津桜を見て、っぱらった想い出

 

 

河津で休憩

 

河津桜を見るために、ヨーコと旅行した想い出がある。

伊豆急河津駅より1.3kmの町道沿いにある飯田家の河津桜の原木は、樹齢約60年という。先年、原木の土を替えるというその前年にその地を訪れた。

ところが、われわれ夫婦が見たときは、もうほとんど葉桜になっていた。

そりゃあそうだろう、2月に行こうといいだして、旅行社に申込みをしたときは、すでに予約でいっぱいだった。惜しいことをしたとおもったが、旅館について温泉に身を浸していたとき、その日はヘミングウェイの話をビデオ録りしようかと考えていた。考えたまではよかったが、夕食に出た食前酒を飲んでいい気持ちになり、ヨーコの分まで飲んでしまったのだった。

すると、たちまち酔いがまわった。

それでもう何もかもおしまいになった。たぶん疲れていたのだろう。

ビデオカメラをセットしたものの、ちょっと寝ようとおもい、横になると、もうわれを忘れて不覚にもそのまま眠入ってしまったのだった。

目覚めたのが、深夜の1時をまわっていた。――旅行かあ……とおもった。しかし旅行はいいなあとおもった。

すると、むかしのあるシーンがとつぜん甦ってきた。

 

 

 

それは、平成15年文化庁芸術祭参加作品「離婚旅行」(TBS)というドラマだった。

西田敏行、松坂慶子、仲村トオル、大滝秀治などが出る、ちょっとコミカルな作品だった。ちょっと太っているというイメージがあった松坂慶子さんだが、ドラマでは西田敏行さんといっしょに風呂に入り、妻の背中を流すシーンがあって、それを見たとき、彼女は太っているようには見えなかった。

スーパーに勤務する西田さんがある日リストラされる。

定年を4年後にひかえ、とつぜん上司から肩叩きされて、会社を辞めることになる。退職金をもらって妻とこれからはいっしょに旅行でもしたいという。

そこで妻は切り出す。

「長いあいだご苦労さまでした。これからは、あなたの好きなことをして暮らしてください。わたしはわたしで、これからは家族のためじゃなく、自分のために暮らします」といい、

「退職金の半分をください」という。

「退職金? ……そんなのは、ぜんぶあげるよ」と夫がいう。

「あなた、離婚してください」と妻は切り出す。

夫は唖然とする。

ともかく、

「思い出のために、ふたりで旅行しましょう」ということになり、離婚旅行をすることになった。離婚旅行とはいっても、海外ではなく、嫁いだ娘のいる徳島に行くという。久しぶりに娘に会うと、娘のようすが、ちょっとおかしい。娘の連れ合いは、徳島の小さな山村で開業医をしている。

「何があったの?」と、妻が問い詰める。

「愛人ができたらしいの、夫に」という。

「……だったら、わたし、離婚してもいいのよ」と娘がいう。

「いったいどうしちゃったのよ!」

「じゃあ、三枝くんのところに行こうよ。会って、ちゃんと話を聴こうよ」と夫がいう。

「そうね。……」娘のクルマを借りて、徳島の山村の道を走る。着いてみれば小さな小さな村で、想像以上に診療所はボロ屋だったが、なかに入ると患者がいっぱいいて、医師も看護師もてんてこ舞いをしている。会ったこともない熟年夫婦の姿を見て、看護師がいう。

「どこか痛いの? それとも、お腹が痛いの?」ときく。

「いえ、われわれはちょっと、……先生に」

「先生は、いま忙しいの。あとにして!」という。

医師は30代。――待合室には患者がいっぱいいて、みんな年寄りばっかり。若い医師を頼って遠くから出てきた患者もおれば、毎日通ってくる患者もいて、診療所の外はがらんとしているのに、診療所の中は人であふれ返っている。

