小さな笑い | yorimichi

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いつもの 小さな 道草 と 寄り道。

マトリョーシカ、お休みのたびに、ちびちびと色を付けているのですが、あっという間に2月も2週目が終わりますね。


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せっかくの2月のマトリョーシカなのに、節分も初午も、針供養も終わっちゃった。

私自身にはタイムリーだけれど、“できました!”の頃には来月ね。
ま、いつものことです(笑)。

今日は↓ここまで。


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結構、がんばった!


クロスステッチは顔が見えてきました♪


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わくわく。


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今日の朝日新聞の夕刊“こころ”より。


作家 あさのあつこさんの 「わらう時」


 わたしは大笑いした。

 空を仰ぐように顔を上げ(略)、これ以上無理というぐらい大きな口を開けて、笑った。

 空気が流れ込んできた。

 どこかに微かに雪の気配を潜ませた、澄んで冷たい空気だった。笑いとともに、わたしの中に入ってきた空気は身体の隅々まで巡り、指先がほんのりと温かくなった。

 とても心地よかった。強張り、凝り固まっていた心身が、ほんの少しだけ、弛んでいく。

 笑うとは、笑えるとは、一時的にしろ、人を柔らかくするものらしい。だとすれば、人は笑って生きなければならないと、思う。

 ~中略~

、ただ心地よく笑い、空気を吸い込む。誰かとおしゃべりし笑う。あぁよく笑った。楽しかった。そう感じられるささやかな幸せを、当たり前に手にする。そんな暮らしを誰からもどこからも、奪われてはならない。

 ~中略~

笑うことで人は救われる。ほんの半歩、前に進める。生き続けられる。政治とは、経済とは、国とは、とどのつまり、人々の小さな笑いを守っていくためにあるのではないか。


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“政治とは、国とは・・”なんて大きな事はよくわからないけれど、でも、“小さな笑い”ってとてもたいせつだなぁと思います。

笑えないことも時にはあるけれど、それでも楽しそうにしていた顔や、「あのとき笑ったなぁ」なこと、嬉しそうだった仕草などを心に思い描けるだけで気持ちはずいぶん違うものね。


そういえば、先日、近所(・・と言っても歩いてはいける距離ではないのですが・・)の大きな通り沿いにマックができました。

母と一緒に車でその前を通った時、子どもの頃、まだ近所にファストフード店が珍しくて、はじめてマックのハンバーガーを買って祖父の家で祖父(当時70代後半~80歳くらいかな)と母、私の3人で食べた時のことが話題に。

皆食べ慣れていないから、オイシイのか、そうでもないのかわからず・・。

もくもくと食べて、「うめえもんだべか」の祖父の一言に何だか笑っちゃったのを思い出しました。

ほんとに、未知の食べ物だったのよね。プリンに醤油・・みたいな感じだったのだと思います。

なんてことないのに、私も母もなんだかその時のことをすごく覚えているの。
“小さな笑い”ってきっとそういう記憶になれる何かを含んでいるのではないのかな。