こんにちは。


子宮内胎児死亡が分かった当日、神も仏も無いと思ってしまった私ですが、毎日仏壇に手を合わせて娘に話しかける日々をすごしております。


勝手なのは重々承知。でも手を合わせることで自分の気持ちが落ち着くのを感じています。


本来、神も仏も自分の願いを聞いてもらえるものでもなく、お願いするものでもなく、見守ってくれていることに感謝するべきものなのかな・・・と何となく思っている今日この頃です。


あの時どうして救ってもらえなかったんだと悲しみ、憎しみを持ってしまった自分に反省しております。


でも、そう思ってしまった私も本当の自分。私という人間なのだと自分自身で受け入れるようにしています。




思い返せば、娘はお腹の中で亡くなってしまいましたが、分娩はとてもスムーズに進み、現在私の命は無事にある訳で・・・


ある意味、分娩だけをみたら安産といったら安産だったのかなと思います。


自己満ですが、周りのみんなのサポートのおかげで上手にお産ができたという思いも感じることが出来ましたし・・・。



安産の定義がよくわかりません。娘が亡くなっているのですから安産では無かったと思う気持ちもあります。



最近は安産祈願の御守りや御札をどうしたらいいのか悩んでおります。



戌の日の安産祈願に行った場所には正直な所、もう出向く覚悟もないですし、だからといっていつまでもこの御守りたちを手元に置いておく事もできないですし。


どうしたらいいのでしょうか?自分が安産祈願をした所に問い合わせるのがいいのかなと思いますが・・・なかなか・・・。

郵送で送ってもいいのでしょうか?
それとも別の所に返納してもいいのでしょうか?


無知のため方法がわかりません。


もし宜しければ何かアドバイスをしていただけると助かります。




最後に1つ我が家の天使パパ話を。


毎朝、旦那は起床した時に仏壇にご飯とお水をお供えしてくれるのですが、ある日そのご飯の上にふりかけの「のりたま」がかけてありました。


それを見た時私はビックリしました。自分にはそんな発想はなかったからです。
でも何だか笑えました。本来はダメなのかもしれませんが、私はその「のりたま」ご飯を見た時に何だかホッコリとした気持ちになりました。


旦那の娘に対する愛を感じたからです。毎日白いご飯じゃ飽きるだろうという親心だったのかなと思います。


そもそも娘はまだ3ヶ月なのでまだご飯も食べられない頃ですが、娘の仏壇周りには旦那が買ってきたお菓子が沢山お供えしてあります。


そしてそのお菓子を娘と一緒に食べ、また新しいお菓子を買ってきます。


娘のためにお菓子を選ぶことが楽しいそうです。それと共に、「本当は一緒に選びたかったな」とある日気持ちを話してくれた時に胸がギューッと締め付けられました。


無事に産んであげたかったな。旦那を本当のパパにしてあげたかったな。子育て一緒にしたかったな〜と思いました。


かんなちゃん、会いたいな〜。ギューってしたいな〜。またいつの日か弟か妹を連れて帰ってきてくれるよね?


父ちゃん、母ちゃん少しずつ前に進んで行くから見守っていてね。


かんなちゃん、いつもありがとうね。大好きだよ。


最後に
ご飯をお供えするのは、仏様に食事をしてもらうためではなく、きちんとした意味があるそうです。
ご飯をお供えすることは、感謝の気持ちを表すためとの事。
仏様やご先祖様にとって、ご飯の湯気がご馳走になるそうです。