学の力にとり憑かれて。

  ベルンハルト・リーマン。

 

 

 

 

 

数学にとり憑かれた人の横顔を見ていると、なんとも鬼気迫る迫力がある。世紀をまたぐ超難問「リーマン予想」を軸に、変人とも天才ともいえる奇妙な人びと、一般の人の理解をはるかに超えたようなふるまいをする数学者たちがいる。挫折しては立ち上がり、挫折しては立ち上がってきた人びとだ。挫折が大きければ大きいほど、立ち上がる膂力も力づよい。

ジョン・ナッシュほど果敢に立ち上がってきた数学者はいないだろう。彼の挫折は30年を超えている。

「……59、61、67、71、……」とつぶやきながら、先生は黒板にチョークで数字を書いていく。

「これ、わかる人?」というと、

「はーい!」と、生徒の半分は手をあげた。スペインのある小学校での話である。日本では、掛け算の九九は教えるが、割り算の九九は教えない。スペインにかぎらず、西洋では割り算の九九まで教えている。そして、素数といいうものを幼いころから教えている。

ぼくは小学校で、素数を習った記憶がぜんぜんない。高校生のとき、教師から素数についてうやうやしく教わった記憶が少しあるだけだ。ぼくは、素数がどういうものか、はっきりわかっていなかった。それはいいのだが、素数の魅力を知るようになって、素数を取り巻く多くの数学に興味をもった。その最大の興味は、「リーマン予想」と呼ばれる数学だった。

「ナッシュ均衡」のあのジョン・ナッシュでさえ、晩年になるまで、――というより死の床につくまで「リーマン予想」と格闘したが、証明することはできなかった。彼の死は大いなる挫折といえるのだろうか? 

数学者たちは知っている。これまでのいかなる数学的な難問よりも、「リーマン予想」のほうがはるかに意義深いということを。ボンビエリが15歳で発見したように、「リーマン予想」は、数学の研究対象のなかで、もっとも基本的な素数を理解しようという偉大な試みであったことを知る。

素数は代数の原子だ。これ以上の小さな数の積では表せない数のことで、そういう意味で「代数の原子」と呼ばれている。ニュートリノみたいなものだ。

人類は、素数を発見するたびに、ふしぎな列のあらわれ方にある種のリズム、たとえば2ビート、3ビート、あるいは5ビートという不規則なドラムの奏でる音に聴き入ってきた。それは完全に規則だった音ではなく、まったくでたらめに叩くノイズのような音だった。いま数学界は、その話でもちきりだ。

にもかかわらず、ある人は、ゼータ関数における非自明の0点を、およそ1000個まで数え上げたものの、それを最後に、0点の出現が、ぴたりと止まった。

「そんなはずはない!」と自問しても、頑として数学上の答えは姿をあらわしてはくれなかった。どこかで間違えたのだ、と気づく。

むかし、アンドリュー・ワイルズは、コーツ教授の止めるのもきかないで、やがて「フェルマーの最終定理」をやってみようと決意した。その話をしてみたい。
  そのきっかけになったのが、「谷山・志村予想」だった。それまでワイルズは、手持ちの手法だけではアプローチすることはできないとおもっていた。しかしワイルズは、しばしフェルマー問題を棚上げして、有理楕円曲線の研究に取り組んでいた。

そもそも、この楕円曲線について、画期的なアイデアを出したのが谷山豊だった。1955年、日光で「代数的整数論国際シンポジウム」というのが開かれ、そこで彼は、

「すべての有理楕円曲線はモジュラーである」というアイデアを提示したのである。つまり、数には遺伝子があると。それを聴いていたアンドレ・ヴェイユは、こういった。

「きみは、何をいっているんだ? いくつかの有理楕円曲線は、ということか?」とたずねた。すると、

「いいえ、そうではありません。すべての有理楕円曲線においてです」と谷山は答えた。これは、ヴェイユにはよくわからなかった。

しかしそのとき、谷山豊は自分のアイデアをうまく説明することができなかった。これはのちに、谷山豊の友人である志村五郎が完全なかたちで説明し、「谷山・志村予想」と名づけられるようになった。このときそれは、だれも「フェルマー予想」に繋がっているとは気づかなかった。しかし、このシンポジウム以来、「フェルマーの最終定理」の最初の段階の突破口に足を踏み入れていたのだった。