ぼんやり突っ立っているふたりを見た医師は、ぎょっとする。

「……ああ、お父さん、お母父さん。……こんなところに、いったい、どうしました?」ときく。

「いや、何、……ちょっと。……なかなか繁盛してるじゃないか」という。

「ちょっと、あなた!」といって、妻は夫の肩をポンと叩く。

「いま、ご覧のように、ちょっと時間がなくて、……」と医師がいう。

「分かる、分かる。……三枝くん、あとでまた来るよ。……」というと、妻が、

「近くに、お蕎麦を食べさせてくれるお店、ないかしら?」という。

「うーん、お蕎麦、……ありますね」と医師がいう。

「さっき食べたのに!」と夫。

とりあえず、ふたりは診療所の外に出る。近くの石の階段の上に座って話し合う。

階段を下りていくお遍路姿の人びとが通る。そのわきで、夫婦は、さっきの医師の姿を見て思い出すようにいう。

「ああして、汗を流して、住民のために働く医師はたいへんだなあ、……だがしかし、……」

「しかし、何よ。……愛人ができたからって、ふたりに離婚なんかさせませんからね」と妻がいう。

「それはそうだ。……妻というのは、ああいう夫の姿を見て、理解するものだよ」

「そうね。……ここは、お遍路さんたちが多いのね。笠には同行二人て書いてあるわ。でも、あの人は、ひとりよ。なぜかしら?」

「あとから来るんじゃないの」と夫。

そんな話をしていたら、ひとりで歩いているその年寄りがひっくり返った。ふたりは駆けてゆく。老人は気を失っている。

夫は診療所に駆け込む。医師を連れ出し、クルマのなかに老人を入れると、そこで診察する。――血圧を下げるクスリを2つも飲んだために、急に血圧が低下して意識を失ったことが分かった。

「老人は、さっき飲んだことを忘れてしまい、また飲むことがあります。その症状です」と医師はいう。診察室で目を覚ました老人は、急に元気を取り戻した。

「クルマで送ってあげます」と夫がいう。老人が予約している旅館に老人を送り、そこでお茶を飲みながら、老人の話を聴く。

「ああ、この《同行二人》の意味ですか? ひとりなのに、ふたり。……ああ、これは、ひとりでいても、ホトケさまがいつもついていてくださるので、同行二人と書かれます。わしの妻は、昨年亡くなりましてね。まさか、妻が先に逝くなんて考えてもいませんでしたからなあ、……」といって、妻の数珠をくねらせる。

「わしにとっては、この数珠が同行二人ですわ」という。

そして時間がたち、患者たちもいなくなると、妻は、看護師に誘われて彼女の家に行く。夫は診察室に入り、がらんとした部屋で医師の食事につき合う。

そして、いう。

「ああ、……愛人のこと、もうお耳に入ってますか。大学病院というところは、医療ミスも、だれかが責任をとらなければならない閉鎖的なところです。看護師の不注意ということになってますが、ほんとうは違います。彼女のことをかわいそうに思い、看護師とたびたび会っていたところを、いつの間にか世間の目に触れてしまい、そういわれるようになりました」

「その、看護師さんとは、何もなかったのかい?」と西田さんがきく。

「何もないとは、……えーと、なんていうか、ほんの、ちょっと。……1回だけ! お父さん、ごめんなさい」といつて、医師は深々と頭を下げた。じつに実直そうな医師だ。西田さんは、そういうところが気に入ったらしい。

「それは、何もなかった。何もなかったことにしたほうが、いい。娘に会っても、そういうことはいわないほうが、いい。そう、妻にもいわないほうがいい。ここだけの話、分かった?」

「はい、分かりました」

――こういう展開のドラマだった。

この先も、夫婦の離婚旅行はつづく。西田敏行さんのあっけらかんとした演技と、松坂慶子さんのひょうきんな演技が釣り合い、離婚という悲しいはずの物語だが、ふたりにとっては、つぎつぎと、いい思い出を紡ぎだす物語ののんびりした展開に、時間も忘れさせるほどの現実味があった。

その年のはじめての旅行。

高さ45mもある二重になった「河津七滝ループ橋」をバスが走ったときは、とつぜん大空に投げ出されたような気分だった。眼下には道がなく、深い谷しか見えない。

そして新天城越えの道を走り、旧天城越えの交差地点をみてびっくりした。

鬱蒼としていて、道はとても細いのだ。松本清張の「天城越え」に出てくるのは、旧道のほうなのだ。

旅行者たちが旅館のまえで足湯をしている。それを見た添乗員の男がマイクロホンを通していった。

「これって、足湯の混浴ですね」と。