幻に終わった相武電気鉄道 | ある歯科医院の院長の日記

幻に終わった相武電気鉄道

まずは相武電気鉄道についての説明

大正10年
東京渋谷から愛甲郡愛川村田代まで鉄道を引く予定を立てる
最初は淵野辺~田名間の敷設免許を申請

大正12年
関東大震災 → 鉄道省の書類が消失し計画とん挫

大正13年
淵野辺~田名間の敷設免許申請を再出願

大正15年
線路実測図を作るための仮測量が行われる
会社登記を完了させ、法的に鉄道会社となる

昭和2年
淵野辺~久所間の敷設工事が本格的に開始
淵野辺~上溝間は整地が完了
金融恐慌

昭和3年
不況により資金調達が難航
淵野辺~久所間の工事中断
相模鉄道との交差区間でもめる

昭和4年
世界恐慌
度重なる工事竣功・施行期限延期申請

昭和5年
淵野辺~上溝間の線路を引き終える

昭和6年
工事費用の支払いをめぐり訴訟

昭和11年
全ての鉄道敷設免許を失う
淵野辺~田名間の線路が撤去される

どうだったでしょう?
これでもかなり端折ったつもりです
かなり紆余曲折あったのはご理解いただけたと思います

相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
http://sobu-erw.o.oo7.jp/index.html

相模原情報発信基地
https://sagami.in/reki/soubu

※今回の記事はこれらを元にまとめました

神奈川新聞→相武電気鉄道の看板が見られます
https://www.kanaloco.jp/article/entry-23002.html

さて、話を元に戻します
上溝駅近くにあるダイエーの駐車場辺りに総武電鉄の上溝駅があったそうです


ダイエー駐車場から向こう岸を見てみると、


ありました!

線路があった跡です
橋台?躯体?
橋マニアではないので名称が分かりません


現存する数少ない相武電気鉄道の遺構です

そもそも、これ以外に相武電気鉄道の遺構の情報が見つかりません
遺構は地味で面白くもなんともありませんが、その運命に翻弄された壮絶な歴史はなかなかどうしてドラマチックではありませんか?