くら寿司の暗い闇が明るみに!?ブラック企業の"人を人と想わぬ企業努力"とは!! | 文藝PIERROT

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TVメディアでも取り上げられ話題になったくら寿司の研修。地獄の研修はくら寿司のブラック企業である一面だと言える。ぼくはくら寿司内定辞退者のひとりから話を聞いた。くら寿司の採用試験は三次試験まであるのだが、それを合格しても試験はまだ終わりではない。3月末に行われる内定者研修会こそ、最後にして最大の難関試験なのだ。

以前、王将が鬼の新人研修の模様がTVメディアに取り上げられた。その軍隊の訓練じみた新人研修の有様にネットでは「やりすぎではないのか」と話題になった。くら寿司の内定者研修会も、王将の新人研修と似たような内容なのだ。新人研修とは名ばかりのシゴキの連続。業務とは全く関係のない精神的嗜虐を強いられることになる。

新人研修ではひたすらに愛社精神を植え付けられるのだ。洗脳研修と言い換えた方が通りがよいのではないだろうか。くら社員三誓という独自の社訓を30秒で唱えることをはじめとして、早口言葉をひたすらに行う試験が基本となっている。そこで早口言葉を失敗したものは、その人格を完全に否定される。心が折れるまで精神的暴力を振るわれ続けるのだ。

完全否定され精神的にボロボロになりながらも、やっとの想いで試験を突破すると、最上級の祝福を受ける。他の内定者や鬼教官たちから笑顔で拍手を浴びせてくれるのだ。そこで這い上がった内定者は感動の涙を流すという。まさに典型的な洗脳イベントだ。洗脳された内定者たちはくらコーポレーションの為に命を捨てることも厭わない文字通りの企業戦士となるのだろう。

しかし、洗脳することが出来なかったものや使い道がないと見なされたものは社員たちから「内定を辞退すれば経歴に傷がつかないから」と声をかけられる。社員によっては「どうせ無理だから辞めてしまえ」と辛辣な言葉をかけるものも居た。そして、「内定を辞退します」と一筆を書かされて追い出される。この一筆を書かせることで、くらコーポレーションは「内定取消」ではなく「内定者の意思による辞退」だと嘯くのだ。

徹底的ないじめののちに強要しているようにしか見えない。これが本当にまかり通るのだろうか。強要の事実が認められれば辞退は無効である。だがそんな証拠は見つからない。基本的に所持品は社員たちによって没収され管理されいるからだ。

 今回、取材を行った元内定者の方は四人部屋にて泊まっていた。しかし、三日間の研修で一晩に一人ずつ減っていき、最終日には自分以外誰も残らなかった、と苦笑していた。内定者曰く、合宿での脱落者は20名を超えていたという。また、内定者の間では「今回は採用を取りすぎた為に例年よりも厳しくして内定辞退者が出るようにしている」という噂も流れていたそうだ。


もし、採用者の調整を内定者研修会で行なっているのだとすれば、許されざる事実だろう。この内定者研修会は三月の終わりに行っているのだ。他の内定なんて持ち合わせていないであろうひとしか居ない。内定者の人生を自社都合の営利の為に狂わせてしまっても構わないとでもいうのだろうか。


元内定者が合宿で知り合った辞退者には法的に訴えたものも居たという。しか し、それは無駄に終わった。一筆書いたという事実が大きかったようだ。だが例年ではそれで泣き寝入りをするひとばかりだったのだろうが、2012年度は不況によって、泣き寝入りをしないで徹底的に戦うタイプのひとが多く居た。


結果、くらコーポレーションに怒りを覚えた元内定者たちはそれぞれの大学に悲惨な実情を訴えたのだ。事態を重く見た関西就職研究会(通称:関就研)では合議の結果、くらコーポレーションをブラック企業として認定した。

そもそも「飲食業界=ブラック業界」という認識は誰だってあるものだ。だがそのブラックさ加減を甘く見ている人間も多い。

 「人は石垣、人は城、人は堀」とは武田信玄公が残した言葉である。企業においても、この精神は通じるものがあるはずだろ。人あっての企業であり、企業あっての人なのだ。その人を使い捨ての労働力としてしか見なさないのであれば、そこに人は寄りつかなくな る。そんなとき、その企業は滅びるのである。これがブラック企業の末路というものであろう。

今は、その人を人と思わぬ非人道的企業努力によって業績は右肩上がりだ。しかし、人材が枯渇した時に、今のやり方が通用しなくなったとき、ブラック企業はどうやって生き延びるのだろうか。あまりにも目先の利益だけにとらわれた発想で動いているとしか思えない。


我々はブラック企業の動向を監視せねばならない。そして、人の生き血をすする企業が存在することを語り継がねばならない。同じ過ちを繰り返さぬ為には、そうした努力が必要とされるのだ。

子どもたちの笑顔を守るために、我々はより良き社会を形成していく必要がある。ネットメディアの発達によって、これからは我々ひとりひとりがジャーナリストとなることが出来る。我々は我々の暮らしやすい社会を形成するためにも、その自覚を持たねばならないのだろう。

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