【支配人の試練】第2話:「みんなのため」という名の罠:自己犠牲と燃え尽き症候群の境界線 | tt-nn-pp

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仕事中の本音
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私の仕事哲学は「みんなのため」に尽くすことです。

部下の負担を減らすため、お客様の満足度を上げるため、私は自分の時間、エネルギー、そして感情を惜しみなく差し出します。

しかし、このENFJ-T型の強い利他性は、時に自分自身を顧みない「自己犠牲」となり、私を「燃え尽き症候群」の境界線へと追い詰

めます。

このブログでは、「みんなのため」という名の罠に陥りやすい管理職が、いかにして自分自身を守るのか、その切実な課題について語

ります。

 
  1. 「主人公」の自己犠牲

  2. 見えない疲労の蓄積

  3. 燃え尽き症候群の境界線

 

第2話:「みんなのため」という名の罠:自己犠牲と燃え尽き症候群の境界線

 

1. 「主人公」の自己犠牲

 

私は、チームの全員が心身ともに健康で、最大限の力を発揮できる環境を創りたいと強く願っています。

そのために、部下が残業していると聞けば、すぐに駆けつけて手伝います。

彼らの個人的な悩みを聞くためなら、自分の休憩時間を削ることも厭いません。

この行動の根源には、私の性格タイプ「主人公(ENFJ-T)」が持つ、強い「責任感」と「利他的な衝動」があります。

私は、誰かを助け、誰かの問題を解決することに、自分の存在意義を見出します。

「みんなのため」という大義名分は、私にとって最高のエネルギー源です。

しかし、支配人という立場上、私のエネルギーは無限ではありません。

私が全ての責任を背負い、全ての人の問題解決に奔走すればするほど、私の個人的なエネルギーは消耗していきます。

最近、趣味の時間も、家族との時間も削り、常にホテルのことだけを考えるようになりました。

これは、他人から見れば「素晴らしい自己犠牲」かもしれませんが、私自身にとっては、自分の限界を試す危険な行為になりつつあります。

 

 

2. 見えない疲労の蓄積

 

自己犠牲の最も恐ろしい点は、それが「美徳」として称賛されるため、自分自身がその疲労を認めにくいことです。

私は、疲れていても「支配人だから大丈夫だ」と言い聞かせ、笑顔で対応し続けます。

しかし、私の身体と心は正直です。

些細なミスが増えたり、夜中に急に目が覚めたり、好きな食事の味が分からなくなったり。

これらはすべて、見えない疲労が限界を超えて蓄積されているサインです。

特に、感情労働の疲弊は深刻です。

常に他人の感情に共感し、自分の感情を押し殺しているため、ふとした瞬間に、全てを投げ出したいという衝動に駆られることがあります。

この感情は、すぐに「私が投げ出したら、このホテルはどうなる?」という責任感によって打ち消されますが、その度に私の心は深く削られていきます。

仕事とは、自分の限界を知り、その限界の少し手前で立ち止まる「自己管理」も含まれるべきです。

しかし、私にはそのストッパーが効かない。「みんなのため」という責任感が、常に私を限界へと突き動かします。

 

 

3. 燃え尽き症候群の境界線

 

私は今、「自己犠牲」と「燃え尽き症候群」の境界線上に立っているのかもしれません。

この状況を打破するため、私は意識的に「責任を分担する」ことを学び始めています。

部下に仕事を任せ、時には失敗を許容する。

これは彼らの成長のためであると同時に、私自身を守るための行為でもあります。

また、誰かに「疲れた」と素直に伝えることも、少しずつ練習しています。

仕事の目的は、私一人が全てを背負って倒れることではありません。

私が健康で、持続的にリーダーシップを発揮し続けることこそが、最も「みんなのため」になるのです。

豊かな自然の中で、私は自分の心の声に耳を傾ける努力をしています。

自分を大切にすること、それが支配人としての最終的な責任かもしれません。

仕事とは、誰かのために尽くすことと、自分自身をケアすることの間の、永遠の「バランス探し」なのだと痛感しています。

 

 

#支配人の試練 

「みんなのため」という名の罠。

ENFJの自己犠牲と燃え尽き症候群の境界線。

部下の盾になるため、自分の感情を押し殺し続けた支配人の見えない疲労とは?

管理職こそ、自分をケアする責任がある。 

#自己犠牲 #燃え尽き症候群 #管理職の健康

 

 

今日もやったろ!!