 

小6から家事をやらされ

中学になってお弁当が必要になっても

お弁当の心配なんて一度もしてもらったことは無かった

 

母はボロアパートでの暮らしがよっぽど嫌になったのだろう

戸建ての家を借りようと、敷金100万円を何とか工面した

 

夏休みの暑い暑い日

わたしと妹は些細なことからケンカを始めた

そう理由なんて覚えていないほどの小さな姉妹喧嘩

それが父の怒りに火をつけた

わたし達をボコボコに殴り

家中の家具を暴れながら倒し、こう言った

「お前らが悪いんやぞ!

だからこの100万は俺が持っていく

喧嘩するお前らが悪いんやからな!!」

そう言って父は家を出て行った

ただ、

大金を自分のモノにしてギャンブルに使いたい理由なんてなんでもよかったんだ

 

 

仕事から帰ってきた母は

「帰ってきても家には入れない、絶対離婚する」           

確かにはそう言った

その言葉を聞いたわたしはやっと父の呪縛から解かれと心から安堵した

 

なのに、冬が始ったある日学校から帰ってくると

当りまえのように父が居た

 

刺身は豪華な食べ物だった

特にわたしたちのような家庭には…

母は自分や子どもには食べさせなくても働かない父には食べさせた

「新鮮か?、美味しいやろ」嬉しそうに話しかける母

テレビで父の好きそうな番組があると父の顔を伺って父が笑うと嬉しそうにした

 

思春期のわたしはそんな母に女を見たような気がして

嫌悪を覚え、ますます母が嫌いになった

 

その後、わたしは結婚して家を出て子どもを授かった

実家から出て今度こそ両親の呪縛から解放されたと喜んだいた矢先

流産と父の暴言がきっかけで母と同じ病気を発病した

それがどんなに厄介な病気か、何度も入院を繰り返す母を見て知っていただけに

ショックだった悪夢のようだった

 

そんな中でも、母とは普通の親子程度の交流は続けた

でも、わたしは常に心の中で

アンタみたいにはならない、

アンタみたいな生き方はしない母を嫌い否定し続けた

そしてそれを明らかな態度として出すこともしょっちゅうだった

 

 

 

 

 

長くなったので続きは次に・・・

だれも興味ないだろうけど

ただ、わたしがどうしても書いておきたいから