自由意思獲得へのステップとしての暫定仮ゴール | オズの魔法使いのコーチング「Et verbum caro factum est]

オズの魔法使いのコーチング「Et verbum caro factum est]

故ルー・タイスの魂を受け継ぐ魔法使いの一人として、セルフコーチングの真髄を密かに伝授します

現代科学による20世紀末のパラダイムシフトの一つとして、「人間に自由意志はほぼない」ことが「発見」発見されました。認知科学や機能脳科学などの圧倒的な知性に裏打ちされた、人工知能研究を通じて得られた成果です。
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「人間に自由意志はほぼない」と理解することが自由への第一歩


「人間に自由意思はほぼない」のです。
ですから、「自由にゴール(こうなりたい)を設定した積もり」になっていても、実は自由な選択ではなくブリーフ・システムによってなされた選択です。ブリーフ・システムの正体は過去の記憶ですから、記憶に縛られた選択であるのです。
そして記憶とは必ず自分以外の外部由来の情報であるので、外部に縛られた選択でもあります。つまり、ゴール設定(こうなりたい)は自由どころか、他者からの刷り込みにより選らばされている可能性が大なのです。
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「ゴールが認識を作る」プリンシプル


では、いきなり自由な選択はほぼ無理としても、刷り込みではない主体的なゴール設定は可能でしょうか。
それは可能です。


人間は知識(外部由来の情報)がないものは、そもそも認識不可能です。一方、知識を得たがために視点が固定され、逆に盲点(スコトマ)となることもあります。そこで、得た知識を抽象化することで、視点(抽象度)が上がり認識空間が広がります。
例えば、黒板の知識がないと、黒板は黒い壁か板にしか見えません。黒板の固定観念に縛られると、ホワイトボードは意味不明の代物です。黒板の知識を抽象化して視点(抽象度)を上げれば、電子黒板ですら何であるか理解できます。


同様に、記憶(刷り込まれた外部情報)がなければ、「こうなりたい」と望むことすらありません。一方、刷り込まれたままの「こうなりたい」に縛られては、刷り込みの元の奴隷です。そこで、「こうなりたい」を抽象化することで、刷り込み元を超える視点(抽象度)が得られれば、刷り込みを踏み台とした主体的な選択となり得るのです。
それは言語の習得にも似ています。自分で言葉を発明したのではないので、言語は必ず外部からの刷り込みです。しかし刷り込みを抽象化することで、無意識レベルで文法を会得すれば、情報記述の道具として活用できます。刷り込みを踏み台とした主体的な活用となります。


抽象化された「こうなりたい」とは、例えば「宇宙サイズのスケールでの夢」です。
宇宙サイズとは、ビックバン宇宙論における観測可能な宇宙(直径約930億光年)の時空間全体に広がる夢です。そのスケールの時空間は恐らく誰も支配していないでしょうから、洗脳や誘導を仕掛けられることはありません。刷り込み元を超える視点(抽象度)が得られ、刷り込みを踏み台とし、刷り込み元を超える視点(抽象度)を得ての主体的な選択となります。
観測可能な宇宙全体では臨場感が得られないのなら、空間的には銀河系サイズで時間軸は2億年(太陽系が銀河を1周する時間)でもありです。誰も支配していないであろう巨大な時空スケールのゴールなら、刷り込み元の奴隷となることはありません。
それでも無理なら、最低でも地球サイズで100年単位です。それ以下では他者からの洗脳や誘導の仕掛けが入り込み、主体的な選択とは言い難くなります。


「宇宙サイズの夢」とは「夢(こうなりたい)の舞台」の抽象化です。他方、「夢(こうなりたい)の内容」の抽象化もあります。それは「純粋にやりたいこと」をやることであり、やった先にあることが「抽象化された夢」となります。


「純粋にやりたいこと」とは、一切の見返りを求めずに、単にやりたいからやることです。やること自体に価値を認め、誰の何の役に立つのかは一切不明、邪魔されてでもやりたい、白い目で見られてもやりたいことです。
その「やりたいこと」も当初は、「やって楽しかった体験」の記憶に基づき、「やりたいこと」とブリーフ・システムにより判断されたことです。つまり元々は偶然の産物であり、外部からの刷り込みです。しかしその刷り込みを高度に抽象化して、論理抽象度を超える無意識レベルでの判断基準にまでなると、「純粋にやりたいこと」になります。
「純粋にやりたいこと」をやった先にあること、その結果がどうなるかは、誰にも予測できません。想像すらできないほど高度に「抽象化された夢」なのです。
誰にも予測できない夢であれば、誰からも支配されずに、仕掛けが入り込む余地が全く無い夢です。ということは、選ばされた「こうなりたい」ではなく、主体的な選択となります。
実際、人類史的な画期的な発明や発見は「純粋にやりたいこと」の結果なのです。
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人類の未来に貢献したければ・・・メタに思考して「純粋にやりたいこと」をやる

