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仕事中の本音
こんなクサいことや綺麗事と思われそうなことは誰にも話せません。
でも誰かに思いを知ってもらいたい・・・
【矛盾】から生まれたブログ
よかったら、寄ってってください♪

これまでの4回のブログで、私は支配人としてのプレッシャー、孤独、そして感情の葛藤を語ってきました。

これらの重荷を背負ってまで、「働く」こと、そして誰かのために尽くすことをやめられないのはなぜか。

最終回となる今回は、この大分の空の下で、私が辿り着いた「働く」ということの最終的な目的、つまり「仕事哲学」の終着点につ

いて、私なりの結論を語りたいと思います。

 
  1. 誰かのための奉仕

  2. 仕事が私に与えるもの

  3. 大分の地で、仕事と生きる

 
 

第5話:大分の空の下で問う:「働く」って、結局誰のため?

 
 

1. 誰かのための奉仕

 

私がこの15年間、「働く」という行為に捧げてきたエネルギーの源は、突き詰めれば「誰かのためになりたい」というシンプルな願いです。

これは、ENFJ-T型の人間が持つ根源的な欲求なのかもしれません。

私の仕事は、お客様に最高の安らぎを提供すること。

従業員に安定した生活と成長の機会を提供すること。

そして、地域社会に活力を与えることです。

私の喜びは、私の仕事によって、誰かの人生にポジティブな変化が生まれる瞬間にあります。

ホテルマンとしての仕事は、まさに「奉仕」の連続です。

自分自身の時間や感情を犠牲にしてでも、他者の幸福を優先する。

この自己犠牲的な働き方は、時に周囲から「働きすぎだ」「もっと自分のことを考えろ」と心配されます。

しかし、私にとって、誰かのために尽くすことこそが、最も自分自身を肯定できる行為なのです。

仕事とは、私にとって「自己を捧げる奉仕」であり、その見返りとして「生きる意味」を受け取っているのです。

 

 

 

2. 仕事が私に与えるもの

 

重い責任、孤独な意思決定、感情の疲弊。

仕事は私に多くの苦難を与えます。

しかし、それ以上に仕事は私に多くのものを与えてくれました。

一つは、「自信」です。

高卒というスタート地点から、現場の経験だけで支配人にまで上り詰めたという事実は、私自身の努力と能力を証明してくれました。

 二つ目は、「繋がり」です。

大分の地域社会との深いつながり、そして共に困難を乗り越えたチームメンバーとの固い絆。

これらは、お金では買えない私の一生の宝です。

 三つ目は、「成長」です。

毎日が新しい課題の連続であり、私はその課題を解決するたびに、人として、そして支配人として成長することができました。

仕事とは、私が社会との接点を持ち、自分の価値を証明し、そして何よりも自分自身を成長させるための「修行の場」です。

この修行を通じて、私は自分という人間を理解し、自分の人生を肯定することができるようになりました。

 

 

 

3. 大分の地で、仕事と生きる

 

最終的に、「働く」って、結局誰のため?

私の結論は、「誰かのために尽くすことが、最終的には、最も自分のためになる」ということです。

私が流す見せない涙も、一人で抱え込んだプレッシャーも、すべてはお客様とチームの笑顔を守るため。

そして、その笑顔こそが、私に生きる力と、この大分の地で働き続ける意味を与えてくれるからです。

私はこれからも、このホテル、この地域、そして私のチームを導く「主人公」として、使命感と責任感を胸に、日々を生き抜きます。

仕事と人生を分けるのではなく、仕事に全てを捧げることが、私という人間の最も充実した生き方です。

大分の青い空の下、私は今日も、誰かのために、そして自分のために、働き続けます。

 

 

 

最終回!

大分の空の下で問う:「働く」って、結局誰のため?

支配人として背負う重荷の果てに辿り着いた、私の仕事哲学の終着点。

誰かのために尽くすことが、最も自分のためになる理由とは?

私の人生観をまとめます。

 #仕事哲学 #人生観 #自己成長

 

 

今日もやったろ!!

