い出にはカレンダーみたいな付はない。

 外村繁。

   ニュートンは、落ちるリンゴを見て引力を発見たことは、あまりにも有名だ。

果樹園のリンゴの球体が、偶然にも月の球体と重なったため、太陽が月の影に隠れてしまう皆既食という現象を見て、まっすぐにすすむべき月の運行のリズムが、地球の引力に引っ張られて地球のほうに落下しつづけるために、月は地球のまわりをまわりつづけているように見える、……とニュートンは思った。

ある力が地球の中心に向けて、物体を引きつける。

その力は月にまでおよび、リンゴを引きつけるのとまったくおなじように月を地球に引きつけ、さらにこれとおなじ力が、地球を太陽の中心に向かって引き寄せ、軌道に乗せているというわけである。

地球が月を引くと、月は地球を引き返す。――その重力が太陽の重力に加わって、地球上の海に日ごとの「満潮」を起こさせる。これは、太陽を中心に、それぞれの軌道でまわりつづける恒星や惑星の運行を立証することになった。

すると、星は、どのような形をしていても、自分だけが独立独歩で運行しているものはなく、互いに関連し合いながら、それぞれのリズムを刻んでいることがわかる。

宇宙論と占星術は、まったく違うように見えて、まったくおなじ学問だったという話をおもい出す。。

コペルニクスからケプラーへ、ガリレオからニュートンへと、世紀の偉大なリレー競争は、アインシュタインや、ハッブルの出現によっていっそう明快な宇宙論へと発展したが、そういう引力は、なぜあるのだろうということは、いまもって分かっていない。

避けようのない最大のパワーが、宇宙から飛んでくる。――生命科学の行き着くところは、かんたんにいえば、そういう結論のようにおもえる。人間の存在も、これに近いのではないだろうか。月と地球、太陽との関係に酷似している。引力と斥力(せきりょく)の関係は、まるで人間社会を絵に描いたみたいに見える。だれでも、ひとりとして存立し得ないという奇妙な関係である。作家はそういう人間関係を描くのがめっぽううまい。過去を背負った者、まだ何も背負っていない若者、間もなく生まれようとしている者。――ぼくはなぜか、まだ何も背負っていないころの自分をおもい出す。少年のころは、だれもが幸福で、貧乏をものともしていない。15歳の少年は、17歳をめざし、何か創作をはじめようと考えていた。

 

木枯らしの音の聞こゆる褥(しとね)にも

27を過ぎし女(ひと)の薫(かおり)いくたび。

 

孤独には励まされしこと何もなく

女の孤独に慰められてゐし。

 

札幌の冬のおもい出凍りつき

いまだに解けず蟠踞(ばんきょ)してをり。

 

女には女の意地があるのです

たぎる血潮を奪って欲しいと。

 

「音楽お好きですか?」

BGMのような女のセリフいまも忘れず。

 

きのうきょう在ありて在りて明日も在る

この命、老いてこそ愛しけれ。

 

――ここまで書いて、さっき寝室で昼寝をしていたら、ヨーコが外から帰ってきた。105号室のベッドで眠ってみたいと急に思いたち、目覚めると、105号室に行った。そのベッドでごろりと横になると、海の真ん中で筏に乗って漂流しているみたいな気分になった。ベッドがよすぎて、少し揺れるのだ。ゆりかごじゃあるまいし……、ロッキーのベッドは、おおきく揺れているではないか。

人が住まなくなって4年が過ぎた。

そうすると、お化け屋敷のような部屋になった。いつも厚地のカーテンがかかっているからだ。霊魂の不滅ということばが、脳裏をかすめる。人の霊魂がほんとうに現世にあるというのだろうか? それを見た者は、だれかいるのだろうか?

ロッキーが草加でいっぱいやるときは、ここで朝を迎える。

そのときのために、一室用意しているのだが、部屋を使ったのは、これまで、ぼくがおぼえているかぎり、たったの2晩。ベッドが2つ置いてある。奥さんを連れてきたという気配はない。

ロッキーは用心深いので、お酒が入ると、クルマを置いて、ここで一夜を明かす。テレビもあれば、冷蔵庫もあり、書斎もある。ロッキーが書斎で本を読んでいるというようすもない。第一、本がないのだ。

事務所にもどって、パソコンを打つ。――詩に書いたモチーフは、かつての体験をおもい出して書いたものである。

 

少年のこころに住まうかの人よ、

老いてもいっそううつくしきかな。

 

雨降りて饐えた匂いの芳(かんば)しき、

澪(みおつくし)ても追っかけてくる。

 

ここでいう「澪(つくし)」ということばは、船の航行を導く海の杭(くい)のことである。「身を尽くす」ということばとかけてみた。いまのことばでいえば、水先案内、ナビゲーターというところだろうか。

かつて、ぼくが少年だったころ、はじめて異性に目覚めたとき、そばにナターシャがいた。彼女のことをおもい出して、歌にしてみた。少年だから、まだぼくは子供だった。

子供の目を通して、ナターシャというひとりの女を見る。成熟した女を見る。ぼくの目は、いろいろなものを見てきたが、こころに残っているのは、ナターシャの姿だったなとおもう。

ヨーコにいわせると、「――また、ナターシャ?」というかもしれない。

ナターシャのことをおもう15歳のぼくが、そこにいるのだ。

むかし外村(とむら)繁という作家がいた。彼は「澪(みおつくし)」という長編小説を書いている。主人公はまだ少年で、異性と交わったこともなく、ただ夢想に明け暮れし、自慰をして身を焦がすという、ずいぶん情けない主人公が描かれている。

高校生のころ、ぼくはこの作品とめぐり合い、読んでみた。自分とそっくりな少年が出てくるじゃないかとおもった。 たちまちこの作家のトリコになり、好感を抱いた。

作家は、いとしい妻を見送り、こんどは、彼が喉頭がんにかかり、やがて亡くなる。15歳のとき、ぼくははじめて《射精》という現象をみた。そのとき頭のなかに思い描いていたはじめての異性は、圧倒的にナターシャだった。

彼女は口やかましい女だったが、からだは白く、とってもエロティックに見えた。背が父より高くて、お尻の大きな女の子で、父に叱られているときでも、彼女は泣かなかった。子守りのおねえちゃんは、子供らを代表して叱られていた。

北海道・北竜町の丘に、いま、ひまわりが咲いているだろう。母の好きなひまわり。

そのころ、ぼくは外村繁の「草筏(くさいかだ)」という小説も読んでいる。これが彼の出世作で、その後「筏シリーズ」3部作として出している。このときわかったのは、この場合の「筏」は、乗り物という、生存するものを生死の苦境から救って、悟りの境地、つまり「彼岸」にみちびくという意味がこめられている。

このような仏教用語を下敷きにした「筏」シリーズは、衆生を此岸(しがん)から彼岸へと済度(さいど、苦境から救うこと)する意味が濃厚にこめられていることを知った。

外村繁は、がんで死期を覚悟していたころの、平和な日々のすぎてゆく哀切をうたった「日を愛しむ」や、「落日の光景」という作品は忘れがたい。