40年ぶりの再会 | つなさん夫婦ニカラグア・セントルシア

つなさん夫婦ニカラグア・セントルシア

全盲の鍼灸マッサージ師の夫とそれを支える妻のブログ。

盲学校を退職後、シニアボランティアとしてニカラグアとセントルシアの医療活動を支援しています。
現地での異文化体験を、夫婦で発信していきます!

67. 40年ぶりの再会

 

去年の暮れごろ突然届いた一通のメール。

驚きと懐かしさが入り混じった嬉しいメールでした。

 

『綱川先生、お元気でしょうか』という文面で始まるそのメールは

私が初めて理療科教員として横浜市立盲学校に就職し、担当した

1年生クラスの生徒だった嵯峨野さんからでした。

 

カメラマンだった彼は途中失明者となり、新たに鍼灸マッサージ師の道を選んで、

入学してきました。卒業後はお互い連絡することもなく、消息は途絶えたままでした。

 

ところが、嵯峨野さんは偶然にも新聞で私が今セントルシアで視覚障害者に指圧を

教えていることを知り、是非とも私の活動や考えを直接会って話を聞いたり、

現地の人からも視覚障害者教育や視覚障害者の社会福祉について話を聞いたり

したいと思ったそうです。

 

そして、「セントルシアへ行きます」とメールで知らせてきました。

 

彼の次のメールにはセントルシア行きのエアーチケットが取れ、ガイドの人と

2月に会いに行きますと書かれたメールが来ました。

仕事の関係でニューヨークへ行く用事もあるので、セントルシア滞在は

到着と出発日を入れて3泊4日の予定だということでした。

 

日本から持ってきてもらいたいものは何でしょうかと尋ねてくれたので、

彼の厚意に感謝し、研修生に経絡経穴を教えているので、経絡経穴人形と

指圧講座2期生の卒業記念品としてあげたい日本手ぬぐい5枚をお願いしました。

 

3回目のメールのやり取りにはそれらが手に入り、スーツケースに入れて

出発の準備ができたと書かれてありました。

 

短い滞在を有意義に過ごしてもらいたいという思いから私は詳細なスケジュールを

練り、アブリル会長やカウンターパートのデボラさん、それに生徒たちと研修生たちに

予め嵯峨野さんの紹介と訪問日のタイムテーブルを説明しておきました。

1日目に視覚障害者協会で、2日目は嵯峨野さんと私たち夫婦、ガイドの方と4人で

じっくり話をする時間を持つ計画にしました。

 

2月15日の朝9時過ぎに嵯峨野さんとガイドの沢さんがセントルシア視覚障害者協会に

やって来ました。実に40年ぶりの再会の瞬間でした。

声は盲学校の頃と少しも変わっていないので、盲学校時代の思い出が

昨日のように感じました。

 

    

 

9時半から始まる指圧クリニックで研修生から指圧を受けたり、

懇談会を持ったりしました。

嵯峨野さんからの経絡経穴人形を興味深く見て、習ったばかりの

経絡のルートを人形で確かめたりしていました。

 

嵯峨野さんは新潟大学の教授に頼んで作ってもらったセントルシアの

触察マップも一人一枚ずつプレゼントしてくれました。

3人にとって初めての触察マップで、貴重なものをもらえて大喜びでした。

 

その後、アブリル会長に英語版の日本の視覚障害者の教育や福祉について

書かれた本をプレゼントし、日本とセントルシアの視覚障害者についての

意見交換の時間を約1時間持ちました。

 

             

 

お昼になり、デボラさんから用意してもらったカリビアン料理のお弁当を

一緒に食べ、午後から指圧講座2期生と共にセレニティーパークで

指圧デモンストレーションに参加をしてもらいました。

 

翌日は嵯峨野さんたちのホテルを訪ね、ホテルから徒歩20分ほどの

ロドニーベイのビーチを案内しました。

 

セントルシアに来る目的は観光ではないので、あちこちを巡る気は全くないと

メールには書いてありましたが、おそらく嵯峨野さんにとってもセントルシアを

訪れる機会は後にも先にもなく、一生に一度きりだと私たちは思いました。

 

全盲の嵯峨野さんも裸足になって波打ち際を歩いたら、カリブ海の美しい海を

実感してもらえ、セントルシアの思い出がより鮮明に残るのではないかと

ビーチ散策を誘った次第です。

 

嵯峨野さんも沢さんもすぐに同意し、ビーチへと向かいました。

ロドニーベイのビーチは私たちにとっても初めての所でしたが、

地図を見てもわかりやすい場所なので、迷うことなく目的地へ

ぶらぶら歩いて行ってみました。

 

2月の太陽は日差しがかなり強くなり、肌がひりひりしてきます。

気温も30度以上に上がって暑いのですが、風が吹いてくれるので

心地よさを感じます。

 

ロドニーベイの繁華街を抜けると、まっすぐに伸びた道を挟んで

ホテルやレストランが点在し、やがて警察署の角を左に曲がると

ビーチの入り口が見えてきます。

浜の手前は1件の小さな土産物屋、それにヤシの葉の屋根の

ビーチバー&レストラン『スピナッカーズ』があるだけです。

 

オフホワイトカラーの砂浜にエメラルドグリーンの海が目の前に大きく広がり、

遠い紺碧の海原にはヨットやボートが5~6台浮かんでいるのが見えました。

 

浜辺のホテル滞在客やクルーズ船の観光客たちが海で泳いだり、

リクライニングシートで日光浴を楽しんだりしています。

ビーチは白人がほとんどで、現地の人はほんのわずか数人だけでした。

 

靴を脱ぎ、裸足になって波打ち際へと急ぎました。

「ウァー、きれいな風景だなぁ」と沢さんが大きな声をあげて言いました。

「波がおだやかですねぇ」

「細かい砂粒のビーチで歩いてみて気持ちいいー」と嵯峨野さん。

二人は子供のようにはしゃぎ「セントルシアはいいねー」を

繰り返して笑っていました。

 

こんなにも喜んでもらえるなんて、本当によかったと思いました。

 

             

 

渚の散歩を楽しんだ後は滞在先のホテルのレストランで、

ピザを食べながら空白の40年間の経緯を話し合いました。

 

嵯峨野さんは鍼灸マッサージ師の道は進まず、他の道で視覚障害者の

支援活動に尽力をつくしていました。

今は、日本盲人情報支援センターの代表理事を務め、日本盲人福祉委員会や

日本視覚障害者団体連合など盲人団体や盲人福祉施設と連携を図り、

情報支援や連絡調整をしたり、全国の盲学校を訪れて講演活動を

したりしていました。

他にも世界盲人連合ともネットワークづくりを進め、世界の視覚障害者団体

との国際交流や情報支援ネットワークの構築を図っていると言っていました。

 

嵯峨野さんによると日本は古くから視覚障害者教育や職業教育が整っていて、

どの国よりも進んでいるのにそれを世界へと発信するPRがとても下手で

残念に思うことが多々あると言っていましいた。

 

「帰国したら是非、また会いましょう」

そう言って、嵯峨根さんは私の手をしっかり握りました。