ここでいう「谷山・志村予想」とは、このようなものだった。

「楕円曲線のゼータ関数は、重み2の保型形式のゼータ関数になる」ということ。「保型形式」というのは、モジュラー形式をふくむある種の関数のことである。「モジュラー形式」というのは、「基本的な代数演算は5つある。足し算、引き算、かけ算、割り算、そして、モジュラー形式」の5つであり(マルティン・アイヒラー)、モジュラー形式というのは複素平面における関数のことで、これは高い対称性をもっている。

しかし、楕円曲線とモジュラー形式は、まったく異なる数学で、だれもが「この2つの数学は、なんの関係もない」と考えられていた。

ところが、「谷山・志村予想」は、「楕円曲線はすべてモジュラーである」と両者を関連づけたのである。これは、途方もない考えだった。楕円曲線とモジュラー形式のあいだを「ガロア表現」といわれることばで結んでしまおうという考えなのだ。

やがて、「谷山が正しければ、フェルマーも正しい」ということに気づいた。「谷山・志村予想」を証明することができれば、そのまま「フェルマーの最終定理」を証明することができる、――ドイツ人数学者ゲルハルト・フライが、そう考えるようになった。アメリカのケン・リベットがこのフライのアイデアを証明したのである。リベットはいう。

「谷山が正しければ、フェルマーも正しい。谷山が間違っていれば、フェルマーも間違っている」と。この過程はなかなかむずかしい。多くの人にはわからなかった。なぜなら、「フェルマー予想」もむずかしいが、「谷山・志村予想」もかんたんではないからだった。

「いったいあと何100年かかることやら、……」と、みんなにおもわれた。このとき以来、世界の数論界は暗礁に乗り上げてしまった。そして、1994年9月19日、午前10時のことだった。ワイルズはこうつぶやいた。

「谷山は正しい。ゆえにフェルマーも正しい。Q...証明完了)」と。

かんたんにいえば、こういうことなのだ。

ぼくは風呂からあがって、エアコンの下で、ぼんやりとテレビ画面を見つめていた。遺伝子の話をもっと具体的に話したい、ということだった。岩澤理論の専門家であったワイルズが最も得意とする分野が楕円曲線であったため、いま、自分がやるしかない、そうおもったに違いない。

「フェルマーの最終定理」は、nが3以上の整数ならばということなのだから、無限にあるnについて証明することだった。それまで、いろいろな数学者が、n=3、4、5、7、14と個別のnの値を証明してきたが、200年かけて、たったこれだけだった。無限に存在するnをどうやって証明するか、これが最大の難問だった。

別のことばでいえば、自然数の最初のn個の和を与える公式を見つけること。たとえば、最初の数だけの和は1、最初の2つの数の和は3(つまり1+2)、最初の3つの数の和は6(つまり1+2+3)というぐあいに。このパターンを説明する公式のひとつに、SUMn)=―nn1)がある。

これが求める公式ならば、最初のn個の和を求めるには、その数nをこの公式に入れればよい。帰納法を用いれば、無限大まですべての数に対してこの公式が成り立つことを証明することができる。まずそのステップとして、最初の場合、n1に対して、この公式が成り立つことを示す。もうわれわれはすでに答が1であることを知っているので、簡単である。

 

第1のステップ

SUMn)=―nn1

SUM1)=―×1×(11

SUM1)=―×1×2

SUM1)=1

 

第2のステップ

もしもこの公式が任意のnに対して成り立つならば、n+1に対しても成り立つことを示す。もしも

SUMn)=―nn1)ならば、

SUMn1)=SUMn)+(n1

SUMn1)=―nn1)+(n1)となり、さらに整理すると、

SUMn1)=―(n1)〔(n1)+1〕を得ることができる。

 

nがn+1に置きかえられていることをのぞけば、新しい公式は最初の公式と同じ形をしている。公式がnに対して成り立てば、n+1でも成り立たなければならないということを意味している。ひとつのドミノ牌が倒れればその牌は必ず次の牌を倒すことを予想し、これで帰納法による証明は完了することになる。

こんなふうにして、アンドリュー・ワイルズの「フェルマーの最終定理」を証明した200ページ弱におよぶ論文は、数々の数学者のアイデアによって支えられ、完成したのである。

しかし、「リーマン予想」は、「フェルマー予想」よりはるかにむずかしい。はるかにむずかしいのだが、「フェルマー予想」を解いた手法のなかにこそ、これまでの目の覚めるような数学理論を駆使してたどりついたパワーがある。ある種の永遠を計算する術を駆使しているのである。そこに、ぼくは驚きを禁じ得ない。