 

 

 

私は、部下の成長を心から願うリーダーです。

しかし、私のENFJ-T型特有の共感力の高さは、「厳しい指導」や「叱責」を避ける傾向に繋がります。

部下を傷つけたくない、彼らのモチベーションを下げたくない。

この思いが、時に必要な厳しさを欠いてしまうのです。

部下を叱れないリーダーが、いかにしてチームを導くのか。

共感力と「厳しい指導」の間の、絶妙なバランスについて語ります。

 
  • 「叱る」ことへの抵抗感

  • 共感と指導のジレンマ

  • 「主人公」が目指すリーダーシップ

 
 

第4話:部下を叱れないリーダーへ:共感力(ENFJ)と「厳しい指導」のバランス

 

1. 「叱る」ことへの抵抗感

 

私は、部下に対して常に「理解者」でありたいと思っています。

彼らが何に悩み、何に喜びを感じているのかを把握し、その個性を活かして働いてもらいたい。

それが、私にとって理想のリーダー像です。

しかし、支配人という立場は、時に「鬼」にならなければならない瞬間を求めます。

安全管理上の重大なミス、お客様の信用を失うような不適切な言動。

これらの問題が発生したとき、私は厳しく叱責し、改善を促さなければなりません。

ところが、私のENFJ-Tの強い共感力は、「叱る」という行為に極度の抵抗感を覚えます。

彼らの表情が曇るのを見ると、まるで私が彼らを裏切ったような、傷つけてしまったような感覚に襲われます。

この感情的なブレーキが、問題の根本的な解決を遅らせ、チーム全体の規律を緩めてしまうのではないか、と常に自己反省しています。

私は「嫌われたくない」のではなく、「部下を傷つけたくない」のです。

 

 

2. 共感と指導のジレンマ

 

 

仕事とは、結果を出すことです。

結果を出すためには、個人の感情よりも、プロとしての基準を優先しなければなりません。

しかし、私はこのプロとしての基準と、部下への共感の間で、常にジレンマに陥っています。

「叱る」代わりに、私は「共に考える」という指導法を取ることが多くなります。

部下がミスをしたとき、「なぜそうなったのか」「どうすれば次はないか」を、時間をかけて徹底的に話し合います。

これは一見丁寧な指導ですが、時にはスピード感に欠け、また、問題の深刻さによっては、この「優しさ」が甘えを生む原因にもなりかねません。

支配人として、私は部下たちの成長に責任を負っています。

本当の優しさとは、単に気持ちに寄り添うことではなく、彼らがプロとして一人立ちできるように、時には痛みを伴う指導をすることではないでしょうか。

このジレンマこそが、管理職の最も難しい部分だと感じています。

 

 

3. 「主人公」が目指すリーダーシップ

 

 

私は、この共感力の高さを捨て去ることはできません。

それが私の強みであり、部下たちが私に心を開いてくれる理由でもあります。

だからこそ、私は「叱れないリーダー」ではなく、「共感するが故に、成長を促すために厳しくなれるリーダー」を目指さなければなりません。

そのために、私は「叱責」を「期待の表明」と定義し直すことにしました。

ミスを厳しく指摘するのは、彼らの可能性を信じているからであり、彼らがもっと高いレベルに到達できると期待しているからです。

指導の最後に必ず、「君にはできる」というメッセージを添えるようにしています。

仕事とは、リーダーにとって、自分自身の感情をコントロールしつつ、部下に対する「愛情」と「期待」を、プロの基準で表現し続けることです。

私はこのENFJ-T型の特性を活かし、チーム全員が最高の主人公になれるような、温かくも厳しいリーダーシップのバランスを日々模索し続けています。

 

 

 

部下を叱れないリーダーへ。

ENFJ-T支配人が語る、共感力と「厳しい指導」のバランス。

部下を傷つけたくない優しさが、時に甘えになるジレンマとは?

「叱る」ことを「期待の表明」に変える私の挑戦。

管理職の皆さん、どう部下と向き合っていますか? 

#リーダーシップ #ENFJの悩み #部下指導

 

 

今日もやったろ!!

