●介護保険の問題を悪化させる見直し

https://www.tokyo-np.co.jp/article/212877
★★★ここから★★★
介護保険見直し 家族ら反発 要介護1、2のサービス→総合事業移行案
2022年11月9日 09時01分
 2024年4月以降の介護保険制度の見直しを巡り、厚生労働省の社会保障審議会での議論が活発になっている。中でも、要介護1、2の人が受けられるサービスが変わる可能性があり、関係団体が猛反発している。課題を探るとともに、反対の署名活動をしている「認知症の人と家族の会」の代表理事、鈴木森夫さん(70)に話を聞いた。 (佐橋大)
◆自治体が独自提供
 要介護1、2とは、日常生活を送る上で部分的な介護が必要な状態。要介護度は「要支援1、2」「要介護1〜5」の七段階に分かれており、要介護の中では軽度とされる。
 これまで要介護1、2の人が訪問介護や通所介護のサービスを受ける際、「介護給付」と呼ばれ、全国一律の運営基準で介護福祉士らが提供するサービスを利用してきた。審議会では、これを、自治体が提供する「介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)」のサービスに移行する案が議論されている。
 総合事業は、市区町村が運営基準や報酬を独自に決められ、予算に制限があるのが特徴。地域住民やボランティアがサービスを提供することも。基準を緩和し、報酬を低くすることができるため、約二十年で三倍以上に膨らんだ介護保険費用を少しでも抑えられるとの国の狙いがある。すでに要支援1、2の人が総合事業の対象になっている。
★★★ここまで★★★
 だそうです。


 今回の見直しでは、介護保険が利用できなくなって、介護離職が増え、介護度の高い人を増やす結果になり、さらなる介護保険の負担がふえる結果になるのは目に見えています。
 安物買いの銭失いです。
 安物買いの銭失いとは、「安価な物を買うと修理や買い替えなどにお金がかかり、結局高くついてしまうことがある」という無駄な節約の意味を持つ言葉です。
 今回の場合、介護保険の対象を狭めることで節約したように見えますが、介護サービスによる介護のプロの介護は、介護度を上げないように促す支援します。 これは、介護のプロになるために、専門的知識と専門的な技術があり、自立支援法と介護保険が、その義務付けをしています。
 介護のプロの介護があるなら、素人の介護は専門的な知識と専門的な技術がない介護になります。
 素人でもできる介護は、介護のプロにとって、楽な介護なのですが、それは、介護度を悪化させる介護になってしまいます。
 これは、素人の介護が悪なのではなく、素人であるがゆえに、介護の専門的な知識がなく、専門的な技術がないがゆえに、介護度を悪化させてしまうということです。
 節約したつもりが、介護離職を増やし、介護度を上げる結果につながり、将来的には経費を増やす安物買いの銭失いが今回の見直しなのです。
 
