「てれんぱれん」/わたしを待っていたのは… | 旧・日常&読んだ本log
- 青来 有一
- 「てれんぱれん
」
「てれんぱれん」という言葉は、九州地方の言葉で、何となくぶらぶらと過ごして、怠けている人を非難する時に良く使われるのだという。
語り手の「わたし」の父が、まさにそんな「てれんぱれん」な人物だった…。忙しく立ち働く母の横で、父はいつもたばこをふかし、無防備な背中を晒していた。母は、のちにニラ焼き屋と呼ばれるようになる、お好み焼屋を切り盛りしており、子供であった「わたし」も母を手伝い、母と共に「てれんぱれん」な父を責めるようになっていた。
子供たちも独立し、同じく「てれんぱれん」であった夫との離婚も成立し、また一人に戻った「わたし」が思い出すのは、父と「わたし」を繋いでいた不思議な出来事。思春期を迎えた「わたし」は父を疎んじるようになり、何かを伝えたがっていた父の言葉を聞くこともなく、そのまま病弱な父は消えるように亡くなってしまっていた。父の思い出を追うように、以前の住まいの近くに居を移した「わたし」を待っていたのは…。
青来有一さん、初読みです。この作家さんが気になったのは、桜庭一樹さんの読書日記のこちらの記事
がきっかけ。
ただ、ここで取り上げられている「爆心」は長崎の被爆体験を書いた短編集ということで、初めて読むにはちょっと重いかなぁ、と思い、雰囲気で「てれんぱれん」を借りてきました。
でも、「てれんぱれん」も舞台は長崎。「わたし」の父もまた被爆者であり、原爆は父の人生にも大きな影を落としていたのです。
「てれんぱれん」とは前述のように、人の状態を表す言葉だけれど、それは父と「わたし」だけに通ずる符牒のようなものでもあった。父は不思議な物が視え、その力によって物事を解決出来る拝み屋のようなところがあった。それは密やかに行われるものであったけれど…。幼き日の「わたし」も、父の背中に触れている時だけ、不思議な物、「てれんぱれんさん」が視えるようになり、年とともに彼らが視えなくなっていた父の目となって働く事があった。
父が言うには、死んだ子どもは、その場所で神さまになるのだという。そこにしがみついて、父や母が迎えに来るのを、てれんぱれんとただ待っている。恨みもせず、祟りもせず、ただただ黙っている、並の神さまである、「てれんぱれんさん」…。ま、「祟りもせず」と言っている割には、「てれんぱれんさん」が見えた場所から何かが出て来て、その供養が終わると、家族の不幸が終わったりもするので、そこはちょっと不思議だけれども、ただぼーっと立ったり座ったりしている、白く無力な「てれんぱれんさん」。そうして、再びこの地に戻ってきた「わたし」を待っていたのは…。
福か禍かも分からなかった「てれんぱれんさん」。それでもそれは、父と娘を繋ぐ、待ち人でもあったのです。
次は
「爆心」を読もうっと!

