ぼくのきな

吉田秀和氏のこと。
 吉田秀和「私の好きな曲」(ちくま文庫、2007年)
  むかし、ぼくは、五味康祐や野村あらゑびすなどの本を読んで、クラシック音楽の知識を仕入れたりしていた。ことに野村あらゑびす、この人は剣豪作家で野村胡堂というペンネームを持っている人で、ぼくは彼の小説は読んだことはなく、角川書店からでていた「楽聖物語」という本を読み、クラシック音楽の知識を得てきた。

ずいぶんむかしのことで、そのころの記憶にはなくなっているけれど、クラシック音楽入門書のような本だった。剣豪作家がクラシック音楽の本を書いているというのにびっくりした。それから大学を出ると、ぼくは雑誌にレコード紹介の記事を書くようになった。当時、ぼくはLP盤のレコードがほしくて、頼まれてそれらの記事を書いた。いわば感想文のようなものを書いていたのだが、ペラ5枚ほどの原稿ではあったけれど、たいへん楽しかった。

そのときに参考にしたのが吉田秀和氏の本だった。

ぼくにとって、彼は音楽の神さまみたいな存在だった。彼は父とおなじ世代の人で、東京・日本橋に生まれ、母や兄妹たちから音楽の手ほどきを受けているというだけあって、幼少時から恵まれた音楽環境のなかでそだっている。

吉田秀和氏は、いなか者のぼくには、恐れ多いような存在に見えた。晩年はますます父の顔とそっくりに見え、会ったこともない彼に、いつの間にか親しみを感じるようになった。

彼が若くしてフランス語の文章を読むようになり、フランス語は中原中也から教わっていることも興味深く、血筋のいい音楽評論をものし、ときどきぼくは読んできた。音楽の楽しさは、吉田秀和氏の本を読んで、自分流につかみ取ったものだった。

ぼくの若いころ、――1960年代は、――あっちのコンサート、こっちのコンサートというふうに、いろいろなコンサートを聴く機会があり、そのつど、丹念に感想らしい文章を書きためてきた。それでもつぎにやってくる演奏家たちのコンサートを聴くと、また認識を塗り替え、ずーっと音楽に魅せられつづけてきた。

いままた、吉田秀和氏の「私の好きな曲」(ちくま文庫、2007年)を読み返し、また教えられている。雑誌「レコード芸術」2011年7月号の特集は「吉田秀和」で、それも読み返し、その音楽家としての彼の生涯を概観し、そのすばらしい人生をあらためて知った。

年はとっても、こんなふうに過ごすことができればいいなあとおもった。

さて、ぼくの好きな曲は? ――

なんだろうとおもう。

いろいろありすぎる。音楽を聴いてなぐさめられたおもい出とともに、いくつか想い出される曲がある。

オペラ「アンドレア・シェニエ」はぼくにとって、ぜったい的な存在だった。これをはじめて聴いたのは、昭和36年、東京・上野の文化会館で演奏されたイタリアオペラだったとおもう。歌詞はイタリア語で歌われたが、吟遊詩人アンドレア・シェニエは実在の人物で、革命前夜、フランス語で歌われており、この詩を読みたくて、ぼくはフランス語を勉強し、大学進学を決意した。

大学ではフランソワ・ヴィヨンの詩を学んだが、アンドレア・シェニエについてはだれにも教わる機会がなかった。

「アンドレア・シェニエ」は、イタリアの作曲家ウンベルト・ジョルダーノによる全4幕のオペラである。これは18963月ミラノ・スカラ座で初演された。18世紀、革命前後のフランスを舞台に、実在の詩人アンドレ・シェニエの半生を描いたヴェリズモ・オペラの傑作のひとつである。「ヴェリズモ・オペラ」というのは、写実主義というほどの意味である。その先駆をなした作品として知られている。

ふつう、フランス語ではアンドレ・マリ・シェニエ(André Marie Chénier 1762-1794)と呼ばれている。彼は、フランス革命に関係したフランスの吟遊詩人であり、吟遊詩人なので、多くは即興で歌われていて、歌詞の定本が現在残っているものもあれば、残っていないものも多い。

彼の書いた詩は、オペラの中でも第1幕と第4幕のアリアの歌詞の一部として使われている。オペラのなかで描かれた人物とおなじく、彼は急進派に捕らえられ、31才の若さで処刑されている。物語に出てくるマッダレーナとの恋物語や、ジェラールという人物は、じつは架空のものである。

官能的で情感豊かな詩は、いまでは、ロマン主義文学運動の先駆者のひとりに位置づけられている。恐怖政治が終わるわずか3日前に、「国家反逆罪」を宣告されて断頭台の露と消えたため、その活動は突如として終わりを迎えたが、ジョルダーノによってつくられた「アンドレア・シェニエ」(全4幕)は、当時の生きにくい恐怖政治のパリを描いてみごとである。

ぼくはこのオペラをはじめて聴いたとき、まだ18歳の高校生だった。

世界にはこんなすばらしい音楽があるのか、とおもって感動した。北海道の北竜町、――田園の風景のひろがるなかで、このオペラを聴き、身震いするほど感動した。この舞台を収録したライブ盤をぜひともほしいとおもったが、その後10年間、手に入れることができなかった。

ある夏の日、札幌でのこと。とあるレコード店でこのライブ盤を偶然見つけて手に入れた。彼らはイタリア語で歌っていて、レコードの箱のなかに、その歌詞が全曲、対訳した付録が入っていた。レコードをまわしてイタリア語の歌詞を目で追ったりしていた。

ぼくがイタリア語に興味を持ったのはそれ以来である。

それから上京し、銀座に住み、音楽にくわしい先輩と出会い、コンサートに誘ってくれたのがはじまりで、一時は音楽漬けの日々をおくった。そのとき先輩のひとりが、吉田秀和氏の本を紹介してくださった。そして武満徹の本を紹介してくださった。

以来、ぼくは武満徹という巨人と向き合うことになった。武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」は、ストラヴィンスキーの音楽へといざない、現代音楽の巨匠、マウリツィオ・ポリーニやカルロス・クライバー、シノーポリといった音楽家を知るようになった。

そのころつねに座右の書としてデスクの上にあったのは、吉田秀和氏のさまざまな本だった。わからなくなると、彼の本をひろげて読んでいた。吉田秀和氏に関する本は、あまたある。しかし、吉田氏自身の本にまさるものはなかった。