五月五日への軌跡は次男が二十歳になった時(去年)に書いたものです
次男の誕生は、何千?何億?の確率でしか起らないような奇跡がありました
そのことを、たくさんに方に知って頂きたくてアップします
少々長くなりますので何回かに分けていこうと思っています
よろしければどうぞお付き合いください
翌日は流産の処置、翌々日に退院
退院の日は
めまぐるしく過ぎて行った、G・Wの最終日と重なった
唯一救いだったのは、
幼い長男をG・W中だった旦那が面倒見たくれたことと
旦那の休日が終わるまでにわたしが退院できたこと・・だった
五月五日への軌跡 (3
流産なんて人の話ではよく聞いていたけど
実際自分の身に起こるなんて
妊娠かも?と思いながらも
長男を抱いて爆走したこと
体調が悪いのに無理に出かけたこと
仮に、妊娠していたとしても
長男の時は大丈夫だったから
今度もきっと大丈夫と
自分の都合のいいように過信してしまったこと
後悔ばかりが頭の中に浮かんでは消えた
出産を経験した人の方が
流産のダメージが大きいと
何かで聞いたことがあるけど確かにそうだと思う
産まれていれば受けられるはずの光
愛や優しさ祝福
親としての成長の喜び
それらがどんなものか身を以て知っているだけに
誰にも知られることなく居なくなってしまった命が
あまりにも可哀そうで
ちゃんと産んであげられなかった自分を責めた
退院したその日から
忘れてないよ、家のご飯みんなで一緒に食べようね
そんな気持ちを込めて陰膳を作り始めた
誰も手を付けない皿を幼い長男が不思議そうに指差す
「お母ちゃんのしたいようにさせたり」
長男に優しく言い聞かせる旦那
「子どもにそれだけの力がなかったのかも知れへんで」
「俺は男やからお前の気持ち理解しきれへんけど
あんまり考えすぎるな」
旦那は、いろんな言葉でわたしを慰めてくれたけど
わたしの心が晴れることはなかった
そんな頃、実父から一本の電話がかかってきた
そして、その電話はわたしをもっと
深い暗闇に落とす始まりでもあった
五月五日への軌跡 (4 へ続く