今回は、前にアベプラに出演させていただいた時に話しそびれたことを書こうと思います。

 

 自己紹介

 

 

 

 

以前に出演させていただいた際にアナウンサーの平石さんから「なぜ書道を始めたのですか?」とご質問をしていただき、その時の僕の回答がうまく返せなかったことについて書きます。

 

あの時に僕が遅い滑舌で答えたのは、「入院していた際にできたぁ…、こ、濃く生きるという作品の評判が思いの外、好評で、大学でも書道の作品展を開けるような単位があって、、こんな書道の作品を書き集めました…」としどろもどろ、答えました😅



あの時、画面上に「無意識を意識化、現実実現、当たり前・それが意外と・有り難い」が表示されていました。

 


話しながら「あぁ、今、話すべきことじゃなかったなぁ〜😅」と思ってました。

 

表示されていない「濃く生きる」という作品の説明を長々としてしまいました😅

(なので、このブログのヘッダー画像にしました)

 

なかなか、「当たり前・それが意外と・有り難い」の説明に入らない僕の説明に、平石さんは苦笑いを浮かべていらっしゃるような気がします😅

(平石さん、ゴメンナサイ😞

 

 

 

堀潤さんも「現実・実現」の作品について話を振ってくださったのに、その返しも上手くコメントできなかったなぁ〜…

 

「現実・実現」は縦に読んでも、横に読んでも成り立っているんです。


 

 

僕たちが「“無意識に”≒当たり前に」していることがこの現実を実現しているんです👍

 

で、人々=健常者が当たり前にやっていることって「ありがたい」んだなぁ〜と元健常者として感じているのです。

 

 

 

「有り難い」って「ある」のが「難しい」で「有り難い」なんですね。

中途障害者になって改めて思いました。

 

 

僕はコンビニとかスーパーで、店員さんが商品とかをテキパキ手際よくビニール袋に入れてくださる光景を見て、それを思ってます。

あの手際の良さは「(オレには)できねー」って思ってます。

 

だから店員さんから商品を受け取る際に「ありがとうございます😊」って言うようにしています。(😊←こんな良い顔はしてないけど笑)

 

健常者時代の「アタリマエ」が自分からは遠くなったなぁ〜、と感じる瞬間でもあるけど、

「ありがとう」と口にする機会が多くなった人生も悪くないと割り切ってます👍