五月五日への軌跡は次男が二十歳になった時(去年)に書いたものです
次男の誕生は、何千?何億?の確率でしか起らないような奇跡がありました
そのことを、たくさんに方に知って頂きたくてアップします
少々長くなりますので何回かに分けていこうと思っています
よろしければどうぞお付き合いください
長男の時も初期に大量出血を起こし
何度も流産しそうになって入院したけど
ちゃんと産まれてきてくれただから今度も絶対大丈夫!
不安な気持ちをそんな言葉で打ち消した
五月五日への軌跡 (2
どこの病院に助けを求めよう
普通のお産ならおしゃれな病院も良いけれど
長男と同じように困難なお産になるのなら
緊急時にも対応してくれて
医療技術の高いところが良い
いろいろ考えた結果長男を産んだ
国立病院の休日診療にかかることにした
そのころ住んでいた家からも近かったし
何より長男を無事に産ませてくれたという
信頼もあったから
世間はG.Wで賑わう5月5日
何で子どもの日にこんなことに
長男の2回目の節句
それを家族みんなで祝ってやることもできないなんて・・と
最悪の気分だった
救急外来で診察の後、すぐに入院
流産を止める点滴で繋がれ
ベッドから立ち上がることも一切禁止という
絶対安静を言い渡された
・・・それでも、
寝返りを打つだけで赤ちゃんはどんどん流れてゆく
自分ではどうすることもできない歯がゆい現実
真夜中の産婦人科病棟
床灯台だけの薄明かりの中
時間だけが冷たく残酷に流れていった
翌日は流産の処置、翌々日に退院
退院の日は
めまぐるしく過ぎて行った、G・Wの最終日と重なった
唯一救いだったのは、
幼い長男をG・W中だった旦那が面倒見たくれたことと
旦那の休日が終わるまでにわたしが退院できたこと・・だった
五月五日への軌跡 (3 へ続く