●要介護1は客観的にプロの介護が必要とされる状態
 さて、そもそも、介護度には要支援と、要介護があります。
 要支援は、見守り程度で必要に応じてちょっと手伝い程度の支援で大丈夫。要介護は普通の生活をするのに、しっかりとした介護が必要という差があります。
 要支援は1と2があり、要介護は1~5あります。要介護5は基本寝たきり(歩けるにしても、重篤な持病がある)で生活支援はすべて支援が必要と考えてもらえるといいかもしれません。
 この中で、介護度1と要支援2の差って決定的な差があって、介護度1は、専門的な知識と技術がないと適切な対応ができないと、福祉と医療の専門家が判断したってことです。
 で、プロの介護がなければ、介護度は重度化するってことなんです。そのスタートラインが介護度、要介護1なのです
 要介護1って確かに支援は少ないかもしれないけれど、その支援って専門的な介護のプロによる支援ってことなんですよね。プロの介護は事前に何ができて、どんな支援が必要かを計画されているので、支援が不要なことについては、本人にやる気を出す環境、あるいは、できる環境づくりをするという間接的な支援をしています。転倒にしても転倒しづらい環境(動線に躓きやすいものをおかないある場合は移動して動線確保)と、目に見えないプロの介護があります。
 総合事業でどれだけ、介護のプロをとりいれるのか。
 と考えたとき、国ですらお金足りないっていっているのであれば、自治体はなおさら足りなくなります。削れるところは削って、必要最低限の支援になり、後日、自宅で転倒したり、家族がお手伝いさんになってできることを奪う介護をしたり、介護度上げるのが関の山です。
 つまり、総合事業になれば、経費節減で、最低限でかつ何も要望がなければなにもしない支援になり、結果として介護のプロが入りにくいないし、介護のプロが介入するにしても、介護を受ける人の経済的な負担を大きくする結果になります。
 介護が必要になるということは、よほどのお金持ちであれば別ですが、中流層以下では、自己負担が大きいと、介護サービスを受けないという選択まで発生しやすくなります。そして、要介護3になって、介護保険を受けた方が楽になってしまうという、介護保険の予算を増額させつつ、自立支援という理念と逆行する結果を生み出す見直しをしてしまうのです。
 本来、予算がたりないなら、知恵を出すしかないはずなのですが・・・。
 さて、上述した通り、今回の見直しで、介護サービスの対象が縮小されるとなると、結果として、介護度1で適切な介護、つまりプロの介護がないと介護度が重度化し、結果的に、介護離職と介護保険の負担が大きくなるということを意味します。
 今回の介護度1,2の介護保険適用外は、論理的にも失敗が目に見えています。
 そもそも、 要介護1,2は、要介護の中では軽度とされるていますが、それは、介護のプロが行った場合の話で、素人がやれば大変です。
 介護のプロとは、専門知識と専門技術のあることが大前提です。
 専門知識も専門技術もない家族の介護を同列に扱うのは、明らかな間違いでもあります。
 でも、政府は同列に扱う。介護職を馬鹿にしているからということになるのでしょうね。



●介護保険対象の見直しで虐待が増える仕組みになる。
 要介護1,2は、家族がもっとも戸惑うところでもあります。なぜなら、日常生活で、見守りから直接的な介助を必要とされ、頼もしかった親が、こんなあたりまえのことができなくなったのか? と戸惑うからです。
 この結果、不適切なケアと身体拘束、虐待は確実にふえることが予想されます。
 家族の中に要介護になると、多くの人は悲観します。
 家族での軽度とはいえ、介護は大変な労力です。そこで、介護保険は、介護疲れを回避する(レスパイト)ためのものでもあります。
 レスパイトとは、在宅で高齢者などを介護している家族に、支援者が介護を一時的に代替してリフレッシュしてもらうサービスのことです。
 介護1、2を外すということは、その介護保険サービスの目的に違反ってことになります。
 介護1は介護のプロにとっては軽度だけど、それは介護のプロだから。介護の素人にとっては、重労働だということをわすれてはいけません。
 それが家族なら、家族は24時間体制で介護しなければいけないのですから、介護の大変さはしっかり理解しておく必要があります。
 介護保険を併用すれば、介護離職する必要もないのに、介護離職する結果になります。
 介護保険を活用し、なにが不適切なケアなのかも介護のプロの介助を見たり、相談したりしてわかってくるわけです。
 わからないと、無自覚に自分の家族を虐待している結果になります。
 そもそも、虐待は最初から虐待しようと思って行われるケースはほとんどありません。
 高齢者虐待というのは、不適切なケアから始まります。
 不適切なケアとは、忙しい、大変などの言い訳をつくって、ちょっとした手抜きから始まります。
 すると、それが当たり前になってさらなる手抜きが不適切なケアとなり、気が付くと高齢者虐待になります。
 専門的な知識がないと知らないうちに虐待をしてしまうわけです。
 介護してあげているんだから親の貯金つかってもいいよね(経済的虐待)
 おむつもったいないから漏れない程度にほっとこう(ネグレクト)
 なによ、こっちは介護してあげているんだからと軽くたたく(身体的虐待)ないし、暴言(心理的虐待)介護してあげているという気持ちから始まります。 
 徐々に、不適切なケアがやむを得ない当たり前のケアとして認識され、エスカレートし、明らかな虐待になるわけです。
 これは、家族や素人の介護は根底に介護してあげているという気持ちになりやすい。
 プロは、仕事だから介護させていただいているという気持ちに切り替えなければいけません。感情面も、アンガーマネジメントなどで怒りを制御できるような知識や技術を身に着けやすい環境にあります。
 介護保険を対象外にすることで、プロの仕事や介護の姿勢、相談に接する機会が少なくなる、高齢者虐待は増える仕組みになります。