「お客様は神様です」は奴隷の論理により意味が改ざんされた


ここで厳しい現実に直面します。「宇宙サイズの夢」も「純粋にやりたいこと」の両者とも盲点(スコトマ)に隠れて分からなくたっている人が、圧倒的多数なのです。
困ったことに、分からないことすら分からない、あるいは分かったと錯覚している人もいます。
酷いのになると、本当は全く望んでいないのに、御利益を期待して「スケールの大きいゴールを持っている振り」を演じる奴すらいます。
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ゴールの抽象度は高いほうがいいのですが、落とし穴には落ちないように・・・


やはり刷り込みではない主体的なゴール設定は不可能なのでしょうか。
いいえ、人類の英知の結集として特別な方法論が発明されています。
それが「暫定仮ゴール方式」です。


刷り込みにより「こうなりたい」と思わされているものでも、唯一絶対の「こうなりたい」ではなく、暫定仮の「こうなりたい」と見なせば、刷り込み元の奴隷にはなりません。刷り込みと承知のうえで暫定仮として敢えて選択すれば、他者の仕掛けに踊らされることにはならないからです。暫定仮の視点とは、「こうなりたい」を一段高い視点(抽象度)から吟味するものです。刷り込みを踏み台として、視点(抽象度)を上げることが目的です。
何のために視点(抽象度)を上げるのか。
暫定仮ゴール達成のためスコトマ(盲点)を外して、暫定仮ゴールへ向かって加速するためと勘違いしては本末転倒です。それは隷従への道を驀進することを意味します。
視点(抽象度)を上げる目的は、盲点(スコトマ)に隠れている「宇宙サイズの夢」か「純粋にやりたいこと」を見つけるためです。


「現状の外側のゴール設定」とのプリンシプルも、本質的に同じ目的です。現状の外側のゴールとは、ブリーフ・システムの変更を要求する目標との意味です。ブリーフ・システムの変更といっても変更は極一部であり、人格が別人格に豹変する程までは要求されません。それでも評価関数が変われば、従来はスコトマ(盲点)であった「本当の夢」が見えてくるであろうことに期待しての、変更の要求です。現状の外側のゴールも暫定仮ゴールなのです。
暫定仮ゴールは達成すべきでないとの意味ではありません。しかし暫定仮であることを忘れると、本来の目的を忘れてしまいます。すると刷り込まれたゴールに殉じる様に生きる奴隷となってしまうのです。
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ゴールのために生きるのではなく、より良く生きるために「ゴール設定」がある


では「宇宙サイズの夢」か「純粋にやりたいこと」が見つかれば、自由意志を獲得したことになるのでしょうか。
それは違います。
「宇宙サイズの夢」や「純粋にやりたいこと」は、夢の舞台や内容が他者に仕掛けられたものではないという意味で主体的なゴールではあります。しかしその「主体的なゴール」もブリーフ・システムの産物であり、記憶の束縛下にあります。いわば内部表現のシステム内での相対的な自由です。
「宇宙サイズの夢」や「純粋にやりたいこと」を踏み台にしてさらに抽象度(視点)を上げて、内部表現のシステムを越えたところに、記憶の束縛を解かれた真の自由意志があります。それこそが目指すべき最終ゴールです。



苫米地英人著、「努力はいらない!『夢』実現脳の作り方」、「最終章 本当の夢とは何か」より引用
ただ、本当の夢はそう簡単に見つかりません。自我の束縛から解き放たれて、真の自由意志を獲得しなければ、到達できないからです。そのための思考法についても紹介してきましたが、このように考えれば、ただちに本当の夢が見つかる、というわけではありません。思考するだけではなくて、やはり実践や行動というプロセスを経ながら、手探りしていかなければなりません。
だから、夢の最終形には、あまりこだわらなくていい。5年後とか10年後とか、自分が臨場感をもってイメージできる範囲内で、いちばん実現したいことを、暫定的なゴールにすればいいのです。
抽象思考によって、時空をも超えたスケールの夢を描くことと、具体的に自らの内部表現を書き換えていく作業とは、ステージが異なります。本当の夢と呼ぶことのできるゴールを発見できずに、スタート地点で足踏みしてしまうようなら、とりあえず走り出してみたほうがいいわけです。ただし、そのルート上に「奴隷の幸せ」という落とし穴が仕掛けられている可能性も大きいですから、そこにハマって抜け出せなくならないように気をつけましょう、という指摘もしてきました。
実際のところ、本当の夢を見つけることのほうが、暫定的なゴールを達成することよりも、はるかに困難で、時間がかかるかもしれません。それに比べたら「5年後に社長になって年収1億円」なんて、みなさんが思うより、はるかに簡単だといってもいいくらいです。本書で紹介した方法を実践して、ゴールへと至る自己イメージをしっかりともちことができたなら、間違いなく実現します。
ここで大事なのは、「ただし、それは暫定的なゴールにすぎない」と知っておくことです。知っておけば、達成したときに、その成功に溺れることも無いし、走っているうちに、どんどん新しい夢が生まれてきます。その中から、最終的に「これだ!」というものが見つかってくるはずです。
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