玄関を出て、息を吸って、その冷たさにしゃんと背が伸びるあの感覚がたまらないと毎度思う。
 冬が好きだった。

 好きとは言ってもやっぱり寒いものは寒いから、ちゃんと防寒はしまくる。マフラーも上着も、それから両手分のカイロも準備万端にして出かけるのが、俺の冬のルールだった。
 冬のルールは他にもあって、冬は転びやすいからポケットに手を入れない、代わりにカイロを握りしめながら歩く、とか、手すりの上に積もった雪はひたすらに落とす、とか、なんとなく自分の中で積み重ねてきたものだ。
「にしても寒いな」
 明日は雪が降るらしい。天気予報のおねーさんがそんな事を言っていた。明日は腰に貼るカイロも貼るか?なんて思いながら、ぼんやりと歩く。
 空を見上げると、夕日ももうほとんど沈んだのか、紫色と青色が混ざっていて、雲は薄く、薄く、広がっている。
「お弁当半額でーす!」
 なんて声がぼんやり聞こえて、その声に前を向くと、いつの間にか来ていた商店街にある弁当屋がセールをしていた。おそらく昼に売れ残った弁当を安く売ってるのだろう。冷たくなった弁当達が並んでいる。それを一人のサラリーマンが買っていたから、ちゃんとレンジでしっかり温めてから食べなよ、冷えたまんまじゃダメだよ、って心の中で念じた。
「今夜は海鮮使って鍋なんてどうですか〜」
「明日に備えて色々買い込んどく?」
「早く帰って床暖房に寝転がりたいなぁ」
 さっきまでは聞こえなかった沢山の声が俺に届きだす。目の前に広がる光景は、なんてことない冬の一コマで当たり前に存在するもの。他愛ない会話が幸せで、暖かい。
 俺は手に持っていたカイロをシャカシャカ振りながら、また歩みを進めた。

 冬は好きだ。外に出ると色んな発見がある。空の高さや露の綺麗さや、人の暖かさ。
 冬が好きだ。冬はいつもより人に会いたくなる季節で、思わず電話なんてかけてしまいそうになる。
 冬だから好きだ。毎年同じ冬は来ないとわかっていても、同じような景色を見ると、鮮明に思い出す記憶がある。
 冬も好きだ。正直春夏秋冬全部好きだ。だって、どの季節になっても、今まであった事をなぞらえては幸せを感じられる。

 冬って、最高だ。でも一人の冬は、苦手だ。

 シャカシャカと振っていたカイロをおもむろに片方ポケットに入れる。そうするとカイロを手放した左手が、段々と冷えていくのがわかる。
「やっぱり、寒いな」
 小さくため息を吐くと、それが白くなって自分の視界を染める。それから息を吸ったら、その冷たさにしゃんと背が伸びた。

「あ、カイロ持ってくんの忘れたな」

 なんて声が、ぼんやり聞こえたような気がした。