 

 

ホテルマンの仕事は「感情労働」の最たるものです。

常に最高の笑顔とプロフェッショナルな振る舞いを求められます。

特に支配人は、お客様のクレーム対応、部下の悩み相談、上層部への報告など、あらゆる感情の嵐の中心に立たなければなりません。

私のENFJ-T型特有の強い共感力は、この感情労働をさらに重くします。

誰にも見せない場所で、支配人が流す「見せない涙」の理由について、正直に語ります。

 

 

  1. ホテルの「顔」としての感情管理

  2. 共感力が招く心の疲弊

  3. 支配人が流す「見せない涙」

 

第3話:感情労働の果てに:支配人が流す「見せない涙」の理由

 

1. ホテルの「顔」としての感情管理

 

支配人は、このホテルの「顔」です。

私の態度や表情一つが、お客様の満足度、そして従業員の士気に直接影響します。

どんなに個人的な悩みや疲労があっても、ホテルのフロアに立つときには、それを完璧に隠し、明るく、冷静沈着なプロフェッショナルでなければなりません。

感情労働とは、自分の内面で感じている感情とは異なる感情を表出することを求められる労働です。

お客様の理不尽な要求にも、笑顔で丁寧に対応する。

部下のミスに、怒りを感じても、冷静に指導する。

私の仕事の大部分は、この高度な感情管理によって成り立っています。

しかし、この感情の抑制は、私の心に少しずつ負担を蓄積させていきます。

特に、ENFJ-T型の人間は、他者の期待に応えることを強く望むため、この「完璧な支配人」を演じ続けることが、自己のエネルギーを激しく消耗させるのです。

私は、感情を制することこそが、支配人としての仕事の一部だと理解していますが、その代償は小さくありません。

 

 

2. 共感力が招く心の疲弊

 

私の感情労働が特に重いのは、ENFJ-Tの持つ「共感力」の高さに起因します。

お客様のクレーム対応一つとっても、私は怒っているお客様の裏側にある「本当に求めていること」や「失望感」を深く理解しようとします。

その結果、私は「加害者と被害者」という構図ではなく、「どちらも苦しんでいる」という感情に巻き込まれてしまうのです。

部下の悩み相談も同様です。

彼らが抱える家庭の事情や健康問題を聞くとき、私はそれを自分の問題として捉え、解決できないことに強い無力感を感じます。支配人として、私は彼らに「適切な指示」を出すべきですが、それ以上に「心からの共感」を示そうとしてしまう。

この深い共感は、一見、素晴らしいリーダーシップのように見えますが、私の心は常に彼らの感情の海に浸されている状態です。自分の感情を処理する前に、他者の感情を処理しなければならない。

この持続的な心の疲弊が、私を内側から蝕んでいることを自覚しています。

 

 

3. 支配人が流す「見せない涙」

 

では、この感情の重荷はどこで解放されるのでしょうか。

それは、誰にも見られない、ホテルの最も奥まった場所です。

ある夜、重大な人事問題の決断を下した後、私は誰もいない自室の隅で、静かに涙を流しました。

それは、悲しみや怒りではなく、**「責任の重さに耐えきれない」**という、純粋な疲労と無力感からくる涙でした。

その涙は、私自身を慰める唯一の方法でした。

「見せない涙」は、私が完璧な支配人であるための裏側にある、人間としての弱さの証明です。

しかし、この涙は、私にとっての浄化作用も持っています。

この涙を流した後、私は再びプロの鎧を身につけ、翌朝、笑顔でホテルのロビーに立つことができるのです。

仕事とは、自分の感情を犠牲にしてでも、誰かの幸せのために尽くす「自己犠牲」の行為です。

私はこれからも、この重い感情労働を続け、見せない涙を流しながら、このホテルを守り抜きます。

なぜなら、それが私の選んだ道であり、私の「仕事の哲学」だからです。

 

 

 

感情労働の果てに。

支配人が流す「見せない涙」の理由。

ENFJ-Tの共感力が招く心の疲弊とは?

お客様のクレーム、部下の悩み…あらゆる感情の嵐の中心で、私はどう心を保つのか。

感情を殺して働くプロフェッショナルのリアル。

 #感情労働 #管理職の涙 #ホテルマン

 

 

今日もやったろ!!