●福祉を、社会的な負担から発展のための福祉産業へ
 日本の場合、介護は負担にすぎないというバイアスがかかっています。
 しかし、世界ではノーマライゼーションという考え方があり、高齢者を含めた社会的弱者も弱者ではなく、差別されることなく普通に暮らせるべきであるという考えです。
 ノーマライゼーションを実現するためには、ハードのインフラとしてバリアフリーと、福祉サービス、制度というソフトのインフラが必要です。
 ノーマライゼーションを実現するバリアフリー、福祉サービス、制度は、社会炊き弱者の自立がうながされます。
 社会的弱者が社会に助けてもらうのが当然と考えるのはおかしいという意見もあるでしょうが、それは、利己的な考えです。
 なぜなら、社会の一員である以上、健常者ですら社会に助けてもらっているからです。対価となるお金を支払っているとしても、その紙幣という制度自体が社会インフラであることを当たり前すぎて忘れているだけなのです。
 すると、健常者だけが社会インフラの恩恵をうけ、社会的弱者が恩恵を受けられないのは、不公正(不平等ではありません)です。
 その中で、介護福祉は、社会サービス的社会インフラと考えればいいわけです
 今回の見直しは、ノーマライゼーションを理解できていないから、お金がないことを理由に介護保険のサービスの対象を必要であっても、外すということをする。理念忘れた福祉など崩壊するのは当然です。
 結局、家計簿レベルでしか予算を分析しないから、福祉は社会の負担にすぎないと勘違いしているんでしょうね。
 福祉による経済活動を生産性がないと決めつけています。
 福祉は消費であり、経済効果の一つと考え、経済活動の本質はお金が世間に回り続けること。消費者としての介護が必要な人と見立て、それを介護する人が消費者になり、そのお金を使う。
 介護福祉に関する産業も売り上げが上がる。
 介護が必要な人は、介護があればできることで人生に充実感を感じる。
 それで経済が回るんだから、無駄でも何でもないのです。
 結局、介護の問題に無関心だから、金がないから保険サービスの対象を狭くしましょうという、三流の対応ということだということです。
 保険の対象狭くして、自治体に丸投げしているだけです。
 で、国で足りないのに自治体は足りるはずもないわけで、社会福祉を劣化させる政策ってことになり、やっぱり三流政治という話になります。
 介護保険では、まかなえません。自治体に丸投げします。というのが、今回の結論だということです。
 三流政治なら、一流政治はどういったものでしょう?
 
 介護保険でたりないなら、法人に福祉でつかった経費を経費として認め、法人税の対策につかえるようにするなど、保険料や税金以外のお金を回す仕組みを作れていいのです。あるいは、ボランティアで福祉に参加した場合は減税するというのもありでしょう。マイナンバー制度を活用すれば可能です。
 民間企業に企業に社会の仕組みは作れませんが、政治ならできます。
 福祉は産業として変化し、介護保険で賄えるようになります。
 本来、社会貢献すべき大企業が、社会貢献たる福祉を政府に丸投げした結果にすぎません。
 手始めに、大企業は、福祉法人と提携した事業をすればいいのです

 しかし、政府は、予算が足りないという前に、知恵をだし行くべきだということです。
 介護を馬鹿にしているから、金が足りないから保険対象を減らすという発想になるということになるのです。
 頭の良い人の発想とはいえません。
 だから知恵すら出さない。介護現場なら、それは、タブー。無理でも知恵をひねり出して、四苦八苦していることを知ろうともしないのが今の行政ということでしょう。
 バカにしているから、政府が頭がいいかというと、そんなこともなく、政府は介護を馬鹿にして自治体に丸投げします。

 つまり、今回の見直しで介護の質が劣化するのは必然であり、結果として経費を大きくしてしまう愚かな見直しであるということになります。